「戦争のときに、アイノコに命を助けられたっていう人間の女の子がいたの」
運転席のシュン、助手席のクレアの背中に向かって、里紗は話し始めた。
「その人、今は大人で、国営の医療班に勤めてるんだけど、私と仲良くしてくれていてね、昔、その助けてくれたアイノコの話をしてくれたの。その人は私と同じ真っ白い髪の、背の高い男の子で、無人の街でひとりで泣いていた彼女を連れて、一緒にお母さんを探してくれたんだって」
「ミソラ……」
シュンが小さく呟いた。
「そうよ、その人、ミソラっていう名前だったって。シュン、知ってるの?」
里紗は身を乗り出して訊いた。
「あ、ああ、知ってるっつっても、戦争の前に一回会っただけだけど」
「すごい! 偶然ね。でも、彼は戦争に巻き込まれて死んじゃったって言ってたわ」
「巻き込まれたっていうよりは……直接冥府の女王に殺された」
シュンは悔やんでいるようなニュアンスでそう言った。
「冥府の女王にもっとも恨まれた女に惚れてたんだ。生きてたら俺よりひとつ年上だ。あんな若いのに死んじまったんだ」
「そうだったんだ……」
年齢のことまでは、里紗も知らなかった。
「で、ごめん。それで?」
シュンがトーンを切り替えて聞き返したので、彼女もあわてて話し始めた。
「ああ、そう、それで……話にしか聞いていなかったけど、その助けられたって人が、あんまり瞳を輝かせて話すものだから、私も空想ばっかりで頭でっかちになっちゃって、いつしか私の頭の中では、霊媒師っていうのがすごくかっこいいものに思えたの。しかも、そのアイノコは私と同じ髪の色をしていたんだし、私もいつかそうなれるような気がしたの。それが、霊媒師になりたいと思い始めるきっかけだった。子供の夢だったのに、気付いたら本気になってたわ」
「そうよ、里紗ちゃん、結局、家に帰ったらどうするの? 学校は?」
クレアが振り返って訊いた。彼女の笑顔につられて、里紗も笑って答えた。
「学校には行くことにした! クレアが人間と同じ職場でも頑張ってやっていってるのを見て、私ももしかしたら、本気で接したら友達ができるんじゃないかって思えたの。だから、学校には行く。家出してて休んだ分も、ちゃんと取り返すわ。一応今も、ある程度レベルの高い学校に行ってるの。先生も、このままいけばいい大学に行けるって言っているし、やってみる価値はあると思う」
「私もそれが良いと思うな。自分は人間社会にとっては異端者なんだから、どんどん自分から突っ込んでいかなきゃだめよ。でも、意思を持って、心を開いて接したら、絶対に分かり合えるから。応援してるわ」
クレアは親指を突き立ててみせた。里紗も同じようにしてそれに答え、深く頷く。
「それで、将来は?」
そう訊いたシュンの声は、少しだけ不安そうだった。なんだ、やっぱり彼までうちの両親と同じか、と里紗は一瞬むくれたが、
「でも霊媒師には絶対になる」
とすぐに答えた。
「世界で一番頭のいいアイノコになって、もっともっと住みやすい世の中にしたいの」
「さすが、革命家夫妻の血が流れてるだけのことはある」
シュンはそう言って笑った。
そこで初めて、確かに親と同じようなことを言っていると気がついた。
親と同じ職業に就きたいとは言ったが、あまりに似通った道を辿るのも躊躇われた。しかし、それは仕方がないのかもしれない、と彼女は思う。
「だって私は、悲劇から生まれた新時代の子供だもの……世界を変える義務があるわ」
「あんまりそうやって自分を追い詰めるなよ」
シュンが優しく言った。
「そう、里紗ちゃんは真面目だから、あんまり重く捉えすぎると、心配だわ」
と、クレア。
「自分の親の思想をあんまり気にして真に受けるもんじゃないよ。間違っているわけではないけど、いろんな派閥の思想が交差してる現代社会で、サキさんたちの考えも一例にすぎない。判断するのは里紗自身だ……今回の家出を忘れてくれるなよ? これが里紗にとって、初めて自分の意思で行動した第一歩だろ? そうしたら学べることがたくさんあったんだ、これからもきっとそれは同じことだと思う。人に左右されない、頑固な里紗でいてくれよ」
「それってどうなの?」
そう言って里紗が笑うと、ふたりも一緒になって笑った。
ものの一週間と少し。
短い時間だったが、3人で過ごした時間は、里紗にとっては今までにない楽しさ、生まれて初めての至福のときだった。こんなに心が通い合ったのは初めてだった。
