サチコを再起動した。
昨日と同じ台詞。また白々しい敬語だった。危うく泣きそうになるぐらい切なかった。
「ねえ……ホントに覚えてないの?」
思わず問いかけてしまった。サチコはきょとんとして、
「申し訳ございません……電源が切れる前に私が一度起動されていたとしたら、そのときのデータは消えてしまっているので」
と、丁寧にわびた。俺は、そうか、ごめんね、と謝って、昨日と同じように「友達みたいに喋ってくれていいよ」と言った。「分かった、じゃあ木崎くんって呼ぶね」と、また同じ台詞、同じイントネーションだった。ああ、やっぱり機械なんだ、と思う。
「サチコ、君を作ったドクターのところに一緒に行こう」
初期設定が終わると、俺はすぐにそう言った。サチコが答える前に、背後でドアがノックされて、俺は飛び上がりそうになった。
ノックのみ。
母親がドアの前に朝ごはんを置きに来ただけだ。時計を見れば11時過ぎだった。
いつもならこのぐらいの時間か、あるいはもっと遅くにしか起きないのだ。作業に没頭していて気付かなかったが、相当腹が減っていた。俺はドアの外で母親の足音が消えていくのを待ってから、すぐさま盆を部屋の中に引き込んだ。
「分かった。でも、どうして?」
「君の欠陥について、あんまりよく分からないから、訊こうと思って。それから、君の充電器がないから取りに行かなきゃ」
サチコはこくりと頷いて了承した。昨日と変わらない表情と態度。忘れてしまっても、同じ彼女ならまだ安心できる。人間ならきっと変わってしまう。
俺は盆を机の上にあげて、椅子に座ってご飯を食べた。ちゃんとした体勢で食すのは久しぶりだ。サチコはうしろに立っていた。
「この部屋、昨日まですっごく汚かったんだよ」
「そうなの?」
俺は食べながら話しかけた。
「昨日、サチコが掃除してくれたの」
「……ごめん、覚えてなくて」
「大丈夫、俺は覚えてるから」
強がってそう言った。できれば記憶を共有していたかった。それが本音だ。
また一人ぼっちになったみたいだ。せっかくふたりですごした楽しい思い出ができたのに。こんなことの繰り返しなのだろうか、彼女との生活は。
欠陥は思っていたよりも深刻なものだったらしい。
俺はご飯を食べ終わって、盆をそのまま外に出した。これから外に出るのに今までどおりにしておくなんて、馬鹿馬鹿しい気もしたが、サチコを気にかけるのと母親と顔をあわせるのではまったくわけが違う。
「お待たせ……サチコ、その服って着脱可能?」
「もちろん。どうして?」
「そんな着物だと外出歩くとき目立つから。でもどうしよう、俺の服だと……いや、でかいってこともないだろうな。貸すから着替えてくれる?」
自分の身体の華奢なことぐらいよく知っている。適当に俺には少し小さくなったジャージの上下とTシャツに着替えてもらうと、案の定、結構ぴったりだった。アンドロイドとはいえ、一応着替えているあいだは後ろを向いていた。「着替えたよ」というサチコの声で振り返る。
「あっ、ちょうどいいね。でも、今度服を買ってあげるよ。かわいいやつ」
「うん!」
サチコは嬉しそうに笑って頷いた。その笑顔があまりに無邪気で、愛らしくて、俺はまたも彼女が機械であることを忘れかけてしまった。しかし、また一瞬で現実にかえる。その瞬間の悲しいことと言ったら、当分慣れるはずもないだろう。
俺は先に部屋を出て階段の下を見下ろし、母親が廊下にいないのを確認してからサチコを呼んで、ふたりで足音をぴったりあわせて階段を降り、玄関から外へ出た。
帰りに通ってきた獣道の記憶はあまりなかったので、俺はとりあえず総合病院に向かって、そこから由岐に連れられて歩いてきた道を思い出しながら辿った。ずっとまっすぐ進んでいくだけだったので、真剣に覚えようとしながら歩いていたわけではないが、幸い正確に思い出せたのでよかった。森が見えてきて、その中を進むと、真っ白い箱のような建物が見えてくる。俺はインターホンを押した。
「はい」
声は由岐のものだった。
「あっ、き、木崎です」
「木崎くん? 今開けるね、どうぞ」
ガチャン、と音がした。俺がドアを押すと、それは開いた。中に入ると、真っ白い廊下にいくつも同じ白いドアが並んでいる、圧迫感のある景色が広がる。その中のひとつが開いて、由岐が出てきた。その白に、由岐は溶けてしまいそうだった。人間でないはずのサチコのほうが彼女よりも、この無機質な空間で浮いて見えるほどだ。
「いらっしゃい。充電器忘れてたね」
由岐はあいかわらずの微笑をたたえて言った。
「あ、うん、そう。あと、欠陥のこともちゃんと聞きたくて」
「うん。ドクターいるよ。入って」
俺とサチコは由岐のあとについて部屋に入った。乱雑な室内は、昨日と変わらなかった。
「もう強制終了したの? 木崎くんならもうちょっともつかと思ってたんだけどなー」
ドクターはデスクに向かって何か書きながら俺にそう言った。やはり毒々しい瞳の色だけが嫌に印象に残る。
「どういうことですか?」
「まあ適当に座りなよ」
俺は言われるままに一番近くにあったキャスターつきの椅子を引いて座った。由岐はうしろのベッドに座って足をブラブラさせていた。やることがなさそうだったが、退屈そうではなかった。
「その子はね、極度に感情に変化が起こったときにメーターが振り切れて強制終了しちゃうんだよ」
