長崎から帰ってきて、一度東京のカエデの家に身を寄せた。クレアの仕事の都合もあって、バタバタするが明日にはもう車で兵庫に帰る。
里紗はあらためて見送りに来ると言っていた。なんだかんだで彼女とも長い間一緒にいたので、シュンもいざ別れとなると寂しい。
出発前日の明け方、シュンとクレアはカエデ宅の客間のベッドで寝ていた。
「……寝た?」
「寝た」
「話しかけてごめんね」
シュンが即座に謝ると、クレアは転げて笑う。
「いいのよ、はい、何?」
「帰ったらさ、」
「うん」
「一緒に住まないか」
クレアは寝返りを打ってシュンのほうを向き、
「本気で言ってる?」
と聞き返した。
「だめですか」
「だめじゃない! 嬉しい」
彼女は笑う。それを見てシュンも彼女のほうを向いて枕の上に右肘をついた。
「そんな嬉しいこと言ってくれるのね」
「なに」
「……なんでさあ、今まで気付かないふりしてたの」
「え?」
急にいじけたような表情になるクレア。うつむきかげんに少し頬が膨れて唇をとんがらせたその輪郭が、小さい頃とまったく変わっていなくて、シュンは思わず吹き出した。
「なんで笑うのよ!」
「ごめん、ごめん、いや、ちょっと」
怒鳴られてついに笑い出しながら、シュンは彼女の頬をつねった。
「可愛かったから」
「馬鹿」
照れているでもなく、本当にその言葉をぶつけたかったらしく、クレアは真顔でそう言って手を払いのけた。たまにそうしてからかってしまうが、それを長引かせると本当に機嫌を損ねて取り返しがつかなくなる。そのことは、彼女をほんの小さい頃から知っているシュンには分かりきったことだった。しかし、最近になって思う。そんな風に、兄貴面をしてえらそうにあしらってきた節はあったが、本当は昔から、彼女には影ながら支えられてきたに違いなかった。元気が良くて、裏表のない、感情表現がはっきりした女の子だから、単細胞に思われがちだが、実は内心ではすごくよく考えているし、賢い。子ども扱いばかりしていた自分が愚かだったと、今では思う。
「で、何? ごめん」
「だからあ、どうして今まで私の気持ちに気付かないふりしてたの」
「……フリしてない、気付いてなかった」
彼は苦笑いしながら小さく首を横に振った。それは本当だった。彼女に惚れられるとは、そんな現実味のない話はとても信じがたかった。今現在ですら、もっといい男が他にいるだろうにと思ってしまう。
「……それホントに?」
「ホントに」
「鈍感すぎて考えられない」
クレアは呆れて溜息と一緒に言葉を吐き出した。
「ホントにごめん」
「何度もはっきり好きって言ったわ」
「からかってるのかと思ってた」
「またそうやって子ども扱いしてたのね」
「まあ、そう、そうだけど……気付いてたとしても、自信がなかったから、取り合わなかったと思う」
「自信?」
そう、と答えながら、シュンは身体を起こし、彼女に背を向けた。
「上手く愛せる自信が」
「……」
「ないです、今も正直」
クレアはあおむけになって、視界の隅にその背中を見ていた。
「人は受けた愛情をそのままコピーして人を愛す。俺は決してあの人を否定したいわけではないけれど、同時に否定しきれないわけだから、もしかしたら殴ったりするかもしれない。それが怖いんだ」
「シュンに限ってそんなはずないわ。それに、上手く、って何かしら。愛に上手いも下手もないと思うけど」
「俺は基本的に愛するのがド下手くそな人に育てられたからさ」
「下手でも伝わってるなら上出来じゃない」
シュンは振り返った。
「愛されてたって思えるんでしょ?」
「そうだね」
「……でも、深刻かもね。そうやって、愛がなんなのか悩み始めちゃう時点で」
「やっぱそう?」
「まあ、でも、心配しないで、」
そう言って、クレアは手を伸ばしてシュンの腕を掴み、自分も起き上がった。
「あなたに正しい愛を教えてあげる。私にしか出来ないことなの」
そう囁かれて、彼は何も言わず、大人になった彼女の顔にじっと見入った。
「今までのぶん、取り返すぐらい幸せになりましょ。愛情の正しい正しくない、上手い下手って、要はお互いにとってちゃんと幸せが成り立ってるかどうかってことでしょ? 私、約束するわ。私の愛であなたのこと幸せにしてあげる」
シュンは真面目くさって語るクレアにフンと鼻を鳴らして笑い、不意打ちにその額にキスした。
「生意気」
