私が次に目を覚ました時、窓の外は明るかった。しばらくの間瞬きを繰り返し、自分の置かれている状況を整理する。
私は一昨日の晩捕まって、知りもしない情報を吐けと拷問を受け、XANXUSの部屋で倒れて意識を失った。その私を医務室まで運んでくれたのがスクアーロで、彼は私が眠るまでは傍にいてくれたみたい。体を起こすと、脇腹の傷がひどく傷んだ。次いで肩や背中も。

「しししっ…虜囚のくせに昼まで寝てっとか、イイ度胸だよな」
「ベル」
「軽々しく呼ぶなよ」
「…ごめんなさい」

昨日スクアーロが座っていたイスに足を組んで腰かけているベル。寒々しい白いタイルの壁に白い床。淡いグリーンのカーテンは風で揺れている。この情景の中にいるのはベッドの上で手持無沙汰に俯いている私と、ナイフを弄りながらそれっきり口を開かなくなってしまったベルだけだ。

「…ベル」
「何?」

どうしてここにいるの?と尋ねかけた私だったが、そうする事によってベルの機嫌が更に悪くなるような気がして止めた。怒って殴られるのは当然嫌だったけど、それより、怒ったベルがここから離れて行ってしまうのが嫌だった。でも、何を話せばベルの機嫌が良くなるのか分からない。しかし呼びかけてしまった以上何か言わないわけにはいかない。ベルが手を止めて、催促するでもなく私を見つめ続けている所為で私の口の中は緊張でカラカラになった。
おちついて。思い出して。

私はベルに何を伝えたくて
どうしてほしいのか
そう考えると、ベルに伝えたい言葉は考えないうちに口から出てきた。


「怒らないで。」

「……ひとりはきらい、さみしい

 ここにいて」

ベルはまた頭のおかしな女だと思うだろうか。でも私の中のどこを探してもこれ以外の言葉は見つからなかった。
ベルの口元は笑っていなかった。
目は見えないけど、きっと無表情だ。


「…お前さ、俺が憎くねーの?」
「うん」
「怖くねーの?」
「うん」
「…やっぱ意味わかんねーよ」

それからしばらく沈黙が訪れた。私はこの空間を居心地が悪いとは思わなかったが、前髪の奥に隠れたあの瞳とずっと見つめ合っているのかと思うと、何か話さなくてはという思いに駆られた。
私が頭の中で話題を詮索していると、不意にベルが口を開いた。


「お前、名前、なんつったっけ」

言われてようやく、彼らは私の名前すら知らない事を気付いた。スクアーロもXANXUSも拷問する時に私の名前など気にも留めなかったからだ。そう考えると少し嬉しくなった。

「なまえ」

  「ふーん。…何歳?」

「18歳。…ベルは?」

  「王子19」

静かに間が置かれてなされる会話になまえの緊張も徐々にほぐれていった。こんな普通のやりとりすらも、随分懐かしく感じられる。ベルはこの前されたような類の質問は一切せずに、むしろ友人同士で交わし合うようなものを選んで聞いてきた。ベルの意図はまるで見えなかったが、私は久しぶりの平和を楽しんだのだ。

ベルからの質問がピタリと止んで、私はまた彼を見上げる。
どれくらい時間がたっただろうか。
ベルは歯を見せて笑い、少し掠れた声で私に言った。


「笑ってみ」


今日のベルは少し変だと思った。今まで言ったことの無いような事をたくさん言ってきたし、それに、笑えというくせにベル本人の表情は(笑っているようで)まるで固い。どこか懇願するような響きを孕んだ言葉にも違和感を感じた。

「…どうしたの?ベル」
「別に?…いーから笑えって」
「…ベル」

「ッ、笑えっつーの。早くしねーと殺すよ?」

ポケットから取り出したナイフをかざしてそう言えば、なまえは言葉を詰まらせた。
(あーバカだなオレ。こんなんしたらますます笑わねーよ)
(でもしかたねーじゃん。)
(脅す方法なら知ってても、笑かす方法なんて、王子しらねーもん)


「できないよ」


ほらな


「だって、ベルがないてる」




なまえの言葉にベルは自分の頬に触れた。しかしそこはいつも通り乾ききっており、涙の通った跡などまるでない。当たり前だ。泣いてなんかいないんだから。しかしベルの口から漏れたのは、思いのほか掠れた情けない声。
「王子が泣くわけねーじゃん」
なまえは首を振って応じた。
「泣いてるよ、ベルは」
「だから、泣いてなんて」
すっと伸びたなまえの手がベルの頭に触れる。ベルは驚愕した。――なまえの行動に?それもある。だが、一番は自分に。

「どこが痛い?…ベル」

この白い傷だらけの指先が自分に触れることに、ベルは一瞬の嫌悪感さえ感じなかったのだ。




ベルは持っていたナイフをイスの上に置いた。太陽の光を受けて一瞬煌めいたナイフが、なまえの目にもとまる。
「じゃーな」
窓枠に足をかけて窓から飛び降りたベル。
――死んでもいーよ。
ベルの残したそのメッセージをなまえはきっと受け取ったはずだ。

(辛いんだろ。死んでもいいよ。)
血まみれの白い部屋と絶命したあいつ。そして傍に転がる俺のナイフ。ベルは想像してしししっと笑った。

俺が殺したことになるかもな。

ま、別にいいけど。
(だって俺王子だし。)

なまえ、お前すげーよ。王子にこんだけの事させるなんてさ。
俺はもうとっくに優しさだのなんだのは忘れたけど「お前の為にだったら、一発くらいボスに殴られてやってもいーかもな」なんて、これはきっと優しさだぜ。

「ししっ…ししし。王子やっさしー」

解放宣言
ベルは鼻唄を歌った。イイコトをしたはずなのに、まるで晴れない胸中をごまかすようにして。

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