ドクターは作業を一旦やめて、足を組み、汚い机のうえに頬杖をついた。サチコは部屋にいたときと同じように俺の背後に静かに立っている。
「感情?」
「ただの家事手伝いだったらそんな機能搭載しなくたっていいんだけどね、セクサロイドの機能で、一応“感情”っていうプログラミングがされてるんだ。もちろん嘘モノだよ?」
と言って彼は笑った。
「状況に応じて表情や動きをリアルに出すために、所謂人間で言う感受性みたいなプログラムが搭載されてるの。それはメーター形式になってて、与えられた衝撃が大きければ大きいほど振り幅も大きくなるってこと」
俺は黙って、何をしたか思い出そうとした。
「だからー、木崎くんがなんかしたから強制終了したんだよ」
「あっ」
「思い出した」
ドクターはにんまりと笑った。
抱きしめた。そうだった、俺が彼女にひどいことを言って、それを詫びるために抱きしめた直後に強制終了した。
「君みたいなタイプが早々に積極的なアプローチはないだろうと思って、“もうちょっともつかと思ってた”んだよ。それだけ」
ドクターがそう言ったが、そのときには彼の言葉は俺の耳から耳へと通り抜け、俺はただほんのりと哀愁を帯びた複雑な悦楽のなかにいた。俺の行動によってサチコの感情のメーターが振り切れるなんて、それはそう言われてみれば少しは嬉しかった。しかし、そんなことがいくら起こっても、忘れられてしまう。振り出しに戻ってしまう。
「もしかして今、じゃあセックスできないじゃん、って思った?」
答えない俺にドクターが単刀直入に尋ねた。
「い、いや……」
思いました。
「たぶん大丈夫だと思うよー。あっちから仕掛けてくるようになってるから」
彼はひょうひょうと言う。俺は返す言葉も見つからず、俯いた。クスッと由岐が笑ったのが聞こえた。
「あのお……充電器をください」
「ああ、そうだった、そうだった」
俯いたまま情けない声でそう言った俺に、ドクターは気にするそぶりも見せず、そそくさと立ち上がって「取って来るからちょっと待っててー」と言い残して部屋を出て行った。俺たちが入ってきたのとは逆側にもうひとつ白いドアがあって、そこから出て行った。
「……ごめんね、ドクターってそういうところ、全然デリカシーとかないの」
ドアが閉まったあと、由岐が口を開いた。
「知ってた……」
「私はなんとも思ってないから気にしないでね」
「なんかごめん……」
由岐は「なんで木崎くんが謝るの」と笑った。俺は下手くそな愛想笑いを返そうとして、ドクンと鼓動が高まるのを感じた。
まずい。
なんとなく嫌な予感はしていたのだが。
全身から血の気の引くような恐怖が駆け巡り、次の瞬間に起こることを予期した。そしてそれはそのとおりになった。脳みそがかきまわされるように思考がぐちゃぐちゃになっていき、どうしようもない不安と恐怖が苛む。
「木崎くん?」
目からの情報などあやふやになって、俺の様子がおかしいことに気がついた由岐の声が遠くで聞こえた。鼓動はどんどん早くなって打つ。ああ、こんなときに、ここで。呼吸が乱れて、嫌な汗がじわりと出てきた。手足が震える。それを封じ込めようと自分の身体を腕でぎゅっと固めてみるが、大した効果はない。
「大丈夫? 木崎くん」
由岐が自分のわきにしゃがみこんで俺の顔を覗き込んでいる。激しい眩暈がして、俺は椅子から落ちて倒れた。その状態で、ポケットの中を探って薬を取り出し、一錠出してそのまま口に入れて飲み込んだ。
「あれ? どーしたの?」
ドクターが部屋に戻ってきた。早く充電器を受け取って家に帰りたかったのに。
「パニック障害の発作と見られます。先ほど本人が、薬を服用して数分すれば勝手に治まるので特に対処はしなくていいと言われました」
サチコがドクターに答えた。数分すれば勝手に治まるとは分かっているのだが、この数分は永遠だ。
俺は床に手をついてのそりと起き上がって、今まで自分が座っていた椅子に顔を伏せた。常軌を逸してしまいそうな異様で空虚な恐怖感に、心臓をめったざしにされているようだった。誰かの手が背中をさすっていたが、それが誰だか考える余裕はなかった。
治まってきた。
俺は額の汗と目にうっすら浮かんだ涙を服の袖でぬぐって、静かに立ち上がった。
「すみません、もう大丈夫です」
これが、俺をいくどとなく地獄に突き落としている病気の実情だ。
「木崎くん、顔が真っ青。少し休んでから帰ったら?」
由岐が俺に言った。
「うん、そうしたほうがいいと思うよ」
ドクターも頷く。俺は少し考えてから、
「……じゃあ、すみません、ちょっとだけ」
と答えた。ひどく身体が重かった。
さっきまで由岐が座っていたベッドに横になると、「適当に起こすから」と由岐が言って、由岐とドクターは部屋を出て行ってしまった。部屋には俺とサチコだけが残された。
サチコはドクターに直接手渡されたらしい小さな充電器を手に持っている。
「そんな小さいんだ……それ、どこに挿すの?」
俺は自分の気を紛らわせたくてサチコに話しかけた。
「膣」
「ああ……そう……」
聞かなきゃよかった、と思いながら布団をかぶった。

(2012.04.29)

back

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -