もう、日が昇ってからしばらく経つ。
眠ってしまった里紗を家に残して、シュンはクレアをおくっていった。
「別によかったのに。眠いでしょ」
「お前、自分で思ってる以上にフラフラしてるからな」
「そう?」
クレアは、あはははと気の抜けた笑い声を白昼の町に響かせた。
「……シュンに心配されるなんて終わりね」
「なんでだよ」
「だって私、四六時中あんたのこと心配してるわ。危なっかしいんだもの」
シュンはその言葉に溜息をつく。
「なんだよそれ……俺だってもういい歳だぜ、自分のことぐらい分かってるさ」
「分かってるならどうしていつも無理ばかりするのよ」
シュンは黙ってしまった。今まで酔っ払ってヘラヘラ笑っていたクレアが、急に真剣な目をしてものを言うものだから、面食らったのだ。
「あなたは昔よりずっと幸せなはずなのに」
「どうかな」
「どうしていつまでも重たいものを背負ってるような、苦しい生き方してるの?」
「……癖だ」
彼は自分でもよく分からない返答をして、クレアに合わせて落としていた歩く速度を速めた。
昼間とは言え、太陽は遠く、空気は凍りつくようだった。溜息も嗚咽も、なんてことない憎まれ口も、白い煙となって空へ昇っていくこの季節は、やはりあまり好きになれない。
「もう戦争は終わったのよ! あんただけまるで置き去り!」
後ろからクレアにそう言われて、シュンはついにカチンときた。振り向いて後ろ歩きしながら、言い返す。
「戦争を体験してないやつがえらそうな口を叩くな!」
「前見て歩きなさいって言ってるの!」
「見てるさ!」
答えながら、シュンはまたクルリと方向転換する。
「リサちゃんのことは、絶対大切にしてよ。それでちゃんと、親元に送り届けるの」
「ああ、極力な。すぐ送り返すつもりだ……やっぱり善行も重荷にしかならないんだな、俺が馬鹿だった。拾わなきゃよかった」
信号待ちで、クレアが彼に追いついた。
「だからその考え方がダメなのよ! どうして人との関わりをプラスに考えられないの?」
「今までの関わりがプラスになったためしがないからだよ」
「カエデも?」
シュンは横目で彼女を睨んだ。
自分はカエデを捨てて家出したくせに、彼がカエデをないがしろにすると怒る。
「無責任に自分の善行を人に押し付けるやつは気に入らないね。カエデにはもちろん感謝してるけど」
ビンタされた。
信号が青になり、隣の通行人が横断歩道を渡っていく。シュンとクレアだけがそこに立ちつくしたままだ。
冷えた頬をはたかれたので、予想外にジンジンした。
「最低。クズ」
「なんとでも言えよ」
「もういい。送ってくれてありがとう。じゃあね」
クレアは走って横断歩道を渡って行こうとした。が、シュンも黙ってそのあとを追う。
彼もどうしてそんな風にしようとするのか、自分でよく分からなかった。
人の好意が苦痛でしかなかった。彼自身を含め、彼らが互いを必要にして、互いの存在なくしては生きていけないこの世界のシステムそのものが、彼にとっての最大の重荷であって、足枷だった。
誰かのために、何かのために。そんな言葉を聞くたび、虫唾が走る。助けられたから生きなければならなかった。苦しんだ。その拘束から解放されたと思った矢先、この世界はまた救いの手を差し伸べる。また終われない。今度はまた、この恩恵のために生きなければいけない。もううんざりだと。しかし彼は、誰のことも恨んでいるわけではなかった。馬鹿らしい優しい世界が好きでもあった。ただ、この世界に自分がふさわしくなくて、居心地が悪いように感じることがある。それはまったく、あの師匠譲りだな、と彼はたまに自分自身を嘲った。
「ついてこないで」
「心配だから」
「そういうの、ありがた迷惑って言うのよ、あなたが嫌いなね!」
「俺がいつこれを善行だって言ったよ」
クレアはさも不機嫌そうに、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
