ずるり。なまえの腕から力が抜け、XANXUSの身体に自分の体重を預けて沈み込んだ。
「……オイ」
返事はない。
XANXUSが襟首を引いて体を起こさせると血に汚れたススキ色の髪がだらりとなまえの顔を覆った。無言でそれを掻き上げたXANXUSは一瞬触れた肌の熱さに思わず眉をしかめる。XANXUSが胸元を押すとなまえは何の抵抗もなくぐったりとベットに倒れた。呼吸は静かだが荒い。XANXUSは一つ舌打って、ポケットから携帯を取り出した。


「………俺だ。回収に来い」

それだけ言って相手の言葉も聞かずに通話を終了する。再び静まり返った部屋。
XANXUSがなまえを見下ろしたままいると、なまえの涙に濡れた睫毛がふるりと震え、薄く瞼が開いた。

「…」

右から左へとうつろう瞳がXANXUSの姿を捉え、口の端を赤く腫らした唇が痛々しくひらかれる。その唇は、音もなくXANXUSの名前を紡いだ。
それだけの行為でXANXUSの思考は再度混乱させられる。
答えずに目を背ければ、XANXUSの部屋の扉がけたたましくノックされた。

「う゛お゛お゛ぉ゛ぉい!!来てやったぜぇ、クソボス!!」

普段ならここで手元の何かを投げつけているところだが、生憎そんな気分になれず「運べ」とだけ口にした。

「あ゛ぁ!?死体の処理なら雑魚にやらせろぉ!」
「…テメェの目は節穴か」
「んだとぉ!……って、コイツ生きてんじゃねぇか!」
「そう言ってんだろドカス」
XANXUSは新しいシャツに袖を通しながら顎で廊下を指した。
「医者に見せろ」
「ああ……あ゛あ゛!!?医者だとぉ!?」
「いちいち煩ェ」
「つうか吐いたのかぁ?ヤッたんだろ、ぉがっっ!!」
スクアーロは頭から赤ワインを滴らせながら「何しやがる!」とがなり立てる。

「くだらねぇ質問してねェで行け」
「ぐっ……、テメェは?」
「出る」

コートを羽織ったXANXUSが部屋を出て行くのを目で追ったスクアーロは分けが分からず首を傾げた。
そしてとある仮説に思い至り、バッとベットの上のなまえを見る。

「……まさか、なぁ」






なまえが目を開くと、ちょうどベットに下ろされたところだった。遠のく銀色を咄嗟に掴む。
「う゛ぉ!!」と痛々しい声がした。
「、…?」
「テメェ、何のつもりだぁ」
「…っ、ーっぁ」
どんなに頑張っても喉からは掠れた声しか出てこない。(何で、でないの?)ごくんと唾を飲み込むと針を刺したような痛みが喉を襲った。
私は気だるい体を持ち上げて、スクアーロの髪を掴む手と反対の手で喉を押さえた。
「?」
「、…!」
「…声がでねぇのかぁ?」

頷くと、きつく眉を寄せたスクアーロが「口ひらけぇ」と言ってきた。私は大人しくそれに従う。
「!!」
私の口に指を突っ込んだスクアーロは乱暴に顔を上に向かせ、大きく開けさせた口の中を暫く眺めると指を引き抜いて言った。

「扁桃腺が腫れてやがる。その所為だぁ」
「、…」
「つーかいい加減放せぇ!!」
言われた通り髪の毛を離したなまえは、はしっと次はスクアーロの服の袖を掴んだ。
スクアーロの額に青筋が浮かぶ。
「離せっつってんだろぉ!」
なまえは首を横に振って、袖を掴む指に力を込めた。

「XANXUSにテメェを医者に見せろって言われてんだぁ。テメェが掴んでちゃ呼べねぇだろカスがぁ!」
「…、…!」
「よくねぇえ!そうしねぇと俺が当たられんだぞぉ!」

ひたすら首を振っていたなまえがその時初めて力を弱めた。
以前として掴んだままではいるが、スクアーロが振り払えば簡単にほどけてしまうだろう。なまえは弱弱しい力で引き留めたままスクアーロを見上げた。

