母からそれを聞いた。
「なんで、由岐ちゃんが……」
部屋に入って、サチコの顔を見るなり、俺はそう言って泣き崩れた。
彼女は生きてきた中で唯一の友達で、再会できたことも何かの縁だと感じていた。世界にひとりきりになったような気分だ。
「どうして一生懸命生きてた由岐ちゃんが死ななきゃいけないんだろう? 神様がいるとしたら残酷だ、意味が分からないよ、どうして未来が奪われたのか……奪うなら俺みたいな人間から取ったっていいのに……」
「木崎くん、死にたいの?」
いつのまにかサチコは俺の目の前にしゃがみこんでいた。
「……え?」
「死にたいの?」
「……否定はできない……もしサチコまで失うなら死ぬかもしれない……」
俺は呆然としたままそう答えた。サチコのことさえこんな風になっているときに、幼馴染に死なれては、もうどうしたらいいか分からない。
「どうして? 木崎くんには未来があるのに?」
「サチコを失う未来しかないなら死んだほうがマシだよ!」
「木崎くん……あなたは勘違いしてる。私が言ったのはそういうことじゃない」
サチコは首を横に振って見せた。
「私との別れを越えて未来へ進むのよ。私を失うことで未来まで失うなんて、そんなことは絶対にないわ。断言してあげる」
「こんなに好きなのにどうしてそんなこと言うんだ」
俺は引き寄せて彼女を抱きしめた。冷静に話なんか聞けやしなかった。
「……ありがとう。でも、この世界から、外に出なくてはだめ。木崎くんは生きているのよ、死人でも、ロボットでもないの。生きている人間で、まだほんの17歳。可能性は今のところ無限大にあるのに、このまま私を愛し続ければ、その可能性はどんどん減っていくのよ。頭では、分かっているでしょ」
「……もちろん。でもそんな苦しみは、乗り越えられない」
「弱音を吐かないで。由岐さんの死を悼んでいるじゃない、なら、彼女が失ってしまったぶんだけ、木崎くんは前に進まなきゃだめよ。私、木崎くんに出来そうにないことはやれなんて言わないわ。絶対に木崎くんは生きていけると、そう思うから、こうして話をしているの」
サチコの話を聞いているうちに、俺はあるひとつの仮定を思いついた。
「もしかしてさ……サチコは、誰かを更生させるために、作られたの?」
サチコは、頷いた。
「誰かを愛しながら説得して、外の世界に向かわせて……それで最終的に主人を1人置いて自爆するように、そうプログラミングされてるの?」
彼女はまた頷く。
「……誰を?」
「わからない。本当は誰を更生させるべきなのか、それは今の私は知らないこと。仮想世界のひとつでは、その人を主人としているはずだけれど、今の私がいるのはここよ。私は、木崎くんのために生まれてきたの」
俺は、言葉を失った。
運命がねじれて、俺は、俺と彼女は、今ここで向かい合っている。閉塞感に溢れた、この部屋で。
そのために俺はこの出会いの幸せを、喪失の予感を、葛藤の苦しみを、現実としてこの世界で味わっている。なんということだろう。途方もない宇宙の神髄が、今目の前に掴めそうで、掴めない。
「……ああ……サチコ、俺、生きてるんだ……」
全身から力が抜けた俺の背中を、ただ黙っている彼女の手が、優しく抱きしめた。
こんな世界は、狭い。今、分かった。
でも、この狭い世界を埋め尽くして俺の心をいっぱいにする、サチコへの愛は、宇宙よりも大きかった。


