ズキン、ズキ、ズキ…


(…俺としたことが)


右の足首が熱を持って痛む。
鳳達との試合中に少し捻った気がしたが、最中はアドレナリン効果も相まって痛みはさほど気にならなかった。だが、終えてみるとやはり痛い。
捻挫だろうと予測する反面で、試合がまだ先で良かったと冷静に思った。


「日吉!次は俺とシングルスの試合するぞ」

向日さんの誘いに一瞬躊躇ったが、すぐに思い直して了承した。
その瞬間。腕を誰かに掴まれる。

「……苗字先輩」
「だめですよ」

先輩は俺の足をじっと見てそう言った。(…気付かれた)
俺の中に湧き起こる不快感を現すように、俺はその手を振り払って先輩に背を向けた。



「あんたには関係ない」



追い付いてきた向日さんは「意味わかんねぇな、アイツ」と機嫌悪そうにしていたが、俺は意味が分かった上で不機嫌になった。
俺の限界をアンタが決めんな。
指図すんな。
(…見てろ。捻挫なんて屁でもねーんだよ)

お前には無理だと言われたような気すらして、異様なまでに腹が立った俺はさっき以上の集中力でその試合に挑んだ。
結果は、僅差で俺の勝ち。
悔しがる向日さんを尻目に額の汗を拭えば、鳥居先輩がタオルを手に駆け寄ってきた。


「はい、ひよ!」
「ありがとうございます」
「見てたよ!」
鳥居先輩は満面の笑みを浮かべて俺を見上げた。
「今日なんか絶好調だったね!」

「、」





待って


「ひよ、すっごいかっこよかったよ!」
「……あ、りがとう、ございます」
「このままいけば、げこくじょーも夢じゃないね!」
「…」


待ってくださいよ



「おーい!亜里沙−!」向日先輩に呼ばれて、鳥居先輩は振り返る。
「おれにはオツカレサマねーの??」
「もー、今から行くとこ!じゃあ、向こうにひよのぶんのドリンクできてるから!飲んでね」
「……はい。」

たっと駆けていく鳥居先輩。俺は彼女を目で追うこともできずに、必死で思考を冷ましていた。
――何だよそれ

―――さっきのプレーで、俺が何回ミスしたと思ってる
―――いつもは追い付けるボールを、何度逃したと思ってる


「…」

落ち着け、落ち着け、

今は気が立ってるだけだ。だからこんなふうに鳥居先輩を野次りそうになる。

あの人はテニスができないから、素直に見て思った感想を言っただけ。
俺の隠し方が上手いから、挫いた片足にも気づかなかっただけ。
あの人が悪い事は何もない。

落ち着けよ。さっさと頭を冷やせ。冷静になれば、少しはまともな…。……まともな、考えに、


「日吉君」


右手に添えられた冷たい手。はっと顔を上げれば、すぐ傍にあった水浅葱色の瞳が俺を覗きこんだ。
無意識にきつく握りしめていたラケットが地面に落ちる音を、どこか遠くで聞いた。


「……」


俺は無言で先輩を見つめ、先輩もまた無言で俺を見上げる。数秒間。
ラケットを拾い上げた苗字先輩は俺の手をひいて、歩き始めた。こちらが驚くほどゆっくりとした歩調で。

俺は、手を握る掌の小ささに意識を取られていたせいで、抵抗するのを忘れていたらしい。―――心の奥に沈殿した悪意の存在すら、この時はどうにも思い出せなかった。

夜色の瞳

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