車は郊外へ出て、日がすっかり落ちた頃、広い日本家屋のわきに止まった。表札には「岸本」の文字。
「いいなー、田舎は。家でけえし駐車場もでけえ」
この家のものらしい黒い車が一台、駐車してある。
車を降りて、シュンがインターフォンを押し、「ご依頼受けてまいりました、個人霊媒師のものですが」と気のない定義の挨拶をすると、すぐに女性の声が返事をかえして、廊下を走ってこちらへ向かってくる音が聞こえた。
ガラリと、玄関の引き戸が開いて、中年の女性が顔をのぞかせた。
「どうも、」
「本日はお世話になります。さあ、どうぞ、どうぞあがって」
えんじのタートルネックのセーターを着た、気の弱そうな女性は、柔らかい関西弁でそう言った。そういえば、このあたりは関西だった。シュンもクレアも標準語で話すし、それ以外の人間との接触もなかった里紗は、そこでやっとその事実を目の当たりにしたようなものだった。
「俺ひとりで来るはずだったんですけど、すみません、今日は見習いのものも一緒で」
「えぇ、えぇ、構いませんよ」
女性、シュン、里紗の順に廊下を進みながら、ふたりのやり取りを聞いて、里紗は「見習い」と呼ばれたことが嬉しくて、誰も見ていないのを良いことにひとりでにそにそと笑っていた。
居間に通された。
すぐに、仏壇の前に立てられた、少年の遺影が目につく。
「どうぞ、適当におかけになって」
女性にそう言われて、里紗とシュンは部屋の真ん中のこたつを囲んで座った。ちゃぶ台の真ん中には、お決まりのようにみかんが入ったかごが置いてある。台所から、湯飲みを2つお盆に乗せた女性が出てきて、
「息子が死んだのはもう15年も前なんです」
と、話し始めた。
「ずっと何も起こらなくて、ちゃんと成仏できたんだと思っていたんですけどねえ……最近になって急に、家の中で変なことばかり起きるようになって」
「つかぬことをお尋ねしますが、ご主人は?」
出されたお茶を即行ひとくち飲んでから、シュンが訊いた。
「ああ、主人とは……まだあの子が生きている頃に離婚しまして、数年前まで一緒に住んでいた私の両親も、立て続けに亡くなって、今ではこの家に住んでいるのは私ひとりなんですよ」
「そうすると、息子さんはあなたがひとりで寂しそうだったから来てしまったと考えるのが自然かと」
「そうですね」
岸本夫人は切なげに苦笑いして、落ちかかってきた髪の毛を耳にかけた。
「それでも霊媒師を頼んだというのは、日常生活が困難になるほどの迷惑をかけられているからですか?」
「ええ、まあ」
「電話では、金縛りやポルターガイストに関して仰っていましたが」
「はい」
「亡霊の姿をその目で確認したことは?」
「あ……ありません、私、」
彼女は急にはっとしたような表情を見せた。
「勝手に息子の霊だと決めつけてお話していましたが……実際はどうだか……」
「息子さん、ご両親のほかに、あなたの知り合いで亡くなった方は?」
「とくにいません」
「この土地に住みついている、まったく関係のない亡霊の可能性もあります。もし万が一、霊が複数だった場合、どうしますか? それも退治したいなら、退治したぶんだけ別途で料金をいただくことになりますが」
シュンの声は、プログラムされた内容をそのまま再生しているロボットのようで、無機質で、そのうえ、
「あ、お、お願いします」
「じゃあ、一番出現率が高かった部屋を教えてください。今晩はそこで待機します」
ひどくつまらなそうだった。
彼はぐっとお茶を飲みほして、すぐさま立ち上がった。どうやら話を長引かせないために早く飲んでいたらしい。一方里紗の湯飲みには、まだ半分以上お茶が残っている。が、彼女も急いで立ち上がり、岸本夫人について部屋を出た。
通されたのは、息子が使っていたと思しき部屋だった。
細部まで、15年前の生活感が綺麗に残っているようで、だいぶ気味が悪かった。ベッドのシーツのしわ、勉強机のうえに散乱した文房具、読みかけの漫画、きっと夫人は何も触らず、当時の記憶をここに閉じ込めておきたかったのだろう。しかし、来客のためにほこりだけは綺麗に取り除かれていた。
「今夜はここにいっさい立ち入らないでください。朝になってこちらが出てくるまでは」
「わかりました……では、よろしくお願いします」
彼女は深々と頭をさげて、部屋から去っていった。
「さーてと」
シュンはすぐさまベッドに腰を下ろした。
「す、座っちゃうんだ……」
「こっから長丁場だぞ、死んだやつの思い出に気ぃ使わなくていいの」
