郵便受けに、信じられないものが入っていた。
使用人の女が朝早く、郵便受けを見に行って蓋を開けると、それはどろどろと流れ出すように地面に落ちた。大量の手紙。しかも全て同じ封筒だった。
そして全てが私宛。頼りなく揺れるような字で、「篠山るり子様」と全て記されていた。送り主の名前はない。
その不気味な封筒の中身は、写真だった。
「なんですか? これは。るり子、あの男とまだ会っていたのですね」
母は私にそう言った。突き出された写真は、昨日の、夜道を寄り添って歩く私と恭介をとらえたものだった。
私は思わずはっと息を飲み、口を右手で覆った。
「こんな写真、誰がとったんです」
「そんなことより、あの男はまだ貴方を執拗に追い回しているのですか?」
「違います!」
私は思わず叫んだ。目に涙が溜まってくる。
「貴方が“あれ”を擁護する必要もないでしょう? さあ、本当のことを言って御覧なさい、お母様は、怒ってるんじゃないのよ」
母は上っ面に貼り付けた笑顔で私に言った。信用ならない迷信に踊らされて、姉弟同士を結婚させようとさせている真のキチガイだ。私の目に、母はすでにそうとしか映らなくなっていた。
「恭介さんを悪く言わないで」
私は侮蔑の感情とともに、冷たく言い捨てた。
「悪いのは全て私なのです、彼は私の罪をかぶって、あんなふうにしてこの家を出て行ったというのに、諦めの悪い、あまりにも彼を愛してしまった私が、未練がましく彼との逢瀬を切願したにすぎないのです。悪いのは、私だけです。ただ恭介さんはこのわがままを受け入れてくれただけなんです」
吹っ切れた顔をして言い切った私を不憫そうに見つめ、母は他人事のようにこう返した。
「父上がこのことを知られたら、あの使用人の命は危ぶまれますよ」
私はその言葉にぎゃっと叫びそうになりながら、必死で首を横に振った。お願い、お父様にだけは言わないで。そんなことを懇願したところで、きっともう遅い。私はこらえきれなくなって泣き出し、床に崩れ落ちて咽んだ。
と、その時だ、居間のドアがノックされて、使用人が入ってきた。
「鶴田殿がお見えです」
「あら、どうかなさったのかしら。お通しして」
母は封筒の中に写真を戻して、部屋の中にいた使用人に封筒の山を片付けておくように言いつけてから部屋を出て行こうとした。
「殺すなら私を殺せばいいのよ」
私の声に、彼女は一度振り返ってこちらを見る。
「悪いのは私なのよ、どうして無実の恭介さんが死ななければいけないの。可笑しいわ、狂ってるわ。私を殺すんでも、それが嫌なら勘当でもなんでもすればいいのに」
「大事な娘をどうして殺したりできるかしら」
母はしなびた指先で私の頬の涙を拭い、微笑んでから部屋を出て行った。
それで、母親としての役目を全うしたつもりなんだろうか。
私は呆れて嘲笑を浮かべ、立ち上がって自分の部屋へ走って戻った。





仕組まれた婚礼。
私はあの日以来一度も笑っていない。
“翡翠と今すぐ結婚すれば、恭介のことは父に言わない”
それが、母が私に出した条件であった。不条理ではあったが、飲むほかになかった。ただ、形だけそうすれば、私が少し我慢すれば、恭介はそれで助かるのならば。
彼のためになんだってしようと思ったが、あれから1ヶ月が経過する今になっても、私と恭介は会うことはおろか、文の一通も交わせていない。
退屈で、無意味な日々が過ぎ去って行った。何度も死のうかと思った。が、恭介とまた会える日のことを思えば、そういうわけにも行かなかった。
鶴田翡翠は相変わらずつまらない男ではあったが、優しさはあった。もちろん私が、実の弟である彼を異性として見ることは永遠に不可能であったが、悲しいのは、彼は私が実の姉であると知らず、一途に慕っているということであった。
よくよく考えてみれば、彼もまた、私と同じように、運命に陥れられてしまった不幸な存在なのだ。ただ、気付いていないだけ、彼のほうが私より幸せかもしれない。もし父と母が、そんな迷信に踊らされる愚か者でなかったとしたら、私と翡翠は今頃、仲良しの双子として愛し合えていたのかもしれない。ただ、肉親を思いやる純粋な兄弟愛で。そうであったなら、私は両親を恨むこともなかっただろうし、翡翠も本当の両親のもとで育つことができて、こんな陰気くさい性格にならずに済んでいたかもしれない。
そして、私は恭介との仲がばれればすぐに勘当されて、彼との生活を選び、翡翠がただこの家を継げばいいだけのこと。
そんな簡単なことなのだ。
私はもしもの世界に思いを馳せて、たまにそんな空想にふけった。考えれば考えるほど、今私がおかれている状況は、悲しく、そして狂っている。
「翡翠くん」
結婚してから、私は彼のことをそう呼んでいる。彼は変わらず、「るり子さん」だ。
「はい?」
ソファに座って、趣味のカメラのレンズを拭きながら、翡翠は答えた。何度か写真を見るかと誘われたが、彼のことだしどうせ変なものが写っているんじゃないかと思って断ってきた。
しかし、彼がカメラをいじっているときの少年のようなキラキラした瞳は、嫌いではない。
「あなたは知っているの? 私たちのこと」
「私たちのことって、なんですか?」
「私たちの、本当のことよ。まあ知っていたら、あなたはこんな風ではないと思うけれど」
「るり子さんは何かをご存知なんだ」
そう言って、翡翠はにやりと白い歯を除かせて笑った。私は彼の隣に腰を降ろす。休日の昼間は、たまにこうして喋る。楽しくはないけれど、そうでもしないと人恋しくてどうにかなってしまいそうだったし、いくら陰気くさい気持ち悪い奴だと思っていても、実の弟をあからさまに嫌うのはさすがに良心が痛んだ。
「言ってあげましょうか。私が知っていること。言ったらあなた、どうにかなっちゃう?」
「いいえ、きっと平気ですよ。なんだって」
笑ってはいるが、翡翠はこちらを一度も見てくれなかった。ずっと、手元のカメラに目線が落ちている。お見合いの時からそれは全く変わっていなかった。
私はやっぱりなんでもないと言った。翡翠は初めてちらりと私を見た。そしてカメラを低いテーブルに置く。
「るり子さんは僕がお嫌いですか」
真面目くさって訊くその目が、怖かった。彼も男なのだと悟った。
「そんなことないわ」
「好きですか」
「ええ」
肉親だから。
その言葉が脳裏をよぎる。
たったひとりの弟を、どうやって憎むことができようか。その憎悪が、さらに私を不幸へと陥れる気がした。それが怖い、というのも一因だった。
しかし、その瞬間にもすでに唇は塞がれている。渾身の、抗えない優しさを込めて口づけするその悲しい愛情を、どうやったって、受け入れることはできなかった。


back 前へ 次へ
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -