「い、いや、でもやっぱりおぶっていくのはちょっと、さすがに、」
俺はアンドロイドの足元に膝をついて、“彼女”を眺めながら言った。
「なにさー、木崎くん男の子なんでしょう結局のところ」
「そっ、そうですけど……」
先ほどからこの人と普通に会話が成り立っていることがなんだか恐ろしい。久しぶりに外出して久しぶりに人と会話をかわした。その相手がこんな人間ともそれ以外ともつかぬ不可思議な人物とは、刺激が強すぎる。
「どうして電源を入れるとめんどくさいの? ドクター」
由岐が俺のうしろからアンドロイドを覗き込みながら尋ねた。
「初期設定とかやってたら日が暮れちゃうよ、そんなに長く、由岐ちゃん以外の人間にここに居座られるのは不愉快極まりないからねー」
俺が振り返ると、ドクターは汚いデスクにだらしなく頬杖をついて、いかにも意地悪っぽく笑った。
「……」
「大丈夫?」
首をかしげて微笑む由岐。俺は立ち上がって彼女と向き合い、
「アンドロイドって重いよね……」
と情けない声で呟いた。なぜそんな風になるかと言えば、わりと本気でこのアンドロイドがほしいからだと思う。
「いや、普通の人間の女の子ぐらいだよ」
ドクターと喋りたくないから由岐に言ったのに、彼は容赦なく口を挟んでくる。しかも、普通の女の子の重さなんて知らない。
「おぶってみたら?」
と、由岐。彼女はたかが人形の少女にときめいている俺を軽蔑しなかった。
――正直、無理な気がした。
俺は由岐の手も借りつつ、とりあえずアンドロイドを背中におぶった。着物の生地が堅くてごわごわする。当たり前だが身体はぐったりとしている。なんだか死体を背負っているようだったが、人形だと思うと嫌な気はしなかった。
思ったより軽い。が、ほとんど立ち歩くことさえもしない引きこもりの貧弱な足腰が、このまま結構な距離を歩き続けられるかが問題だ。しかし、
「が、頑張ってみる……」
願ってもない最高の出会いかもしれないのだから、少しぐらいの無理はいとわないつもりだった。
「そ。これ説明書。欠陥の内容も書いてあるからよく読んでねー」
俺は一度アンドロイドを椅子に降ろして、ドクターから白い小さな冊子を受け取った。
「あ、ありがとうございます」
ゲームの説明書みたいだった。こんな精巧な機械に、たったのこれだけしか説明することがないなんて、俺の知らないうちに、世界の技術はどこまで発達したのだろう。
ズボンの後ろのポケットに収まる彼女の説明書を携えて、俺はあらためてアンドロイドの身体を背負った。
「じゃあ、ドクター、私、木崎くんを送っていって、それからまた戻ってくるね」
「はーい、いってらっしゃい、あ、街まで行くなら、由岐ちゃん、バームクーヘン買ってきて!」
「うん、いいよ、ドクター」
由岐は優しく笑った。その笑顔が、定型から少しはずれたことが、なぜか印象に残っている。
「ド、ドクター、ありがとうございました、なんか、こんなすごいものをいただいて」
「あーいいのいいのー。どうせ失敗作だし。でも、大事にしてね?」
「も、もちろん……」
さっきまで邪魔だとか言っていたくせに、ドクターは最後に一度だけアンドロイドを愛しそうに眺めた。なんだかんだ言って、自分の作品には愛着があるのだろう。その顔を見ると、やはりドクターにもしっかり人間の心があるのかもしれない、と思った。
俺と由岐は研究所を出た。彼女が一目にさらされずに俺の家の近所まで行ける道を知っているというので、案内してもらったが、それが案の定木々の中を突き進む獣道で、俺は途中何度もぶっ倒れないか心配になった。しかし自分の執着心は思っていた以上に恐ろしいもので、これを手に入れるためなら本来存在しないはずの力まで出そうだったし、実際それを発揮していた気もする。
「この道を抜けると、木崎くん家がある住宅街だから、こっから気をつけてね」
