「シュンは昔、東京の国営にいたのよね」
「うん」
“君から話してやったらいいよ”カエデの言葉をふと思い出す。
「戦争が始まったのは俺が17のときだった」
シュンは、ハンドルを切りながら話しはじめた。
「昔、長崎にひとりのアイノコが住んでいて、彼は5人の弟子と一緒に暮らしてたんだ。弟子は、ナギサ、ナナミ、カレン、ホタル、アオイの5人。里紗も知ってるだろ、ホタルさんはあの戦争に絡んだ5人兄弟のうち、唯一の生き残りだ」
「ホタルさんは知ってる」
里紗は頷いた。
「あの戦争から40年も前の話……だから、今から57年も前になるけれど、5人兄弟のなかで、ナナミっていう少女が突然失踪した。他の兄弟たちは必死で探し回ったけど、結局見つからなくて、そのうえ、もともと身体の悪かった彼らの師匠が同時期に亡くなった。どこにもいないナナミ、誰も本当のことを知らなくて、その不信感と、大好きだった師匠の死をきっかけに、4人は決別し、それぞれ上京した。ナナミの恋人だったナギサと、ナギサに想いをよせていて、ナナミを殺したんじゃないかと疑われていたカレンは個人で霊媒師の仕事をはじめ、ホタルとアオイは国営霊媒会社に就職、それ以後40年間、互いにまったく連絡も取り合わず、ホタルとアオイもずっと不仲のまま他人のように生活してきた」
シュンは鼻をすすって、ちらりと、一心にこちらを見つめて話を聞いている里紗の方を見た。
「40年過ぎた夏に、東京で婦女連続殺害事件が起きた。犯人は亡霊らしかったが、捜索は行き詰ってた……あ、この頃には俺ももう国営に勤めてた。一方で、その事件がナナミの失踪事件と絡んでいると見たカレンが、偶然再会したナギサを巻き込んで、婦女連続殺害事件の犯人を追い始めたんだ。彼女の読みどおり、その事件の犯人はナナミの亡霊だった。ナナミは40年前のあの日に死んでいて、最強の力を持つ怨霊になりかわっていた。彼女が地上に降りてきた理由は……このへんは俺にもよく分かんないんだけど、」
彼は一息おいて、里紗に尋ねた。
「知ってるか? こんなの。冥府には死神っていう存在があって、それはかつて生きていたものの魂が代々引き継いでいくものらしいんだ」
「初めて聞いたわ」
「死神になれば、大抵の望みは自らの手で叶えられるらしい。ナナミの目的はまさにそれを必要としていて、彼女の目的は……ナギサを自らの魂に取り込んで、永遠に一緒になることだった。怖いだろ、こんな怖いことを考えてるやつが地上に降りてきたもんだから、本当に恐ろしいことになったんだ。ナギサはもちろん昔はナナミを愛してたけど、悪魔のように豹変して、愛よりも所有欲に溺れたナナミに、40年前と同じ気持ちを抱くことはできなかった。彼はその魔の手から逃れようと、逃げ隠れし続けた。でも、思い通りにならない展開に憤ったナナミが、冥府から大量の亡霊を傀儡として呼び寄せ、そこから亡霊とアイノコの全面戦争になった……どう考えたって、全国のアイノコを集めたところで、今までに死んだ人間のほうがはるかに多い。被害は都心に集中していたから、人間たちは都外に避難させたけれど、アイノコの犠牲者の人数だけでも計り知れない。兄弟たちの中でも、カレンは戦後に自殺、アオイは……俺の師匠は、俺をかばって戦死した」
シュンは深く息をついた。
戦争のことはまだしも、自分自身の問題に関してここで明言する気にはならなかった。
「で、逃亡生活に気が狂いかけたナギサは、ナナミのことを愛せない自分に対して、自己同一性の喪失を感じ始める。そしてナナミに自らの身体を渡すことを決意する……んだけど、結末は衝撃的なものだったんだ。たまに、特殊な能力を持ったアイノコがいるだろ? ごく稀にだけど。ナギサはまさにそれだった、彼は人の、特定の記憶を改竄する能力を持ってた。加えて、カレンもその類で、触れれば人の記憶を見ることができた。もともとナギサから聞いて、彼が記憶を改竄できることを知っていたホタルと、その能力を持つカレンに言及されて、ナギサは“あること”を思い出した。彼は自らの記憶を改竄してたんだ……記憶はカレンがナナミを崖から突き落としたかのように書き換えられてたけれど、実際は、ナナミを殺したのはナギサだったんだ」
「え? どうして?」
驚いた里紗が訊いた。
