私と彼は同じ部屋で寝ていた。
分厚いマットレスも布団も全て真っ白く、黒っぽい木の骨組みに天蓋のついた綺麗なダブルベッドで、それは翡翠の両親が彼が結婚するときに買ってくれたものだと言う。
鶴田夫妻は、私の目には優しげに見えた。しかし、翡翠の彼らに対する態度はひどいもので、ろくに口も聞かず、目もあわせないのだ。どこか夫妻も彼にたいして怯えて気を遣っているように見えた。まさに他人行儀。彼が小さい頃から、夫妻はあんなよそよそしい上辺だけの愛情で接してきたのだろうか。そう思うと、途端に自分の両親と同じぐらい、憎らしく思えてきた。
私の両親が、翡翠を里子にしてくれと頼んだときに、どうしてそんな馬鹿な迷信を信じているのだと言って断ってくれなかったのか。もし仮に、断りきれなかったのだとしても、どうして分け隔てなく我が子のように育ててくれなかったのか。
私は日々そんなことばかり考えていたせいか、結婚前に比べてげっそりと痩せ、あまり体調も優れない日が続いた。翡翠はそれに気付いてはいるのだろう、時々決まり悪そうな顔をしておどおどと私を気遣うが、核心をついて“無理に結婚を勝手に決めてしまって申し訳なかった”などとは、言ってくれるはずもなかった。私の弟は本当はとても優しい子だから、もしかしたらいつか気付いてくれるかもしれないと、そう淡く期待していたが、それさえも打ち砕かれた。もう我慢の限界だった。
いつも私がベッドの端のほうに、彼からなるべく離れて寝るものだから、翡翠も近付いてはこなかったのだが、その日珍しく、背中に抱きつかれた。
「どうしたの?」
「……寒くて」
翡翠の冷たい足先が私のふくらはぎに触れた。
「足が冷たい」
私はそう言ってから、目の前にある彼の手に触った。
「手も……あっためてあげる」
彼の冷たい手を包み込んで、暖かい息を吹きかけた。そして、両手でこする。翡翠の華奢で骨ばった白い手は、思っていたよりも大きかった。ふいに切なさがこみ上げて、その手を自分の頬にそっと寄せた。
「あなた、寂しいのね」
私は静かに言った。
「はい」
そう答えた翡翠の声は、かぼそく揺れていた。そして私の肩を強く抱きしめ、首筋に顔をうずめながら、
「あなたがもっと愛してくれれば、寒くなくなる……寂しくなくなる」
と、今にも泣きそうな声で言った。そして私に抗う隙も与えず、首筋に優しい接吻をひとつ、仰向けに転がされ、覆いかぶさるように唇を塞ぐ。
彼のずるいところは、決して力で拘束しないところだった。控えめな優しさが、私から抵抗する気力を削いだ。
「ね、翡翠くん、だめよ、こんなの。やめましょう」
私は寝巻きの肩を剥がれかけたところでやっと彼を止めようとした。
「どうしてですか」
勢いを断ち切られた翡翠は、上体を起こして私の腹のうえに座り込んだ。
「私たちはまだ、十代よ」
「でも夫婦じゃないか、それに」
彼はいじけた子供のような顔になってから、
「あの使用人とは何度もやってるんだろ」
と付け加えた。私がその言葉にひるんだ隙に、浴衣の細い帯を解かれた。
「ねえ、お願い、やめて」
翡翠は答えない。
「やめてって言っているでしょ!」
突き飛ばした。それもかなりの力でだ。翡翠はストンとベッドの上に尻餅をついた。そして、驚きに見開かれていた彼の目が、ふっと変わったのが分かった。
その目に、私は「あ、まずいな」と思った。いつも優しかった翡翠の目が、私をまっすぐ睨んでいた。
「あなたは僕が嫌いなんだ」
「ち、違うわ」
「じゃあ、あの使用人をまだ愛していたんだ」
私は黙っていた。何を言われても、嘘だけは絶対につかないと誓っていた。しかし、肯定する勇気がなかった。あまりにその目が、恐ろしかったのだ。
