カエデがそこを訪れるのは本当に何十年ぶりかで、彼はほとんどその建物の外観も記憶していなかった。
が、来てみるとやはり何も変わっていない。
国営霊媒会社。
前に来たとき、ここには彼の友人が勤めていた。
「ホタルさん、カエデさんという方が面会にと」
「ああ、通して」
秘書は、前はシオンだったが、それも全然知らない女の子になっていて、そして社長室にいるのも、
「ご無沙汰してます」
「久しぶりー」
リンではない。
大きなデスクにたったひとりで座っているのは、カエデの友人の兄弟である男。
彼も生きていれば、ホタルと同い年。もうかなりじいさんだ。
「どうぞどうぞ、座って。東京に移り住んだんだってね」
「そうなんです。私もこの歳ですし、日本に会いたい人もたくさんいますしねー……あと、墓参りも」
カエデはソファに腰をおろしながらそう答えた。たしか、随分前だが、ホタルの髪の毛は明るい茶髪で、巻き髪だった気がする。
「そうだね。墓参り、行ってあげてよ。今までだったらアイノコの墓なんて小さい墓標だけだったのにさあ、あの戦争以来、立派な墓が立つようになったんだよ。しかも、アオイなんて殉職あつかいだからさー……ダメ人間のくせにね」
「死んだ人にダメとか言っちゃだめですよ」
秘書がコーヒーを出してくれて、カエデは小さくありがとうと言って彼女に微笑んだ。まだ実年齢も若そうなアイノコの少女だった。
「ホタルさん……ずいぶん印象変わりましたね」
「そりゃあ君、何年イギリスにいたんだい? そりゃ変わるに決まってるさあ……いや、カエデは変わってないね」
ホタルの髪の毛は真っ直ぐで、黒髪で、襟足も少し長かった。印象的な、目のぎらつきやシャープな輪郭で、彼だということは一目瞭然だが、やはりこんなに髪型が変わると、別人みたいだ。
いや、それだけではない気がする。内面的に、彼に何か変化が生じたような、そんなかんじが。まあ、あの戦争を経験したのだから、何も変わらない、ということもなかろう。
「私は日本でのこと、何も経験してないですしね」
「僕があの戦争を経験して何か変わったとでも?」
「……貴方に限って、そんなことはないか」
ホタルは乾いた笑い声をたてて、それから頬杖をつき、
「いや、あるよ」
と、低く言いはなった。その声になんとなく圧迫感があって、カエデは一瞬からだが強張る。
「僕だって色々失ったからね。少なからず内面にも変化が……それでこんなふうにしたんだ、髪の毛も、きっと」
しかし、そのあとに紡がれた言葉は、柔らかく響いてきた。カエデはほっとして切り出す。
「最近妙な子と出会ったんですよ」
「妙な子?」
「連れが夜中に、変なやつに教われてたから助けたって言って連れてきたんですけどね。家出少女なんです。アイノコの」
「……へえ」
興味深そうにホタルの口角があがった。
「しかも、アイノコ同士の夫婦から生まれた子供らしくて、家出した原因が、“親に将来の夢を反対されたから”って。笑っちゃいませんか、私たちの時代から考えると」
「なるほどね。その子、真っ白い髪の毛を編みこんでないかい?」
その言葉に、カエデは度肝を抜かれた。
「えっ、どうして……」
ホタルはくすくす笑いながら答える。
「その子、シオンとサキんとこの娘だよ。いやあ、こんな偶然もあるんだね」
「シオンとサキの? まさか……本当ですか」
「本当、本当。里紗ちゃん、今どこにいるの?」
「その連れが、兵庫に住んでいるんですけどね、昨日彼と兵庫に向かいましたよ。彼女が、できるだけ東京から離れたいって言って聞かなくて」
「連れって? ……いや、サキになんて説明しようか」
「連れは……ちょっとイギリスで一時期一緒に仕事してた男です。あ、ちゃんとした人ですよ、里紗ちゃんのことは、ちゃんと守ってくれると思います」
「まあ、カエデがそう言うなら僕は信頼するけど、サキがなんて言うかさあ、」
「私から言っておきましょうか?」
「そうしてくれると助かるよ」
ホタルはにやにやと笑いながら言ったかと思うと、
「それにしてもすごい偶然だ。どうして数年前に弟子に家出された君が家出少女を引き取ったりしたのか」
と、続けた。カエデは返す言葉も見つからず、ただ苦笑して肩をすくめる。