俺はサチコを連れて街へ出かけ、有り金全て使い切るまで遊んだ。まるで人間同士のカップルのように。
手を繋いで歩き、遊園地の観覧車でキスをした。
海で靴を脱いで浜辺を歩いた。
手当たり次第店に入ってたわいもない会話をしながら買い物をした。
俺がサチコとしたいことと言ったらそんなことぐらいだった。俺はもちろん楽しかったけれど、自分が楽しむだけ楽しんで、やっと気がついた。
彼女は、やはりロボットだ。俺のために楽しみ、俺のために笑う。そう、決まっているのだ。俺は、最初からずっと、ひとりぼっちだった。
へとへとになって家へ帰ってくる頃には、胸がざわざわして、切なくて、苦しくて、もうどうしようもなかった。
しかし、それと同時に、もう決心はついていた。
布団を敷いて、いつものようにふたりで寝転がってから、俺はサチコに言った。
「明日の朝になったら、サチコのパスワードを教えてくれる?」
「うん。分かった」
サチコは喜びとも悲しみともとれない、ただ誠実な表情で、頷いた。
「サチコ、俺、今日すっごく楽しかったよ」
「うん、楽しそうだったね。こんな木崎くん、初めて見たかも」
「そうだね、何も考えないで、やりたいことやったんだ。そしたら、見えた。俺、サチコがどんなに大切なこと教えてくれてるか、全然分かってなかったよ。でも、今日分かった。俺は生きていかなきゃいけないし、生きていきたい。ここで終わるのなんてごめんだよ……孤独で頭がおかしくなりそう。誰かと出会いに、学校へ行きたい。んで、サチコが教えてくれたみたいに、誰かを理解して、されて、関係を深めて、広い世界に生きてみたいよ」
サチコはさも嬉しそうに笑って、何度も頷いていた。
「ありがとう。出会えてよかった。サチコと出会えたのが運命の悪戯なら、俺は世界で一番ラッキーな男だね。枯れかけてた人生が、一気に花開いたって、かんじだ。いや、育てるのはこれからなんだけど……」
「そうよ、頑張って」
「今まで、色々ひどいこと言ったり、言うこと聞かなかったりして、ホントにごめん。今夜終わる俺のこの世界では、世界一、宇宙一、俺はサチコのことを愛してるよ」
俺は、そう言いきって、俺に次の世界の鍵を渡してくれた女の子を、両腕で思い切り抱きしめた。
「おやすみ」
「おやすみ、木崎くん」


「起きてー、木崎くん。朝よー」
サチコの声で、いつもどおり目が覚めた。別れが訪れるなんて、しかもその別れが自らの決断だなんて、こんなありふれた朝には、にわかに信じがたい。
しかし、昨日考えていたことが、頭の中で一気に復習されて、俺はすっきりと目覚めた。
「おはよう、サチコ」
「おはよう」
俺は部屋を出て顔を洗い、さっさと朝食を済ませて、歯を磨いて髪の毛を自分できっちり整え、部屋に戻った。
サチコはここに来た日のように、灰色の着物を着て、正座していた。
鼓動が高まる。やっぱり、現状を覆すのは、いくら決心したとはいえ、怖い。
「サチコ、パスワードを教えて」
「“My dear son” マイ、ディア、サン、よ」
そのフレーズは、予想外のものだった。しかし、彼女の第一印象に“母親”を感じていた俺には、案外しっくりくるものでもあった。
サチコを作ったのは、ドクターではない、他の誰かなのかもしれない。
「分かった……それで、どうすればいいんだっけ」
「パスワードを私に聞かせて。それから、キスして」
俺は頷いて、緊張で震える両手で、サチコの肩を掴んだ。
「サチコ……俺、頑張るよ。だから、どっかでずっと見守っていて」
笑顔で頷くサチコの顔に、一緒に過ごした数週間の全てがよみがえり、鮮明に映し出される。俺の心はしめつけられた。短い間だったけれど、彼女に寄せた思いは、あまりにも重く、濃い色をしていた。
ああ、愛しい。彼女が、愛しい。
とめどなく涙が零れた。
やめることも、できる。今からでもやめたいほど辛い。それでも俺は、歯を食いしばって、言った。
「さよなら。“My dear son”」
サチコが目を閉じた。意を決して、その唇に、触れた。
永遠のような1秒が過ぎて、俺の世界、この狭い部屋にいっぱいにふくれあがった彼女への愛は、弾け飛んだ。生まれて初めて魂が燃えた恋は、遠い昔の人形遊びに姿を変えて、俺を閉じ込めていたこの部屋は、古びたおもちゃ箱になった。
動かなくなったロボットは、冷たく、もう二度と目覚めない。
それは人の死のようだったが、俺にはもう、わかっている。
夢の中では笑い、話し、愛してくれたけれど、現実の世界では、少女人形はずっと動かないままだった。
俺はずっと、人形を抱いて、ひとりで夢を見ていたのだ。

(2012.06.05)

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