「今じゃきっと考えられないだろうが、あの兄弟たちの時代だと、アイノコが子供を作ることは禁忌みたいな扱いだったんだ。ナナミは妊娠してた。ふたりは誰にも言い出せなくて、心中を決意したんだけど、崖からいざ飛び降りようっていう瞬間になって、恐れをなしたナギサが、繋いだ手を振り解いて、自分だけ飛ばなかった。ナナミだけが落ちて死んだんだ。ショックと罪悪感のあまり、彼は自分の記憶を改竄し、ナナミの記憶も、カレンに殺されるものと入れ替えた。このへんはカエデ伝いにホタルさんから聞いた話なんだけど、このことをナギサが思い出したときに、ホタルさんも幻影でその現場を見たらしいんだ。直後、あたりが爆発するみたいな真っ白い光に包まれて、居合わせた一同、それどころか東京にいたアイノコ全員、皆気を失った。意識が戻ったときには、ナナミも、他の亡霊も消えていて、ナギサもいなかったらしい。そうしてこの戦争は終結していった。俺の知っている中で、遺されたのはホタルさんと里紗の両親、それから俺だけだ」
里紗は何度か頷いて、それきり黙っていた。自分とは直接関係のない話にしろ、彼女は衝撃を受けていた。彼女は、いわばこの悲惨なできごとから生まれた子供だ。そう思うと、シュンは彼女の立場を少しだけ不憫に思った。
「それがあの戦争の事実だよ。まあ、かいつまんで話したし、俺も知らないところがたくさんあるけれど」
彼は車のヘッドライトが照らす夜道を見据えながら思い返した。自分が知っているあの戦争は、本当に端の部分だけだ。
あの戦争の最中にありながら、常にまったく別の問題の中に身をおいていた。無論、アオイはシュン――もといハルをかばって死んだわけではない。アオイの亡骸を発見したのち、彼は藍と再会した。藍は、“アオイはただ、自分のような人間がハルの命を気安く救ってしまったことにたいする罪悪感に押しつぶされ、全て終わらせる為に殺されに来たようなものだ”と語った。それでもハルにとっては、彼の死は重大なことであり、彼を殺したのは他ならぬ藍だった。しかし、恨めど恨めど、そのときの彼に、仇を討つほどの力は残っていなかった。後々、肺炎が悪化して死ぬ寸前だったと発覚したぐらいだ。それにしてはよく動き回っていた。同時に、死神の代替わりをきっかけに藍は姿を消してしまった。彼もまた、ハルを死神の手下として育成するという使命を、全うできぬまま絶えていったのだ。
「私はアオイの古い友人のカエデ。彼に頼まれて、君を引き取りにきたんだよ」
都市全体が閃光に包まれ、長い眠りの時を経たあと、ハルのもとにやってきたのが、カエデだった。まだ幼いクレアの手を引いて、わざわざ移住先のイギリスから、この荒れ果てた東京へと戻ってきたのだ。
また俺に恩をきせる気か、と恐れ、ハルもしばらくはカエデの無償の好意を受け入れることができなかった。しかし、彼は誠実な男であった。恐れていたのはまさしく、カエデがアオイの二の舞になるということ。そう気付いたときから、それまで盲目的に慕っていたアオイへの自分の感情が、とても空虚なものに思われて、ハルはさらに苦しんだ。
しかし、そのときにはカエデもクレアも大きな支えとしてそこに存在していた。ハルは身体もよくなり、精神的にも落ち着くと、ひとり、日本に戻って新しい生活をはじめた。しばらくは、誰にも拘束されない、自由な時間がほしかったのだ。しかし、そこに来て新たな心配が生まれてきた。ふと気付けば、自分は性格から趣味からなにまで、かなりアオイに似ていた。たまに連絡を取り合うだけのカエデにも、「最近のシュンはアオイそっくりだね」と笑われる始末。酒も女遊びも派手ではないし、あそこまで自堕落ではないと思うのだけれど、確かに、自分までいつか、大した器がないのに、ただ一時的な満たされない寂しさなんかを原因にして、人の命を助けてしまうのではないかという不安が確かに、彼の中にはあった。
「クレアに……家出されちゃったんだ。日本に行くって言ってた。君がいる、兵庫に行くって言ってた。私が不甲斐なかったまでにこうなってしまったのだけれど、一生のお願いだ。私の代わりに、あの馬鹿娘を守ってやってくれないか」
その矢先、師弟の決別と、カエデの真に迫った懺悔。
「わかった」
また何か背負わされた、と思った。しかし、この誓いを破るわけにはいかなかった。またがんじがらめになる予想はついていたが、カエデもまた、まさしく“命の恩人”だ。彼の願いをはねつけることはできなかった。
これ以上思い出すのはやめよう。
シュンは横で難しい顔をして座っている里紗を見て、現在の世界に戻ってきた。思い出したくない思い出まで、掘り返しかけたので、自らストッパーをかけたのだ。
「もうすぐ着くからな」
表向きにはただ里紗に告げ、同時に彼は自らのぎゅっと掴まれたような心臓に語りかけた。

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