「どうしてだ? どうして、前世からの因縁で、同じ運命を抱いて生まれたはずのあなたと僕が、せっかく出会えたのに、こんなところでじだんだを踏んでいるのでしょうか?」
彼の声は怒りに震えていた。うすぐらい部屋の中でその端整な飾り人形の顔が青白く月明かりに照らされている。
「あなたが言っている“運命”なんてものは、ただの言い訳よ」
私は恐怖と鳴り止まぬ鼓動に呼吸を乱しながら、やっとのことで必死に言い放った。
「寂しかったんでしょう、ずっと。知っているわ。私を愛したかったんじゃないのよね、私に運命の人と呼ばれ、愛されたかっただけなのよ。確実に繋ぎとめてくれる糸がほしかっただけなの。その自分の心に気付けていないだけ」
首を横に振って、反論しようと口を開いた翡翠をさえぎって、
「あなたと不憫に思っているの」
私は言った。
「あなたのことが嫌いって言ったら嘘になるわ。あなたはただ愛されることを知らなくて、愛し方が分からないだけなの、だから不憫なの。愛する人との仲を引き裂かれたって、怪談を延々聞かされたって、私、あなたのこと嫌いだなんて一度も思ったことないわ、だってあなたはとても……健気だから」
「僕には同情だけか」
「愛にはいくつも種類があるのよ、恋や性だけが愛じゃない。親の愛も、友情も……兄妹愛も」
翡翠はうなだれていた。
「全てを私に求めないで」
私は静かに言って、かわいそうな弟に優しくほほえんだ。
「私はあなたの双子の姉。母にも友だちにも……恋人にもなれないの」
翡翠は肩を震わせて、嗚咽し始めた。そして突如、
「それがなんだって言うんだ!!」
と、噛み付くように叫んだ。
「あなたは僕の、全てだったのに!」
そして私に抱きつき、
「絶対にもう離さない、誰かがきっと僕らの邪魔をしているんだ、僕らはきっと幸せになれたはずなのに、誰かが邪魔をしているんだ、でももう離さないよ、僕らの運命を誰にも断ち切らせはしない」
と狂ったように繰り返した。
「悪いのは狂った迷信を私たちに推しつけて、無理やり結婚させた大人たちよ。私たちにはどうすることもできなかったの。だから泣かないで」
泣き出した彼の姿に気を許して、私は背中をさすって慰めてやりさえした。そうしているうちになんだかこっちまで悲しくて、私も泣き始めた。
が、その油断がいけなかった。急に翡翠に押し倒され、手首をがっしり押さえつけられた。
「そんなに優しいなら、どうして僕に全てをくれない!」
半狂乱に叫ぶ翡翠。私は唖然としてそれを見ていた。
「可愛い弟に、どうしてそれを知りながら、今まで僕を愛しているようだったのに、急に今そうして拒絶するんです!」
文法がごちゃごちゃになった台詞が、私の耳を通り過ぎていく。
「だめよ。絶対。あなたとは寝ない」
私は強く言った。泣き叫んで正気を失ったかのような弟の目が、またみるみる憎悪の色に染まっていく。
――私は今日、こっそりと夜中に抜け出して、事前に文を出して、来るように言ってあった恭介と、駆け落ちをする予定であった。部屋の隅にある時計にちらりと目をやる。約束の時刻、深夜二時を数分過ぎていた。
「そうか……分かった。運命なのに、あなたはそれを、認めたくないんだ……僕を嫌いだから、僕の気持ちを受け入れるのが嫌だから……」
彼はブツブツと小さな声で言い出した。
「翡翠?」
「じゃあもう、仕方ありませんね」
「ねえ」
彼は、笑顔だった。
「一緒に死のう、僕らの前世みたいに」


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