綿菓子みたいな | ナノ

6-3

「雲雀!」

数秒前まですぐ隣にいたはずの彼女の名を呼ぶ。
こんな展開では返事は期待できないと分かっていて呼んだのだがしかし、意外にも「五条さんこっちです」と応える声があった。

ただし目の前の大きな鏡の中から、だが。

「・・・もしかして、鏡に引きずり込まれた?」
「みたいですね」

鏡に見える雲雀と向き合えば、彼女の後ろに五条が映る。
しかし現実の五条の前に雲雀はいない。
鏡の中の彼女は平然を装っているようだが先ほどとは違い顔を青ざめさせて声も少し震えていた。

「雲雀落ち着いて。大丈夫。僕が助けるから」

少しでも雲雀の気持ちを支えられるよう、五条は穏やかな口調で諭すように言う。
数秒の沈黙の後、緊張した面持ちの彼女が両の手をキュッと胸の前で握りこんで口を開いた。

「五条さん、この学校の被害者、亡くなった人は少ないけど行方不明者は続出してるって言っていましたよね」
「うん、そうだよ」
「行方不明、の理由が分かりましたよ。この学校の本丸は今私がいる"裏"みたいです」

雲雀が鏡から顔を背けて周りの廊下に目をやる。
造りは先ほどまでいた学校が左右反転しているだけだが、目に見える範囲だけでも三人の遺体が転がっている。
おそらく亡くなった人というのは五条がいる"表"の学校の被害者で、行方不明者というのが鏡を通して"裏"の学校に引きずり込まれた人達だ。

「マジか。僕がそっちに行った方が良かったんじゃん。せめて一緒にそっちに行けてたら・・・」
「すみません、咄嗟だったもので」
「とりあえずこっちに戻ってこられないか色々試し」「五条さん」

五条の言葉を遮って、雲雀が彼を呼ぶ。
少し恐怖が浮かんでいるものの力強い表情に五条は嫌な予感がした。

「人の悲鳴が聞こえました。今ならまだ間に合うかもしれません」
「ちょっ、待って雲雀、」
「すみませんがハンマー男をお願いしてもいいですか。そちらに戻った時に相手をする余裕があるか分からないので」
「ねぇ駄目だって動いたら──あ、コラ雲雀戻って!」

五条の言葉を背に雲雀は声が聞こえた方に走った。
そんなに遠くない。階段を一段飛ばしで駆け上がって、一階上の廊下に飛び出す。

まず際立って目に入ったのは、どこの学校の理科室にも置いてあるだろう人体模型だった。
ただし、動いているうえに血に濡れていたが。

そして次にその人体模型に腕と首を掴まれている男を認識する。
体中に怪我を負っていて、人体模型に捕まれている腕は曲がってはいけない方向に捻じ曲がっていた。

酷い恐怖を浮かべた男の目が雲雀をとらえる。
ヒューヒュー音をたてる喉で息を吸って、

「た、すけ、て」

震える声で縋るように助けを求める声が、雲雀に届いた。

──────────

一方──

「ねぇ駄目だって動いたら──あ、コラ雲雀戻って!」

鏡から走り去ってしまった雲雀に五条が声を上げるも、彼女が戻ってくることはない。
代わりのように五条の前に姿を現したのはハンマーを持った呪霊で。
五条は苛立ちをぶつけるようにその呪霊を一撃で消し飛ばした。

「あ"ークソッ!」

彼女の術式を見るつもりだったのに、とんだ想定外が起きてしまった。
こんなはずではなかった。
前に一級呪霊を祓った時の、被呪者と呪霊を引き剥がした術だったり"領域"のことだったり呪霊が砂のように姿を崩した術だったり。
何より、布越しとはいえ"見ていたのに術式がほとんど認識できなかった"というところを、今回の任務で確認しておきたかった。

それがどうだ。
件の術は準備が必要だと発覚し、「戦闘向けではない」と言った彼女の言葉を信じられず一級並の強さを持つ呪霊に充てて、報告にはなかった"裏"の学校とやらに取り込まれてしまった。

心の中で悪態を吐きながら走って学校の外を目指す五条。
雲雀と校舎を回っているときに、彼女の例の結界で雑魚は祓えていたため校内はあらかた綺麗になっていた。

昇降口から外に出ると校門まで"飛んで"、近くに止まっていた車に駆けて伊地知が乗る運転席のドアを乱暴に開ける。

「今すぐ結界関係の呪物に特化した術師を手配して。雲雀が鏡から"裏"の学校に取り込まれた」
「えっ、八雲さんが。何があったん・・・いえ、難しいかもしれませんがとにかく探してみます」

いつも無茶ぶりを言う五条だが今回も突拍子もないことを言い出したと伊地知は戸惑うも、あまり余裕がなさそうな彼の様子に詮索を止める。
人手不足の呪術界で能力を限定して今すぐ動ける術師を見つけろと。
中々の無理難題だがしかし、優秀な補助監督は言われるままに各地に散らばる呪術師の情報を確認し始めた。

──────────

結局、結界関係の呪物に特化して今すぐに駆け付けられる術師は見つからなかった。
少なくとも半日は掛かるという伊地知の報告に五条は大きな舌打ちを零す。
髪を乱暴に掻いて「クソ」だのなんだのと悪態をつくが、彼女が取り込まれた時から時間を置いたことで少し冷静さを取り戻したらしい。
今度は溜息をついて伊地知を呼んだ。

「やっぱ術師はいいや。考えてみたら雲雀の存在を知られるのも不味いし。鏡を高専に持って行って僕が調べるよ」
「必要なら荷台のある車を用意しますが」
「うん、結構大きい鏡だったからお願い」

術師を確保できなかったことで八つ当たりをされるのではと戦々恐々としていた伊地知は考えを変えた五条にホッと息を吐いた。
鏡のサイズを身振り手振りで伝えられて、その情報をもとに別の補助監督に車の手配を支持する。

五条は校内に戻って、鏡を力尽くで壁から剥がした。
封印などはしない。鏡を運ぶのは自分が担当するから、もし引きずり込まれたとしてもそれはそれで彼女を助け出すまでの手間が省けるからだ。

驚いたことに鏡は場所を移動させても映る場景が変わらなかった。
つまり、昇降口まで行っても外に出ても、鏡をのぞくと廊下が映っている。
それを見た伊地知は厄介そうな呪物に大きく眉をひそめていた。

数十分後、トラックで駆け付けた補助監督に「気になる呪物を見つけたから持って帰る」という事情だけを伝えて、鏡を積んで五条たちは廃校を後にした。



※※小話※※

─雲雀─
鏡に取り込まれちゃった人。死体がそこかしこに転がってて心臓がキュッとなった。なったというか現状進行形。
でも持ち前の性格で逃げる隠れる避けるは得意だからって開き直って生存者の確認に"裏"の学校を駆け巡ることになる。

─五条─
色々な想定外が重なってイライラ。
あぁいう所に取り込まれる展開は生存率が低い(救出へ行くのが不可能だったり呪霊が全力を出せる環境だったりするため)と知っているから、彼女が目の届かないところに行って生死すら分からなくなり此方も心がキュッとした。


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