サチコの上手いフォローで、俺は一時的に気分が落ち着いていたが、夜が近づくとまた少し気が立ち始めて、交わす言葉も少なくなった。
それもこれもパニック障害の症状であることは自分で分かっている。しかし、こればっかりは分かっていても辛さが消えるわけではない。
だが、ひとりでいるよりだいぶ気が楽だった。口に出して気持ちを表現して、それを聞いてくれる人がいる、それだけで全然違う。
夜になって、疲れていたので早めに布団に入った。
「あのさあサチコ……聞いてるだけでいいからさ、ちょっと俺の長話に付き合って」
電気の消えた部屋の隅で正座しているサチコに、俺は寝転がったまま話しかけた。
「いいよ」
「……俺の父さん、俺が小さい頃に浮気相手妊娠させて、母さんと離婚してどっか行っちゃってさ、今うち、その慰謝料とかで生計立ててて。だからこんな家にも住んでられんの。母さんは水商売始めて、俺が物心ついた頃からもうネグレクトだった。ほったらかされて、飯もまともに食わせてくれなくて、保育園が一回通報して警察に厳重注意受けたこともあるらしいんだけどね。それ以降よくなったかっていったらそんなことはないよ。俺はあの人が大っ嫌い。優しくされたことなんてないし、愛されてるなんて感じない。親とは思ってない……それから小学校にあがっても、俺、暗いし、身体も弱くて学校も休みがちで、全然友達なんかできなくてさ……小学校高学年になったら、全然背は伸びないし痩せてて、顔も女みたいだし、暗くて気味が悪いからっていじめられ始めた。そのへんから人間が嫌いになって……もともとフランス人形とかお菊人形とか、綺麗なガラスの目が入っているような人形に興味はあったんだけど、その頃ああいう、今作ってるような球体関節人形の存在を知って、ハマっちゃった。中学も人がいっぱいいるところにいるのが怖くて怖くて仕方なくなって、いじめられはしなかったけど毎日学校が嫌で嫌で……でもその頃はまだパニック障害じゃなかったんだ、ただのストレスみたいな……で、実際発症したのは中3の半ばぐらい。当然友達なんかひとりもいなくて、家では部屋にこもって毎日人形で遊んでた。でも、高校からなんとか自分を変えたかったから、友達作ろうとか意気込んでたのに……入学式の日にパニック発作だよ。早退した。もう俺の人生ダメなんだ、って思って、家帰ってから風呂場で手首切って死のうとしたんだけど……今まで俺がここにいないかのように生きてた母親が、それを泣きながら止めにきて……それから、引きこもりになった。母親は気が狂ってるんじゃないかと思って、もう顔も見たくないと思って」
俺はやるせなくなってふっと笑った。
「これが俺の欠陥人生。17年。昼間にサチコが言ってたように、俺は確かに人を理解しようと努力したことなんてないよ……でも、もしかしたら俺のことを理解してくれるかもしれない人たちに出会う前に、俺は人間そのものが怖くなってたんだ……相手に傷つけられたり無視されたりすることを恐れないで、誰かに近づいていくことなんて、俺には無理。ただの無理なら、まだよかったけれど、病気になっちゃったんだ、人がたくさんいるところには長時間いられないし」
サチコは一言も口を挟まず、ただじっと聞いていた。口うるさくするときと、黙って言うことを聞くとき。そのメリハリに不思議と愛着がわいてきた。
寝返りを打って、サチコのほうを向く。彼女と目があった。俺は手を伸ばして、
「ねえ……サチコ、こっちへ来て、少しだけ、俺が寝るまで手を握っていて」
と頼んだ。サチコは微笑み、黙ったまま、言われたとおりにした。
「ああ、なんでサチコはロボットなんだろうなあ……俺さ、今日、うたた寝してて、夢を見たんだ」
俺は仰向けになって天井を見つめた。
「夢?」
「サチコが人間になる夢」
「へえ、面白い」
「俺とサチコは外をふたりで駆け回ったり、同じものを食べたり、一緒に寝たりして、すっごく楽しかった。でも……夢だよ」
言っているうちに、両目からするりと涙の粒が落ちた。夜になると、こうだ。これも症状のひとつ。夜になると、わけもなく泣き続ける。
それは、サチコがいてもいなくても、同じことらしい。
「ああ、なんてことないのに、俺の生活なんていっつもこんな風に暗いのに、なんでか悲しい。誰か大切な人が死んだぐらい悲しいよ、大切な人なんていないのに……サチコが壊れちゃったぐらい悲しい」
「木崎くん……私はここにいるよ、安心して」
サチコの指が俺の冷たい頬に触れる。涙をぬぐう優しい体温に、俺の涙はさらに流れ出した。こらえきれなくなって、俺は上体を持ち上げてサチコの腰に抱きついた。腹に顔をうずめて、声を殺して咽び泣いた。サチコの手も、俺を強く抱きしめた。
「ごめん、サチコ……俺にはサチコしかいないのに、たったひとりの君に、ひどいことばかり言って当り散らしてる……後悔で胸が裂けそうだよ、たったひとり俺を思ってくれる人すら大切にできないなんて、俺はもう生きている価値がないかもしれない、」
「そんなこと言わないで。私、木崎くんがどんな思いで私に言葉をかけるのか、ひとつひとつ理解しようとしてる。そのなかで、木崎くんの言葉から悪意を感じたことなんて一度もないわ、ただ私に、必死に自分の気持ちを訴えてくれてるだけだって、分かっているわ」
俺は手を伸ばしてサチコの肩を掴み、首に腕をまわした。ゆっくりと、サチコの手が俺を布団へ倒し、長いキスをされた。
「寂しい人、でも優しいって知ってるわ。私に救えるなら、一晩中触れていてあげる」
セクサロイドなんて言うから、安っぽく、娼婦のように「アイシテルワ」なんて言われる気がしていたが、全くそんなことはなかった。それとは対照的な説教のような口うるさい台詞が何故か、俺をぐちゃぐちゃに溶かしていった。


