家族の記憶は無いわけじゃない。有り余るほどあるわけでもないけれど。
もう死んだ親を悼んで泣くことなんて無いし、感傷に浸る頻度も、年を経るにつれて減っていく。
そんなだから、もうこんな気持ちになることなんて無いと思っていたのだけれど。
夢現をさまよいながらもぞもぞと隣で動く体温は、確実に私から強さを奪っていくのだろう。
それが良いことなのか、悪いことなのか、今の私には簡単には判断できそうもない。






いつも彼は遠い目をしていたように思う。
でも彼がふわりと笑うのを見るのは好きだった。私だけじゃない。他の子もそう。
なんでも包み込むように笑う彼は、どこか寄りかかりたくなる雰囲気もあって。
禁じられた電子の森に踏み込むとき、彼はいつも先頭を歩いてくれたっけ。

怖がらないでいい。一度触れたらきっと分かる。この迷路の歩き方と愉しさが。

そう言って、あの箱庭にがんじがらめにされた私たちに意味をくれたの。






授産施設の内偵は成功とも失敗ともつかぬ形で幕を引いたことになる。
後始末の前に念のため、トグサが出会ったという「アオイ」という青年についての聞き込みを、施設の子供たちに行った。
(実際は彼らの電脳に直接チェックをかけるので、「聞き込み」という表現は不適切かもしれない。)
結果は案の定散々。課員に見事に疑似記憶を噛ませてくれるような相手だ。
どれだけ探してもそれらしき青年は見つからず。果たして存在するのかすらも解らない。
だがたった一人だけ。断片を抱え込んだ少女がいた。






どんなに集中しても、彼の声にはノイズが走る。
こんなんじゃない。もっと優しくて、澄んでて、そこまで分かるのに、
ぶつりぶつりと彼の声は変質していく。違う。違う。違う。



「君は賢くて慎重だね。自閉モードにしてたのはたぶん君だけだ。」



するりとうなじにプラグを挿される。私は賢くも、慎重でもない。
彼に簡単に有線を許すんだから。彼だから、油断してしまった。ソーシャル・ワークだなんて、笑えない。



「でも有線でもダメだね。流石だ。僕は君から完全に消えることは出来ないみたいだ。」



困ったように笑っているのは分かる。でも彼がどんな顔をしていたのかは分からない。



「忘れたくない。返して、■■、」
「僕の名前は、奪わせてね。」
「返して、返して■■■くん、いやだ、返して、あなたの声も顔も名前も、」

「ごめんね」



彼が最後に言った言葉はこんなにもはっきり覚えてるのに。
でもこれが本当の記憶なのかも、今となっては自信がなくて。






「スズ、さんよね?」



机から顔を上げて振り向いた彼女は、泣き腫らした目から尚ぼたぼたと涙を流していた。
手には鉛筆を握りしめて、紙に何かを書き殴っていたようだ。
彼女の膝の上にはキャッチャーミット。もしや、と思ったが、トグサの証言によれば「アオイ」は青年だ。



「お姉さんが、私に作文を書けって言ったんだっけ?」



彼女の唐突な言葉に面食らう。最初はピンと来なかったが、ミットに書かれた文字を見て理解した。
それはアリーのミットなのだろう。頭のなかで笑い男のマークが騒ぐ。



「いいえ。私は課題を残してデートにはいかないわ。一夜の関係だろうがそうでなかろうが、目一杯楽しみたいからね。」



「お姉さんの恋人は絶対幸せだね」と彼女は笑って、つい先程まで「作文」を書き付けていた紙に手をかけ、真っ二つに割いた。



「…あら。私はきっとその作文を読みにここに来たのに。」
「ごめんなさい。でも自信がないの。自分が書いたことがあってるのか、まちがってるのか、」



ぼたぼたと落ちた涙が彼女の膝を濡らす。あった筈のキャッチャーミットはもうそこにはなかった。
「ほらね」苦く笑った彼女の手が、無いミットを掴んで空を切る。



「忘れたくなかったんです。彼のこと。私たちに〈意味〉を教えてくれた、大切な人。
 だから必死に抱えて守りました。でも腕の隙間からこぼれ落ちていくし、そもそも守っていたものが本当に守りたかったものなのかも分からなくて、」