いかないで。
ここにいて。
一人にしないで
切実にそう語りかける瞳を見返しながらスクアーロは先程談話室でフランから聞いた話を思い出していた。



『ミー達に頼るしか生きていけない、んですってー』
『そう言ったのかぁ?』
『言ってましたー』
『つーかアイツ死にてェんじゃなかったのかよ』
『そんなのミーに聞かないでくださいー。でもどっちにしてもイカれてますよねー』
『あ?』
『ミーだったら家族殺した相手に縋ってまで生きたいとは思いませんしー。いっそ自殺するかも』
『テメェはなぁ』
『え?隊長は命乞い派ですかー?』
『馬鹿がぁ!俺はそもそも捕まらねぇ!』



「…」

スクアーロは苦々しい表情で携帯を取り出して耳に当てた。

「俺だぁ!医務室に医者一人寄こせぇ…、あ゛ぁ?知るか!いねぇんだよ!大至急だ!」
ピッと電源を切ったスクアーロはなまえの手を振り払い、ベットの横のパイプ椅子に腰かけた。その様子をじっと見つめるなまえを鋭く睨みつけ早継ぎに言葉を並べる。

「医者が来るまでだぁ!」
「!」
「テメェは黙って寝てやがれぇ、本当ならテメェみたいな捕虜が使っていい場所じゃねぇんだ」

こくんこくんと頷いたなまえはいそいそと布団にもぐった。
――伝わった…!
なまえの中でじんわりと喜びが広がる。
言葉にする事は出来なかったけどなんとか伝わった。スクアーロは嫌々にだけど一緒にいてくれる。置いていくこともできたのに。
顎までしっかり布団にもぐると身体を横に向けてスクアーロと向き合った。

「こっち向くんじゃねぇ!」
「?」
「うぜぇな、何でもだぁ」

すごい。スクアーロは私の考えている事が分かるみたいだ。私は頬を綻ばせて頷く。身をよじって仰向けになった。
昨日からずっと石の床の上にいた所為か、それとも疲労の所為か、寝心地の良い布団に包まれた私は気を抜くと睡魔に襲われた。
意識が遠のきかける度に「いけない、いけない」と頭を振って目を覚ます。その都度横目でスクアーロがいるかを確認して、目が合っては睨まれてすぐに上を向く。我が儘を聞いてもらってるだけで十分だ。機嫌を損ねてどこかへ行ってしまわれるよりはいい。




なまえの目が眠そうに瞬きの回数を減らしていく、しかし暫くするとハッとしたように頭を振ってこちらを向く。それが何度か繰り返されるうちに俺は無意識に口を開いていた。
「眠いなら寝ろぉ」

なまえは驚いたような顔でこちらを見てきた。
そりゃそうだ。
尋問中は、痛みや疲労からその瞼が落ちかけようものなら、水を浴びせたり殴ったりして無理やり目を覚まさせた。
俺は、自分が割に合わない事を言った事に後から気付き口をつぐんだ。

「、…ぁ…−ろ」
掠れた声に呼び掛けられ、目線を上げると細い腕がこちらに伸ばされていた。
「……」
「、」
「…医者が来るまではいる」
そう言ってもその手は引っ込まない。なまえの目は懇願するようにスクアーロを見つめていた。

やがて根負けしたのはスクアーロの方だった。
チッと舌打ちしたスクアーロが義手の方の手を差し出すとなまえは申し訳なさそうに首を振った。
「あ?」
なまえは少し体を起こし、膝の上にあったスクアーロの右手に触れた。

こっちがいい

そう言うなまえの声が聞こえてきそうだ。しかしスクアーロが拒めばすぐにでも引き下がるつもりだろう。軽く触れた指先に強引な気持ちは欠片も見られない。(…こいつ、俺の左手が義手だって知ってやがるのか)
スクアーロが黙っていると、なまえは眉を下げてそっと手を引いた。
どうやら無言を否定ととったらしい。理解したスクアーロは無意識に引っ込みかけるその手を握った。

「、……!」

暫く視線が絡み合う。
当然、先に反らしたのはスクアーロだ。

「寝ろ」

なまえはふわりと微笑んで頷くと目を閉じた。
まさか微笑みかけられるとは思っていなかったスクアーロは暫く目を見開いたまま固まる。――こいつ、どんな神経してやがるんだぁ。
すうすうと寝息を立て始めたなまえの、その小さな手。
スクアーロはそれを握る自分の手の強さを真剣に考えあぐねながら、医者の到着をまだかまだかと強く待ち侘びるのだった。

何やってんだぁ、俺は

白く熱い手首

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