「うん、ありがとう、由岐ちゃん」
「いいえ。私、木崎くんに今日偶然会えてとっても嬉しかった。またね」
「こっちこそ。じゃあ」
由岐は微笑んで手を振ると、街のほうに向かって歩き出した。足取りは、軽い。なんだかその後姿はそのままどこかに飛んでいきそうだった。隣を歩いていて“楽しそう”に見えたその姿は、遠巻きに冷静に見れば、危うい開放感を感じさせた。
俺は森を出て、神社の塀に沿って進み、見慣れた住宅街に出た。幸いにも人はいなかったが、俺は得体の知れない謎の着物の少女を背負っているのを見られる恐怖で、へとへとの足に鞭打って住宅街を駆け抜けた。が、角の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。俺は慌てて家に駆け込み、少女の身体を背負いなおしてからポケットの鍵を取り出した。間一髪、人が近づいてくる前に家の中に入れた。母親は出かけているようで、室内は真っ暗だった。息が乱れたまま、乱雑に靴を脱ぎ、ペースダウンしてはきっと進めなくなると思って、そのまま一気に階段を駆け上がる。そして自分の部屋のドアを開けると、すぐさま彼女を布団の上に降ろした。死ぬかと思った。
俺はしばらくその傍に寝転がって呼吸を整えた。足がガクガクして、立ち上がれそうにない。が、行く前に散らかしていった人形たちが気になって、無意識にそれを拾い集めはじめた。ゆっくり起き上がり、膝をついて人形を元の棚に戻す。
振り向いて、横たわる少女の姿にあらためて鳥肌が立った。
心地よい恐怖感、怪しい雰囲気は彼女の魅力の一部だ。あまりにも生々しく、今まで息をしていた人間が死んで間もない姿のように見える。そのグロテスクさも、美しかった。
いっそこのまま電源を入れなくてもいいかもしれない。少しだけそう思ったが、やはり彼女が目を開き、起き上がる姿に対する好奇心は高まりきっている。俺は取扱説明書を取り出した。表紙には、「取り扱い説明書 家事手伝いアンドロイドsachiko(型番p-00082)」と記されている。彼女の名前はサチコと言うらしい。俺はページをめくった。
そこでもう手が止まり、固まった。書いてある文章が、先ほどの由岐が語るドクターに関する説明と同じぐらい信じがたいものだったからだ。一種の正当性は持っているものの、根本がおかしい。
単刀直入に言えば、このアンドロイドの起動法は、“キス”らしい。なんでも、所有者のDNAを唾液から本体内に取り込み、その後所有者以外に起動させられないようにしてセキュリティーを守るためだと言う。もっともらしく記述してあるが、「本体を起動するには、まずアンドロイドの口の部分に自身の唾液を付着、もしくは流入してください。」なんてよくも大真面目に書けたものだ。
「本当に家事手伝いアンドロイドかよ……」
そう呟きながら次の項目に目をやると、「当製品は手違いにより家事手伝いアンドロイド以外の性能をプログラミングされており、家事手伝いアンドロイドのプログラムが正常に作動しない場合がございます。」と書かれていた。そういえば、これは欠陥品だ。そのぐらいのことには目を瞑ろうと思う。というか、完璧な美少女の外見に完璧な機能つきなんて、つまらない。欠陥があるほうが断然良い。本来の性能ではなくプログラミングされているものがなんなのか、そのときは非常にわくわくした、のだが。
ページをめくる。「当製品には、手違いにより別機能であるセクサロイドの性能がプログラミングされており、擬似性交渉が可能です。」
期待をゆうに超えすぎて、逆に今全てが萎えた。
家事があまり得意ではなくて、それでセックスができる。まるで本当の女の子みたいだ。