「手袋してないのか」
「手袋って、もさもさして嫌いなの。小銭とか出しづらいし」
シュンは黙って手を差し出した。クレアはいぶかしげに、その手と彼の顔を見比べる。
「……何よ」
「手ぇ貸して」
「やだ」
そう言われたのもお構いなしに、シュンは彼女のポケットに自分の手を突っ込んで、彼女の冷たい手を握った。
「つめてえ」
「あんたの手、あったかい。心が冷たいのね」
「そうだね」
「……善行は理解できないらしいけど、愛って分かるかしら?」
まだ怒った調子で、しかし、彼女はそんなことを問うた。
「たぶん」
シュンは空いているほうの手で頭をかきながら答える。
「……好きなの? 俺のこと」
「馬鹿だと思う?」
半笑いでシュンが頷くと、クレアは彼の手をぶんっと振り払った。
「だって俺、最低なクズ人間なんでしょ? お前が一番それを知ってるくせに」
「そうね、私って頭がどうかしちゃってるのかも!」
バス停が見えてきた。
「いい? 善行も愛も、所詮は我がままなの。私もあなたと同じに、何かのためにやっていると自分を正当化するような言い訳を言う人は嫌いよ。人は自分のためにしか生きられない生き物だから。そう思って、自分のことも、他人のことも認めてみたらどう? 人のやってることなんて、そう重く考えなくていいのよ。自分の命なんだから、シュンが好きにすればいいの」
クレアは説教じみた口調でそう語った。
自分の命。そうか。
なんだか、めちゃくちゃにこの世界を否定しているようで、その言葉は案外すんなりと、シュンの心に収まった。
「もっと人によりかかったらいいのよ。どうせひとりで生きるのなんて無理なんだから。それが嫌なら生きるのやめちゃえばいいわ……私は悲しむけど」
そこまで言って、クレアは「あ、バス来た!」と叫んで走り出した。
「じゃあね!」
「おー、またなー」
シュンは、その後姿をぼんやりと見送る。



家に帰ると、ソファにもたれかかって里紗が寝息を立てていた。シュンの家のソファは硬いので、背中が痛かろうと思ってそっと抱き上げた。
彼女はちょっとの衝撃では全く起きる気配もなく、ぐっすりと眠り込んでいる。思っていたより、完全に体重を預けた彼女の身体は重かった。
「……シュン」
「あ、ごめん」
シュンのベッドのうえに降ろしたところで、里紗がぱっと目を覚ました。
「私、ここで寝ていいの?」
寝ぼけ眼で、上手く口が回っていない様子だったが、里紗は上体を起こしてシュンにそう訊いた。
「いいよ」
「シュンはどこで寝るの?」
「ソファに……布団敷いて」
シュンはソファをなんとなく指差しながら答えた。いい感じに酔いが回って眠くなってきた。
「いいから寝なよ。つき合わせて悪かった」
里紗はなんとなく不服そうな顔をしながら布団の中に納まった。シュンは襖から来客用の布団を取り出す。
「ねえシュン、」
「んー?」
よっこらせ、とおっさんくさい掛け声とともに布団を持ち上げて、シュンはボスンとソファにそれを乱暴に投げ落とした。今日はいい天気だ。窓から差し込む日が眩しい。彼はカーテンを閉めた。
「クレアと付き合っているんでしょう?」
「ええ? だから付き合ってないよ」
「じゃあ恋人がいるの? ほかに」
「いないっつーの」
シュンは布団を敷きながら適当に答えていた。敷布団の形をどう合わせるかに苦戦しながら、だ。里紗も寝ぼけて言っているんだろうと思って受け流していた。が、
「じゃあ私と付き合える?」
と言われて、流石にシュンも固まる。
「……何言ってんの」
里紗のほうを見ると、布団から目だけ覗かせて、彼女はシュンをじっと見ていた。
「おやすみ」
「……」
やっぱり寝ぼけていただけかな、とシュンは苦笑し、自分も狭いソファに横になった。
しかしもしかしたら、と思うと、その感情は少しだけ怖い。

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