その日々が、もう終わってしまう。
「でも、本当に、ありがとう。シュン、クレア」
ふいに言葉が出ていた。
覚悟を決めたりしていたら、照れて出てこなかったであろう言葉が、簡単に。
「絶対忘れないわ、家出したこと。家出してなかったら、シュンに出会ってなかったら、いろんなことが分からないままだったのよね、私。そう考えると恐ろしいぐらいだわ。ほんとに感謝してる」
「俺も里紗に出会わなきゃこうやって決意がつかないままで死んでた気がする。ありがとう」
と、棒読みで語るシュンに大爆笑しながら、
「私も、同じ家出少女として帰るきっかけをくれてありがとう」
とクレアも言った。
「そうよね、私たち3人とも、会うべき人に会えないままだったのよね……」
「3人そろわないと勇気がでないなんて……」
「なんつー貧弱な」
いやに深刻みを帯びたシュンの言い方に、またクレアが吹き出して、里紗もつられて笑った。



まず訪れたのは、カエデの家だった。
クレアはだんだんと彼の家が近づくにつれて口数が減り、顔も真っ青になってくる始末だった。しばらく3人で「まったく情けないね」「情けない、情けない」と言いながらクレアを励ましていたが、それもつかの間、とうとうカエデの家の前に到着してしまった。
「ま、家にいない可能性もあるから」
車を降りて、シュンは軽く言ってクレアの背中を押すが、
「でもあの人出不精だし余生満喫中だし……絶対いるわよ……」
と呟いてクレアはなかなか家の門にすら近づけなかった。見かねたシュンが勝手にインターフォンを押してしまう。クレアがリアクションするより先に、「はい」とインターフォン越しにカエデの声が聞こえた。
「あ、シュンです。今平気? ちょっと出てきてくれる?」
「えっ、シュン? 里紗ちゃん帰ってきたの?」
「うん、それもそうなんだけど、とりあえず出てきて」
シュンはせかせかと言った。里紗は緊張で真っ青なクレアを見ているだけで心が折れそうだった。自分も数時間後には同じ状況になっていることだろうと思うと、変な汗が出てくる。
ほどなくして、ガチャリとドアが開いた。
ぴたり。カエデとクレアの目が合う。
沈黙。クレアの口はふっと開いたが、何か言おうとしてもそれは白い息になるだけで、言葉の形をなすことはなかった。そのまま、沈黙が流れた。カエデもドアノブを掴んだまま、驚きに身体を固まらせている。が、
「おかえり」
ふいに微笑んだ彼の口から出たその言葉に、あたりの凍りついた景色が一気に溶けたようだった。
黙ったままだったクレアが、うつむいて、嗚咽を漏らした。
「ほら、何泣いてんの。入りな」
カエデが笑った。そしてクレアの肩をさすりながら里紗を一瞥、
「里紗ちゃんもおかえり」
と、微笑む。
「ただいま」
「いい旅だった?」
「ええ、とっても」
「じゃあ、俺たち行くとこあるから、行っていい?」
シュンが間髪いれずにそう言い放った。意外にも彼が一番冷静であることに驚いた。
「どうぞどうぞ。私はこの子と久しぶりに師弟水入らず……」
冗談めかしてそう言ったカエデの目にも、うっすら光るものが浮かんでいた気がした。
こんな風に、なんの言葉も要らず、ただもとの関係に戻ることができたらいい。でも、できるだろうか。里紗は少しだけ不安になった。
「里紗ー、早く乗れー」
シュンの声にふと我に返る。今度は助手席に座った。
「クレア、またあとで連絡する。じゃあな」
彼女は背を向けたまま右手をあげて応答した。それを確認して、シュンも車に乗り込む。
エンジンがかかり、発進する車。徐々に加速して、また道路を走り始める。しばらくお互いに何も言葉を交わさなかった。
「サキさんとシオンさんには、今日このくらいの時間に行くって言ってあるから」
シュンが唐突に言った。
「そう」
里紗は自分の髪の毛を指先で弄びながら答えた。
そしてまた会話は途切れる。クレアがいなくなった車内はなんとなく寂しかった。シュンとクレアが兵庫に帰る前に、もう一度3人で集まろうとは言っていたが、なんだか、臆病者同士で身を寄せ合っていた間柄で、ひとりがそれを卒業していった寂しさだけがそこにあった。さらに、胸には不安がつのる。でも、大丈夫。里紗は自分に言い聞かせて、深く息を吸い込んだ。私はひとまわりもふたまわりも大きく成長したのだから。
深く息を吐き出した。


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