綿菓子みたいな | ナノ

7-1

あれから二日後。
五条は高専のとある一室で鏡と向き合っていた。
時間の許す限りずっと取り組んでいるのだが、もう少しというところまで来るも未だに"裏"の学校には干渉できず。

二日、だ。彼女が「こっちが本丸だ」と言っていた"裏"の学校で。
思った以上にこの鏡が"裏"の学校の"扉"として頑丈で流石の五条にも焦りが見え始めていた。

溜息をついて、専門の術者を呼ぼうか考える。
意地を張っていても仕方がない。
そう思って携帯を手に取ったのだが連絡先を開く前に部屋の扉が開いた。
顔を出したのは昔馴染みの家入だ。

「どうだ、進んで・・・はいなさそうだな」
「ホンット、頑固な"扉"だよ。詳しい奴呼ぼうと思ったところ」
「もう二日だろう。とっくにあちらの仲間入りしてるんじゃないか?」
「冗談キツイよ」

そう言って笑う五条だが、家入には彼が中々堪えているように見えた。
入ってきたドアを閉めて鏡を覗き込み、変わらず廊下が映っているのを確認すると感心したように「ふぅん」と声を零す。

「アンタが手を焼く呪物に他の術師が太刀打ちできるとは思えないけどな」

本当に、"扉"なだけ。他には何の役割もないそれは、ただひたすらに沈黙を保ち続けていた。
面倒そうに鏡を見下ろした五条はうんともすんとも言わないそれに小さく舌打ちする。

「もうぶっ壊しちゃえばいいかな。開かないドアは蹴破るもんでしょ?」
「蹴破って開くならいいが埋め立てる可能性があることも──」

不意に、パリンという音が部屋に響いた。

二人が勢いよく振り返れば、鏡に一筋のヒビが入っている。

「・・・五条」
「いや違うって!僕まだ何もしてない!」

眉をひそめる家入に五条が両の手を振って否定する。
ぶっ壊せばいいかなとは言ったがまだ実行してない。
しかし五条がやってないとなると、おそらく"中"で動きがあったということだ。

「あ、これ雲雀の呪力だ」
「生きてたのか。良かったな」

ホッとした様子の二人が鏡を見ていると程なくして中から二つの音が聞こえてくる。
一つは人の走る音でもう一つがテケテケテケという音。
二つの音がどんどん近づいてきて、一つの人影──雲雀が鏡に飛び込んだと思ったら五条たちのいる部屋に抜け出てきた。

「えっ」
「うわっ」

五条と家入からそれぞれ声が上がった次の瞬間、酷い音をたてて鏡全体に細かいヒビが入る。
次いでバン!と大きな音が上がったと思ったら下半身のない女性の呪霊が鏡の向こう側に転がっていた。
どうやら雲雀を追いかけて鏡を抜けようとしたところ通れず衝突したらしい。

「ちょ、どういう状況!?」

勢いあまってこちらも同じく床に転がった雲雀は切り傷やら擦り傷やら打ち身やらを体中に負って苦しそうに肩で息をしていたが、無理やり体を起こして鏡に這い寄って手を当てる。

バリン、と音をたてて鏡の向こう側の世界が割れて消えた。
ヒビの入ったまま残った鏡には廃校の廊下ではなく雲雀達がいる部屋が映っている。
大きく息を吐いた雲雀が仰向けに寝転がって、そこでようやく五条がいることに気付いて目を向けた。

「あ、五条さん・・・ただいま戻りました。ええっと、どういった状況でしょう」

見覚えのない女性と部屋に気付いて寝転んだまま首をかしげる雲雀。
そしてそんな呑気な雲雀に青筋を立てる五条。
家入が「大丈夫か」と雲雀に手を差し出し彼女を起き上がらせて椅子に座らせた。

「家入硝子だ。五条とは同期で、ここ、高専で医師をしている」
「八雲雲雀です。高専って五条さんが教師を務めてる・・・あの、医師ってことは治療とかも」
「ねぇ雲雀」

雲雀の言葉を途中で遮って五条の低い声が響く。
しんどそうに「はい」と返事を返して彼に顔を向けようとした雲雀の首に腕が回ってそのまま締め付けられた。

「何がどうなってるのかさ、説明あるよね。二日も音沙汰なくて心配したんだからね。何でそんなに傷だらけなの」
「う・・・ごじょ、さ・・・くるし・・・」
「おい、怪我人だぞ」
「大丈夫。この子脳みそと心臓が無事なら何とかなるらしいから」