俺がもらってきたのは人形じゃなかったのか。ただの動く人形をもらってきたという認識でいたが、セクサロイドという笑っちゃうような名称とはうらはらに、なんだかものすごく生々しくてえげつない代物を目の前にしているような気分になった。しかも、今まで恋人はおろか、友達すら、由岐以外にはまともにできたことのない俺に、心を持たない美少女の偶像の所有権――良い話すぎる。悪寒がした。
さらに次の項目を読み進めると、「3日に一度ほど充電が必要です。付属の充電器をお使いください。」と書いてあったが、充電器などもらっていない。これはつまり、3日以内にまたドクターのところに行かなくてはいけない、ということだ。俺は思わず溜息を吐いた。「なお、過度に高温、低温の場所に長時間放置されますと、機械の不具合の原因になりますので、ご注意ください。」と続き、そのあとの説明は最後まで、分かりきったような当然の注意事項だった。後半のページに行くと、内容がデータの削除方法や廃棄方法などになってきたので読まなかった。
俺は説明書を閉じて、手を伸ばして机の上に置いた。
この説明書は、サチコの欠陥が発見されたあとに、特別にドクターが作成したものなのだろう。彼女のできることも、できないことも、この小さな冊子に全部集約されている。これが人間にもあれば楽なのに、と思った。俺にも欠陥はある、というか、恐らくこのサチコよりも多くの欠陥がある。俺だけではなく全ての人間に、多かれ少なかれ欠陥はあるだろう。でも、できることもある。この部屋に並べられている球体関節人形のほとんどは、俺が作った。最初は既成のものを買っていて、次に組み立てるものを買うようになって、今では一から自分で作る。小さな洋服もだ。俺にできることはそれぐらいで、あとは大きな欠陥として、パニック障害と喘息。根本的な内向的な性格もある意味一番大きな欠陥かもしれない。
程度は違っても、誰にだってあるはずだ。そんなことを小さな白い冊子にまとめて、これから関わりあう人に最初に渡す。それを読んだうえで、出会いが始まれば、人から誤解されて苦しむこともないだろう。俺の取扱説明書があったらいいのに。俺は彼女の取扱説明書を読んだから、対等に、彼女の電源が入って俺と彼女の出会いが起こる前に、彼女に俺の説明書を読んで欲しい。しかし、そう思ったときに、希望が見えた。アンドロイドなら、俺を理解してくれないなんていうことはさすがにないか、と思うと、誤解が怖くてこの部屋から出られない俺のもとに、ひとつの明るい光が灯ったような気がしたのだ。
俺はおもむろに四つん這いになって、アンドロイドの頭のそばに両手をついた。落ちてきた髪の毛を耳にかけて、深呼吸。彼女の顔に俺の影が落ちる。白い布団のうえにはらりと広がった、肩でまっすぐ切りそろえられたつややかな黒髪が美しい。俺は無意識に右手でその髪に触れた。張りのある手触り。何度も、何度もそれを撫でながら、肘まで床につけて、距離がゼロになる寸前の彼女の唇を一瞥してから、目を閉じた。
触れる前まで「機械だから大丈夫」と思っていたが、触れた瞬間、その感触に「俺の“はじめて”が……」と思った。
唇を離して、目を開ける。まだ彼女の目は閉じていた。が、俺が起き上がろうとした瞬間、まるでおとぎばなしのようなタイミングで、そのまぶたが、開いた。
俺と彼女の、目が合う。
心臓も、時計の針も、刻まない時間の中にいるようだ。
彼女は無表情のまま起き上がると、着物のすそを整えて正座した。動作のひとつひとつが優美だった。
「お初にお目にかかります。サチコ、と申します。これからよろしくお願いいたします」
丁寧に頭をさげ、サチコは顔をあげると同時に俺に微笑んだ。今まで死んだように目も口も瞑ったままで、美しさにも色味がなかった彼女の表情が、急に薔薇が咲くように華やいだ。
一瞬で、射抜かれた。

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