「まったく、運命は皮肉ですよ」
「彼女は今どうしてる?」
「よくは知りませんけど……日本人の戸籍を取得して、一般企業に就職したらしいです。すっかり“人間”に」
「時代だね」
「時代ですね」
「随分冷静だけど、ホントは寂しくてしょうがないんでしょー」
ホタルはからかうように言った。カエデはすぐに「いや、」と否定したが、
「もう10年も前ですから……逆に彼女の意志がこんなに堅かったってことです。驚きましたよ、自慢の弟子です」
「そんな顔で言われてもさ」
彼が確実に切ない表情を見せたのを、やはりホタルは見逃さなかった。笑う彼に視線を投げ、カエデも苦笑した。



シュンの家に着いて2日目に、家出したカエデの弟子が家に訪れた。
それは綺麗な栗色の長い髪の、緑色の瞳をした少女だった。外国人の血が入ったアイノコを目にするのは初めてだった。その姿はまるでフランス人形、理紗は珍しいものでも見るかのようにまじまじと彼女の顔を見つめてしまったが、
「あなたが引き取ったのってこの子?」
彼女はドライにそう言った。里紗の視線などもろともしない、という様子だ。外見とは裏腹に、綺麗な発音の日本語だった。大きな目が里紗をじっと見て、ほんのすこしおおぶりな口がにんまりと横に開く。
「里紗です」
「リサちゃん? よろしく、私はクレア。訳詩の仕事をしてるの……シュンとは腐れ縁」
その言葉に、シュンが少し微笑んだ。里紗はあまり見たことがない表情だった。親しげに話すふたりを見ていると、相当の信頼関係がうかがい知れた。
なんだか胸のあたりがチクチクした。が、理紗がその感情の名前を知るのは、かなりあとのことだ。
「こいつがあれだよ、カエデんとこの家出した弟子」
カエデの家とは違って、ちらかったテーブルに酒と料理を並べて3人で飲んでいる時に、シュンがクレアを顎でしゃくってそう言った。
クレアは師匠であったカエデのもとから、反対を押し切って出て行き、日本に渡って戸籍を取得し、人間と同じ職場で働いているらしい。里紗に仕事のことを色々話してくれたが、もちろん偏見との戦いは避けられなかったそうだ。しかし持ち前の社交性とタフさで乗り切り、今ではどんな人間とも上手くやっていける、と豪語している。
なんだか少しだけ、学校で苛められてへこたれていた自分が恥ずかしくなった。
「やっぱりあの人のとこにいたのね!? そうよねー、だってその服私が昔着てたもん」
クレアは私の服のそでを引っ張って笑う。
「そう、これカエデが私にくれたの……あ、もしあれだったら、戻すわ。帰るとき……帰るかわからないけど」
「いいわよ、あげるわ。そもそも、もう私のじゃないんだから」
「いいの? ありがとう」
「いいわ、だって、あなたのこと他人とは思えないもの! おんなじ家出少女の身だし?」
「少女、って……」
「なによ」
クレアがシュンを睨む。が、直後笑いが起きた。
家出少女と言われて、思わず苦しい現状を思い出すが、それもこの楽しい雰囲気に一瞬にしてもみ消され、ずっとここでこうしていられたら、どんなにいいかと理紗は下唇を噛み締めた。
「クレアは夜に起きてるのね」
「んー、まあ、色々よ。出勤時間が決まってるわけでもないし。シュンにあわせるようになっちゃったから、最近はもっぱら“アイノコ生活”ね」
「付き合ってるの」
里紗はなんとなしに訊いた。「あーそうなの、付き合ってるのね」と納得して呟くのと、控えめに尋ねるのと、その中間ぐらいのニュアンスで。
が、クレアとシュンは一瞬顔を見合わせて、そしてプッと吹きだした。
「なっ、何!?」
理紗は混乱と焦りと恥ずかしさでてんやわんやになった。自分の顔が赤くなるのが分かる。
「いや……全然そんなんじゃない」
と、シュンは笑いながら否定した。
「可愛い、リサちゃん」
「そんな笑わなくても……」
「ごめん、ごめん」
何気ない仕草で、シュンがぽんぽんと彼女の頭を軽く叩いた。
その優しい指が触れる感触にさえ、里紗は例の切ない心臓の違和感を感じていた。

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