そう言いながらも腕を外す五条。
雲雀は首元を摩りながら「すみません」と小さく頭を下げた。

「というか二日も経っていたんですか。私には数時間の感覚だったんですけど・・・」
「へぇ。まぁああいう所ではよく起こる現象だよね」
「詳しいことは怪我人を運んでからでいいですか?"裏"の学校で生存者が三名いたので」
「・・・その"裏"の学校の入り口は雲雀が鏡から出てくるときに壊したけどね」

五条が振り返ってヒビだらけの鏡を見る。
それはもう呪具として"扉"の機能を果たさないただの鏡になっていた。
怪我人を運ぶも何も"裏"の学校に出入りする手段が絶たれている。

「あ、それなら大丈夫です。教室の一室に結界を張って繋げられるようにしておいたので」

雲雀が手を翳せば空間が裂けて学校の教室と繋がって、五条と家入が覗いてみれば女性二人と男性一人がこちらを見ていた。
そのうちの男性は前回任務に出て行方不明になった呪術師だった。

「三人とも結構酷い怪我なので先にお願いできませんか?」
「・・・いいよ。これ医務室に繋ぎなおせる?ここから運ぶと手間だし」

雲雀と行方不明の三人を見比べて言った家入に、雲雀は了承の意を伝えた。
「こっちだ」と部屋を出ていく家入の後をついていこうと雲雀が椅子から背を離す。
しかし立ち上がる前に五条に横抱きにされて移動させられていた。

「ちょっと五条さん・・・!大丈夫ですって歩けます恥ずかしいので」
「黙って」

言葉の途中で五条が遮るように言う。
その声がやはりいつもより低いままで、雲雀は困ったように視線を彷徨わせた。
気まずい沈黙が数秒続いて五条がため息をつく。

「細いし小さいし柔らかいし、・・・全然鍛えてないか弱い女の子じゃん。こんなになるまで無茶しないでよ」
「死なない自信はあったので」
「結構ギリギリでしょ。怪我だけじゃなくて呪力も使いすぎ。いつも展開してる結界が違うのになってるけど何これ僕対策?」

いつもは呪霊を祓う効果と自分や術式を認識しづらくする効果のある結界だが、今は術式を認識しづらくする効果だけのものを纏っている。
呪力の消費は大きく抑えられるだろうが五条の心境は複雑なものだった。

「なんといいますか・・・今更あっさり曝け出すのも恥ずかしくて」
「ふぅん。まぁあとで丸裸にするから意味ないと思うけど」
「まっ・・・!?」
「術式のことだよ。なになに?エッチな事想像しちゃった〜?」

ニヤニヤ。楽しそうに見下ろしてくる五条に雲雀はほんのり顔を赤くさせて「そんなことないですけど」とそっぽを向いた。
そんな彼女を見て、ふざけたやり取りをこれだけできるなら大丈夫だろうとこっそり安心する五条。

そうこうしているうちに着いたらしく、前を歩いている家入が医務室のドアを開けて入っていった。
五条もそれに続いて入って医務室のベッドに雲雀を座らせる。

「それじゃさっそく患者を運ぼうか」
「僕が連れてくるよ。雲雀開けてもらっていい?」

促されて返事を返した雲雀が"裏"の学校へのスキマを開いた。
躊躇いなく足を踏み入れた五条は被害者たちを順番に軽々運んできてベッドに横たえていく。
そして三人目を抱えて出てきたのを確認して雲雀が空間を閉じようとしたのだが、そこに五条のストップがかかった。

「まだ中に呪霊いるでしょ?祓ってくるから開けといて」
「え、危ないですよ。七不思議なのか怪談なのか結構な数の呪霊いましたし。いくつか祓いましたけどまだ片手じゃ数えきれないくらいいると思いますよ。しかも強いのが」
「言ったでしょ、僕最強だって。君らの治療が終わるまでに帰ってくるから心配しないで」

「じゃあ硝子よろしく〜」なんて言い残した五条が"裏"の学校に入っていった。
止められず困惑した様子の雲雀が家入に助けを求めるような視線を送る。
しかし家入は"裏"の学校に踏み入った五条のことなど気に留めず重傷な患者の治療に取り掛かっていた。