ぐずぐずと萎んでいく言葉の中に、昔の自分を見てしまった。



「何が本当なのかわからないんです すごくすごく大切なことだったはずなのに わたしが わたしじゃなくなっちゃう」



私はこういう時、どういう言葉をかけるべきか未だに分からない。
ただ、今自分が昔の自分に言葉をかけるなら。そんな自己満足のような物を、私は彼女に押し付けた。



「真実は手にいれることができる。貴方がそれを求めて動くのなら。どうする?」



そのとき、彼女は私の内側に入り込んでしまったんだろう。
彼女のうなじにプラグを回す。かちりとした手応えのあと、彼女はじっと私を見据えて頷いた。






きっと似てるんです。あなたも私に与えてくれたから。
歩く意味を。だから、あなたも私の大切な人。






「駄目ね。本当にダメ。ボロがどんどん出てくるの。あの子を抱え込んでから。どれだけ自分が酷い人間かってね。」
「なんだぁ藪から棒に。この前拾ってきた子猫ちゃんのことか。」



通り過ぎるきらびやかな光たちを一瞥して私は視線を前に戻す。
対象は前方、車両二台を挟んで走行中。のんびりとした走りだ。こういう時は余計な思考が捗る。
助手席のバトーは冷やかすように笑いながら前を見据えていた。



「確かにお前にちょっと似てるかもしれねえなあ…いい人材だとは思うけどよ、入れ込む前に切った方がいいかも知れねえぜ。お前鏡は見つめすぎると割りたくなる性分じゃねえか?」
「…手遅れね。」



そう。その言葉は今聞きたくなかった。
私はきっと、今は鏡に向かって説教をしているんだ。みっともなくて滑稽で、笑える。

その鏡の自分が向くべき方に向かったとき、或いは向かわなかったとき、
私は其に手をかけるのか、或いは彼女が私を手にかけるのか。



「やっぱりどちらにしろ良いものではなさそうだ。」
「おいおいもう後悔してんのか。まだ2ヶ月も経ってねえぜ。拾ったもんは最後まで面倒見ろよ?」



まあ何かしらの形で決着が着くまではね、そういいかけて、頭にホワイトノイズが走る。



『対象が気づいた。今更セキュリティ強化してやがんぜ。壁の中に入り込まれてからそれやってもよお。まあモノもどっか別んとこに移したようだが。』
『辿れそうか』
『んにゃ、ガラクタトラップの山に放られたみてえだ。こりゃ面倒だな。』
『何やってるイシカワ!変質するデータだ、リアルタイムのモノが要る。スズを使え。総当たりでイケる。』
『了解。どーも。』

『トグサ、ボーマ、予定4分前倒しだ。ポイント21で代われ。』
『『了解』』



「ふっはは、ひっでえ顔だぜ少佐ァ。そんなに残業決定がお嫌?ああ今日は愛しの子猫ちゃんとご予定がございましたっけなあ」
「あんたの残業明けのご予定に赤服通い入れられたくなかったら、無駄口は慎むことね。」



きっと今の私はトグサと同じ顔をしているんだろうな。爆笑するバトーを横目にハンドルを切った。
ブレーキを乱暴に踏み込んで装備を確認する。ここで撒かれなければ、却って早く済むかもしれない。






彼女の体温と香りは酷く私を安心させた。
母が居れば、姉が居れば、恋人が居れば、きっとこんな気持ちだったのかもしれない。
私を絡めとって離さない、細いのにズシリとしたしなやかな腕に触れる。
規則的で擬似的な寝息を聞きながら、予想外に相互して切れないゴーストのコネクト(とでも呼べばいいのかな)に
ずっとこのままでいいのに、と馬鹿馬鹿しい願いを込めた。





(私は拠り所を彼女に移しただけの筈だった。シンクは未だ続く。私の中の優先順位はあなたに傾いていく。
 あなたが示してくれた道筋の先に辿り着いた後、私はどうなるのか。想像もつかないまま、あなたの優しさをただただ享受し続けた。)

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