姿は見えないが、蝉の声が聞こえる。
肩にかかる黒髪をひとつに束ね、前髪を顔の横に垂らした男子学生が、陽炎に揺れる道路の向こう側に見えた。
制服のワイシャツの袖を捲り上げて、臙脂のネクタイの首元は緩んでいる。うだるような暑さのこの日には、別段珍しいことでもない。
「おーい、木崎くーん」
赤い目をした、白衣の少年が手を振る。男子学生はそれに気付いて、驚いたように目を見開いた。そして、少年のほうに走ってきた。
「ドクター! 久しぶりですね」
「久しぶりだね。学校行ってるの?」
「はい、一応。ドクターこそ、研究所の外へ」
「うん、由岐ちゃんと約束したんだあ、ちゃんとお外に出てお勉強するって」
「ああ……俺、今から由岐ちゃんのお墓参りに」
学生は墓地の方角を指差した。
「今、僕も行ってきたところだよ」
「そうだったんですか。会うのは、数ヶ月ぶりですね。前に会ったのは……」
「サチコを戻しに来たときだね。5月だった」
「そうでした」
彼は急に大人びてしまったような気がした。少女のようだった貧弱な容姿も、どこかたくましく変わったように見える。
「あ、そうそう、木崎くんに見せたいものがあったんだ」
白衣の少年はそう言ってポケットから黄緑色の封筒を取り出した。
「手紙ですか?」
「うん。開けて」
封筒には、『可愛い赤目の坊やへ 悲しくなったら開けてください』と書かれている。
学生が便箋を取り出すと、そこには勢いの良い筆遣いで、長い文章が綴られていた。

“赤目の坊やへ

坊や、お誕生日おめでとう。
坊やはいつも真面目で、良い子で、パパの言いつけをちゃんと守って、とてもえらかったね。
だから、君にプレゼントをあげます。
パパが作ったロボットです。とっても可愛いでしょう、坊やはきっと気に入ると思います。
パパは坊やのことが大好きです。パパは坊やのためならなんでもします。
でも、坊やにはお母さんが必要です。
パパがどんなに頑張っても、お母さんの役割はすることができません。
お母さんと仲良しでいられなかったのは、パパが悪いのです。
坊やには、本当に悪かったと思っています。
だからパパは、君のお母さんになってくれるロボットを作りました。
坊やが寂しくないように、ママの声とママの教えをプログラミングしました。
きっとこの手紙を読んでいるということは、坊やは寂しくて仕方がないのだね。
このロボットは坊やを慰めてくれるでしょう。寂しくなくなって、坊やはきっと幸せな気分になれるでしょう。
どうかだいじに使ってください。
電源を切るパスワードは、“My dear son”
親愛なる私の息子、です。それで電源が切れます。

                       坊やのパパより”

「これって……」
「そう。サチコを作った、僕のパパからのお手紙だよ」
少年は彼の手から手紙を奪い取った。
「本当は、パパが僕をあの箱の研究所から外に出させるために、人を更生させるプログラムをロボットに埋め込んだんだ。でもこれを発見した頃、パパが死んで、僕は躍起になっていたから、手紙を読んだりロボットを起動させたりする気にはならなくって……それで、ひょんなことからサチコを起動した木崎くんがこんな立派になったんだ、本当に、面白いね、何が起こるかわからないね」
彼は笑った。
「でも、僕には必要なかったよ。由岐ちゃんがいたからね」
学生は微笑んで、頷く。
「俺が救われたのは、ドクターのお父さんが描いた、お母さんの姿だったんですね」
「そうみたい! まあ、なんにせよ、これが人の役に立ったんだから、パパも本望だと思うよ。よし、僕はバウムクーヘンを買いに行って、それから研究所に帰って、由岐ちゃんを起こすためにまたお勉強しなきゃいけないんだ。じゃあね、木崎くん」
少年の満面の笑みに、彼は手を振って見送った。
「いってらっしゃい」
広い大地には、時が流れ、風が吹き、人が歩き、歴史が刻まれる。
この宇宙に、彼は新たな足跡を増やしながら、歩き出した。ここに今生きているという証を感じながら、17歳の夏は、たったひとつの愛だけを求めて、広い世界を彷徨い歩く。




(2012.06.05)


ありがとうございました。

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