「あ、あの、家入さん・・・五条さん、大丈夫でしょうか」
「あいつは隕石が直撃しても生き残るから大丈夫」

冗談のようなことを至極真面目に言う家入に、雲雀は突っ込むことも肯定することもできずに曖昧な返事を返す。
それからはテキパキと処置をする家入の動きをぼんやり眺めて自分の治療の順番を待った。

──────────

救出された三人は酷い怪我だったため思った以上に時間がかかったが、ようやく雲雀の番が回ってきた。
といっても被害者三人に比べれば軽かったため比較的短時間で次々に直っていく。

「次、脚だけどスキニー脱げる?」
「はい。ちょっと待ってくださいね・・・」

所々裂けたり擦ったり打ったりで脚全体が酷いことになっているため脱ぐのに時間がかかった。
痛みと格闘すること数分。ようやくスキニーを脱いだ雲雀はベッドに横になって傷だらけの脚の治療を受けられた。

仰向けで治療して、うつ伏せになって治療して、ようやくすべてが終わって「はい、これでおしまい」と声を掛けられる。
礼を言った雲雀が起き上がって再びスキニーを履こうと手に取った。
しかしそれに足を通す前に──

「たっだいまー!どう?怪我は治ったー?」

スキマから抜け出てきた五条がベッドにひょっこり顔を覗かせた。
その間わずか三秒。
振り返ったら既にベッドの横にいた五条にスキニーを持ったまま固まる雲雀。

「あ、良かったね治ってる。なになに?ズボン履く?手伝おうか?」

ズイ、と身を乗り出してくる五条に顔を真っ赤にさせて体を震わせた雲雀。
言葉にならない声を上げて、スキニーを持っていない左手を構えて。
「あっち向いてください!!」なんて悲鳴を上げてその手が身を屈めた五条の頬に振り上げられた、が。

「残念でした!届きませーん!」

あと少しに見えて永遠に届かない距離で止まった手に雲雀が目を見張る。
ぐ、と悔しそうに唇を噛んだ雲雀はしかし、素早くベッドに膝立ちになり片足を立てて踏ん張れる体勢を取った。

「んー、もっかいやるの?どうせ届かないよ?」

ゆるりと首をかしげて言った五条に、ニッコリ笑みを浮かべた雲雀が今度は右手を構える。
息を大きく吸って。

「成敗!」

先ほどより勢いをつけて振り上げられた手。
それは避けようとも防ごうともしない五条の頬に向かって。

バチン!と音を響かせて見事な手形を咲かせた。

現場を目撃して「は?」と声を零す家入と、少し驚きながらも無言で雲雀を見つめる五条。
あからさまに空気が固まったことに雲雀も困惑した表情で二人を見上げた。
家入が素早く他の怪我人たちを振り返って寝ていることを確認して、五条を睨みつける。

「念のため確認するけどクズのお前がこの子の下着姿を見た罪悪感で術式を解いたってわけじゃないよな?」
「うん、解いてないよ」
「あのー、やっぱり五条さんの術式突破したの不味かったです?」

目の前のやり取りに不安を覚えた雲雀が気持ち縮こまって困ったように疑問を口にする。
二人は同時に雲雀を見て、一拍置いて大きくため息をついた。

「不味いどころじゃない。こいつはクズだが実力は間違いなく自他ともに認める呪術界最強だ。で、その最強と言われる所以が六眼と無下限術式なんだが・・・」
「雲雀はさ、その六眼と無下限術式の両方を妨害できるわけ。僕を邪魔に思ってる奴らにバレてみ?血眼になって草の根を分けて探し回るよ」

冗談だと言い出す様子もなく至極真面目な二人に雲雀は「それは困りますねぇ」とのんびり呟いた。
対する五条と家入は、少し困った表情ではあるが危機感を感じない雲雀の雰囲気に頭を悩ませる。

「まぁそういうことだからさ。服をちゃんと着て、ちょーっと僕と術式についてお話ししようか」
「ちょっとじゃ済まないじゃないですか嫌です家入さん治療ありがとうございましたまたどこかで会えたらお礼させてくださいさようなら」

丸裸、の言葉を思い出して滑らかに一息で言った雲雀が自分の体の下にスキマを開いて、スキニーと靴と靴下を引っ掴んでそのまま落ちた。
いきなりのことに目を見張って彼女を見送る家入。その隣を五条が横切って、裂け目が閉じるギリギリで体を滑り込ませて消えていった。


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