そう言われて、里紗も恐る恐る彼の隣に座った。
「思ってたより、地味だろ」
シュンが低い声でそう語りかけた。里紗は頷く。
「現実、こんなもんだぜ。やんなきゃいけないからやってるってだけだよ、霊媒師の仕事なんて」
彼女は何も返せなかった。
「まあ、現実見るのは悪いことじゃないからね。またひとつ、里紗も賢くなったってわけだ」
「し、仕事を……」
里紗は言い出したはいいが、また口ごもってしまった。ゆっくり息を吐いてから、続ける。
「最後まで見てから、また考える」
「うん。そうしな」
シュンは優しく言って微笑んだ。マスクをしていても、微笑んだのが分かるぐらいだから、彼にしてはよく表情筋が動いたほうだと思う。
あ、やっぱり。
里紗は冷静に思った。これまで冷静になれなくてよく分からなかった。しかし、今は明確にそれが分かる。
あ、やっぱり恋だ。これが恋だ、と。




「息子さんの霊でした。思いが強すぎて、上手くリミッターがかけられなかったみたいで」
「そうでしたか……」
「でも、岸本さんがひとりでいらっしゃるのを不憫に思って降りてきてしまったそうです。苦しまず、すぐに成仏しました」
「そうですか……本当にありがとうございました」
まさに"すぐ”だった。やはり、シュンの剣さばきは素晴らしい。もし斬られるのが私でも、あのスピードならいっさい苦しまず即死できそうだ。
そして、やはり見えていないとは信じられなかった。でも、彼は斬るとき目をつぶっていた。それでも、あの狭い部屋でいっさい身体がぶつかったりしない。里紗はその神技を、ベッドの隅に座り込んで呆然と見ていた。
「追加料金はなしですね。じゃあこれで失礼します、またご贔屓に」
里紗とシュンは家を出て、来た道を車で帰った。白んだ朝の空は、いつもよりもっと高いところにあるようで、なんだか物悲しかった。
「どうでしたか」
ハンドルを切りながら、棒読みでシュンが問いかける。
「……難しそう」
「やりたくなくなった?」
その言い方がちょっと期待している風だったので、里紗は、
「そうじゃないけど!」
と強く言い返した。シュンは笑いをこらえているようだった。
「俺は勧めないよ」
「そう……」
「せっかくこういう世の中になったんだ。アイノコだから霊媒師をやんなきゃいけないって時代は終わった。その新時代を作ってくれたのは、里紗のお父さんとお母さんだろ?」
「なんか、シュン、うちのお父さんとお母さんが自分の上司だったって気づいたときから、急にあっちサイドになったね……」
落ち込んだ声でそう言ったら、「えっ、い、いや、そうじゃないんだって」とシュンが焦りだしたのが、少し面白かった。
里紗は一通り笑ってから、シュンに訊いた。
「ねえ、なんで日本に戻ってきたのに、国営の会社に戻らなかったの?」
「え……?」
「絶対サキとシオンも、シュンに戻ってきてほしいと思ってるはずだよ」
両親のことは、そう言えば名前で呼んでいた。里紗はふとふたりの顔を思い出す。ふたりは、里紗が大きくなってからは、両親と言うにはあまりに対等に接してくれて、まるで仲良しの友達か、歳の近い兄弟のようだった。
それなのに、進路の話になると、急に両親面をする。
”心は同い年のくせに”
と思っていた。でも、気がついた。心は同い年でも、明らかに、彼女と両親とでは、大きな経験の差がある。
ふたりは知っていたのだ、自分たちの世界の、恐ろしい部分を。悲しい部分を。汚い部分を。だから、そこから彼女を守ろうとしてくれていたにすぎなかった。それに、気がつけなかった。
「戻ってきてほしいなんて、思ってないよ」
シュンは吐き捨てるように笑った。
たまに、怖いぐらい絶望的な目の色をする。この人は。それが里紗には、切なくて、悲しくて、たまらなかった。
「シュン、」
「ん?」
信号待ちで、車内が静かになった。
「お願いがあるんだけど」
「聞いてから決める」
「いいよ。じゃあ……あのね、」
自分の心音が聞こえてきそうなぐらいに、心臓が高鳴っていた。顔がほてって、冷や汗まで出てくる。挑戦への緊張と、恐怖で、だ。
「私、東京に帰る。だから……シュンも一緒に帰ろう」
「ど、どういう意味? え、それは、俺に会社に戻れって言ってるの?」
里紗と反対に、シュンの顔は青ざめている。
ごめんなさい。心の中で謝りながら、里紗は深く頷いた。


back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -