その日は特に頭痛が酷かった。私は青白い顔を街灯に照らされるのを拒みながら、俯いて夜道を歩いていた。いつも恭介とふたりで歩いた道を、今日はひとりで。
踏み切りの音が、カンカン、カンカン、私の頭に響いて脳を揺さぶる。そこに佇む背の高い影を見つけて、私は酔ったようにフラフラと彼に走り寄った。
「馬鹿ね、本当に。馬鹿ね」
「懲りずに会いに来るお前の方がよっぽど馬鹿だよ、るり子」
恭介は黒い手袋をした両手で、彼の胸を責め立てて叩く私の頬を包み込んだ。その余裕のない微笑と、頬に貼られたしっぷを目にした時、アッと私はある事実に気がついた。
もう、令嬢と使用人の関係ではないのだ。
この踏み切りの音はなんの意味も持たない。私と彼は、ただ、男と女だ。ただそれだけだ。
それに気がつくと、私はわっと叫びたいぐらいに嬉しくなった。
「ね、歩きましょう。ずっと遠くまで。手をつないで」
静寂に包まれた踏み切りを、私は恭介の手を引きずるようにして渡った。
「そんなに遠くまで行けないよ。俺は次には殺されるよ、ねえ、聞いてるかい」
「私も死ぬわ」
私は彼に背を向けたまま、なんの気なしにそう言った。有頂天だった。
「知ってるかい、るり子」
後ろから聞こえる恭介の声は、少しだけ笑っているように聞こえた。私のその気障っぽい台詞を鼻で哂ったみたいだった。なんだか嫌な予感がする。彼が怒っている気がする。私の上がりきった気分は、みるみるうちにしぼんで、勢いをなくしていった。
「男女の双子は、前世で心中した恋人同士なのだそうだよ」
前世。
私ははっとして振り返った。あの気味の悪い美青年の薄ら笑いが頭に浮かび、虚構から聞こえてきた台詞が舞い戻った。
生ぬるい夜風に吐き気がする。
彼が言っていたのと似たような話を、恭介がまた私にしたのだ。
「悪いけど、見たんだ。お前に縁談の話が来たときの、あのアルバム。あの男ね、お前の双子の弟なんだよ」
背後でまた、カンカン、カンカン。
踏み切りが降りる。
恐ろしい音を響かせて。私は乾ききってしまった唇を震わせて、やっとのことで
「そんなことを、あなたは前から知っていたの?」
と発音した。
「ああ、旦那様と奥様は、男女の双子を結婚させる古い風習に乗っ取る為に、翡翠を鶴田家の養子に出した。でも、きっと実の弟とだなんて、るり子が嫌がると分かっていたんだろうね。だから、その事実については伏せていた」
淡々とそのことを語る恭介に、私は最早憤りすら感じていた。左の頬の痛みなど、とっくに忘れてしまったのだろうか。
それで私が幸せだとでも思っているのだろうか。
私を、もう愛していないのだろうか。
「お前はきっと、もう逃れられない。絶対に翡翠と結婚させられてしまうよ」
「あなたは悲しくないの?」
私は思わず叫んだ。
「私のこと、もうどうでもいいの? それともそんな傷を頬に作って、それで私のために何かした気でいるのかしら?」
「そんな、どうでもよくなんかないさ」
「どうして私の前を去ったのよ、それなら」
「もうこんなことはいけないからだよ」
私は言葉を飲み込む。びっくりして、引っ込んでしまったからだ。
「もうこれで仕舞いにしよう。もう会うのはこれで、最後に」
彼の声の震えが、その恐怖が、まざまざと伝わってきて、それは私を少しだけ安心させた。
よかった、彼にもまだ未練がある。
「嫌」
そう思って微笑んで、首を横に振った。
「そんなのあなたも嫌でしょう? 私たち愛し合っているのよ、一緒にいて何が罪なの? 弟と結婚するほうが罪だわ、ねえ、それに、恭介さん、どうして私に、彼が弟だなんて告げたの。私をそのまま彼と結婚させて幸せにしたかったなら、言わなければよかったのに」
恭介はばつが悪そうに苦笑して、口を歪める。
禁じられた恋と、自分の覆せない思いの間に揺れていると見えた。私はそれが分かると、今までよりもっと彼がいとおしく感じられてきて、アハハと声をあげて笑った。
「怖いんだよ、分かってくれよ、これでも俺はね、心を鬼にしてここまで頑張ったんだよ。でも無理だって分かったのさ、どうやったってお前を忘れられない」
そう言って、恭介は私を抱きしめてくれた。幸せだと思った。私はこれから何があろうと絶対に、彼に愛されているかぎり幸せでいられると確信を持った。
「運命がなんだっていうの、そんなものはただのまやかしよ。前世なんてありっこないわ、ただ、今ここに、私たちの愛があるだけ。そうでしょう?」
恭介は悲しく笑った。

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