そうは言ったが、まさしく彼女の言っていることに反論はなかった。自分自身ではどうにも出来ない問題だと思う。ひとりで生きていても、どうにか食いつないでいくことは出来るかもしれないが、やるせない人生だ。確実に、“誰か”が必要だった。しかし、この面倒くさい事情だらけの貧乏くじばかり引く男に誰が寄り添ってくれるだろうか。そこで思い切り全力で飛びついてきて抱きしめてくれるクレアが、存在してくれているということだけで感謝してもし足りない。
「うるさいなあ、ほだされてるくせに」
「まあ、そういうことにしとくよ」
「なにそれ」
「でも、クレアはそれで幸せ?」
「……もちろん」
当然、とでも言うように、彼女は頷いた。
「ていうか、これから何も起こらずに、何か起こってもふたりでなんとかやれば、生きていさえいれば幸せだと思うけど。だからね、あんたもそんな考えすぎなくていいのよ、愛とか、幸せとか。まあ確かにシュンは運悪いけど」
「うん……」
なんということもなくそう言ってのけ、クレアはまたごろりと横になった。
「まあ、なるようになるよな」
シュンも伸びをしながらうしろに倒れこんだ。
「運は悪いけど生きてるからな。生きてさえいれば、それが全てだよな……よろしく、これからも」
「うん、よろしく……じゃ、おやすみ」
クレアはそっけなく言って寝返りを打ち、彼に背を向けた。
今まで起こったどんなことも、とても忘れられそうにない。亡霊戦争の爪痕は深く残り、自らの運命を蝕む死神の手下の能力はまたも罪を背負わせた。多くを失ってきた。それでも、ここにある明るい光が、全て塗り替えてくれるだろう。そう信じてみるのも、悪くないかもしれない。
「おやすみ」
捨てたもんじゃない、この優しい世界に救われてきたこの命をかけて、君を守ろう。
シュンは静かに誓って、まぶたを閉じた。

「いっ!……びっくりした……」
カエデに背中を蹴られて目を覚ますと、もう傍らにクレアはいなかった。
「おはよう。里紗ちゃん来てるよ」
「あ、そう、おはよう。ごめん起きる」
カエデの顔が逆光で暗くなるほど、背景の窓から見える景色は明るい明るい夕焼けで、アイノコが寝て過ごす日中は、本日はさぞや天気がよかったのだろうと、シュンはかすかな羨望を抱いた。
「綺麗な星空になるだろうね、今日は」
その切ない憧れを慰めるかのように、カエデは振り返って窓の外に目をやりながら言った。
「朝ごはんもう出来てるから」
「あ、はい、すんません」
カエデはそれだけ言うと部屋を出て行った。
シュンが顔を洗ってリビングに入ると、
「あ、おはよう」
まずクレアが入ってきた彼に気付いた。
「おはよう」
「おはようシュン。お先にコーヒーいただいてます」
里紗の明るい笑顔と声に、シュンは感慨深く思って微笑み返した。
「おはよう。いえいえお構いなく飲んでください」
彼は彼女のはす向かい、クレアの横の席に座った。
「お、うまそう。いただきまーす」
カエデが作った朝食は、簡素ながらもすごく美味しそうで、シュンはすぐに食べ始めた。と、カエデがコーヒーを持ってキッチンからこちらへ来て、里紗のとなりに座った。
「長崎どうだった?」
「楽しかった」
彼の問いかけに、里紗は満面の笑みで答える。
「楽しいの? なんにもないでしょ、アオイの地元なんて、海しかないでしょ」
「楽しかったわ、確かになんにもなかったけど。サキもシオンもホタルさんも、いつも忙しいから、でもあっちにいるときは皆構ってくれて楽しかった」
「俺はいつも暇でごめんね」
シュンが口を挟むと、3人も笑った。
「まあ、あっちは公務員だから。忙しいさ」
と、カエデのフォローが入るが、「いやあ、でもやっぱり個人は儲かんないね、両方体験すると分かるけれども」とシュンはぼやいた。
「ていうかシュン早く食べて。早く車出さないと仕事間に合わないから」
「ああ、ホントだ、ごめんごめん」
クレアに腕を叩かれて、シュンは焦って食べるペースを速めた。
「そうか、でも、楽しかったならよかったね」
カエデは二人の様子を眺めて微笑みながら呟いた。
「ええ」
「頑張ってね、これから」
「え? ああ、そうね、ありがとう」
「応援してる」
カエデは淡々とそう言って、コーヒーをすすった。

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