「木崎くん、木崎くん、起きて」
「……」
「おはよう」
「おはよう」
サチコはもう昨日貸した服を着て、いつものように部屋の隅に正座していた。
朝が来ると、昨日までのことは夢のように感じる。全てが。
布団をはいで身体を起こすと、青白く、痩せた自分の身体が目に入った。俺はとりあえずジャージに手を伸ばして着て、布団をたたんで片付けた。なんとなく照れてサチコに話しかけられなかった。
「……サチコ、あ、あのさ」
襖を閉めながら、背を向けて彼女に声をかけた。やっと。
「ん?」
「服、買いに行こうか」
「うん!」
「じゃあ、ちょっと、俺、朝飯食ってくるから……待ってて」
俺は部屋を出て、洗面所で顔を洗い――およそ2年ぶりに、リビングに足を踏み入れた。
ドアを開けた俺に、痛んだ茶髪を団子にしてまとめて、よれよれに着古したジャージを着、ダイニングテーブルで脚を組んでコーヒーを飲みながらニュースを見ていた母親が、振り向いて目を見開く。
「……おはよう」
「あ……あんた、どうしたの?」
「どうしたって、朝飯」
俺は冷蔵庫から林檎ジュースを出しながら答えた。久しぶりに母の姿をちゃんと見たが、ずいぶん老けて、やつれていた。
「待って、待って、私作る、座ってて」
バタバタとこちらへ走ってきた母親の顔が、少し嬉しそうだったのが目に入って、複雑な気持ちになった。
それに、急に出てきた俺にしつこく追求しないことにもびっくりした。
俺が引きこもりになってからの期間が、充分戒めになったのかもしれない。それで反省できる人間であるなら、そこまで悪い人ではないのかもしれない。
それとも、母親だから、俺がこの人を甘く見て許しかけているのだろうか。
「……そう、ありがとう」
俺は言われるままに、林檎ジュースとグラスをひとつ持ってダイニングテーブルに座った。テレビの朝のニュースを見ながら、ぼーっと頬杖をついた。
俺も、どうして自分が急にこんな行動を起こしたのかよく分からない。サチコに筆おろしされて勢いがついたのか。なんなんだろう。
なんだか、今までの人生で類を見ないほどの充実感で、何をしたって上手くいくような、そんな予感がしていた。

(2012.05.06)


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