長編、企画 | ナノ

誰も知らない特効薬


合宿6日目、夜。


(う〜〜、やっぱ来ちゃった…!)

誰もいなくなった食堂で、白湯を片手にしながら跳子の顔が歪む。
あと一日だというのにギリギリで生理がきてしまった。
今朝から下腹部がジグジグと痛かったので想定はしていたが、実際にきてしまうとやはり面倒なものだ。

ここが家だったらとりあえず寝てやり過ごしてもいいが、合宿はまだ明日まである。
やはり薬を飲んでおこうと跳子は清水たちにことわって、食堂に降りてきた。
なんとなく昔からの習慣で、薬はお茶やジュースではなく白湯で飲んだ方が効果がある気がするのだ。

とりあえず持ってきていた鎮痛剤を飲んで、食堂の椅子に座って休む。

(薬が効くまで、ちょっとこうしていよう…。)

頭をテーブルに突っ伏しておでこをつける。
気を紛らわせるように違うことを考えようとするが、うまくいかない。

(あーもうあと一日もってくれればよかったのに…。でもプールの時じゃなくてよかった…。)

そう考えればまだマシなタイミングだったかもしれない、と跳子は思う。

(潔子先輩たちに先にお風呂に行ってもらって正解だったな…。心配かけちゃったけど…。私は後で一人でシャワーだなぁ。)

広いお風呂に皆で入るのが楽しかったので、やっぱり残念だな、と跳子は少し凹んだ。


「…確か食堂に…。」

澤村が忘れたタオルを取りに食堂までやってくると、イスに座っている跳子の姿が目に入った。

「…ん?鈴木?」

近づく澤村の姿に反応することなく、肩が小さくゆっくりと上下しているように見える。

「…寝てる、のか?なんでこんなところで…。」

小さく声をかけてみるが寝息以外に反応はなかった。
澤村が悪いと思いつつ少し覗き込んでみると、あまり顔色がよくないように見える。

(起こすのもかわいそうか…。かと言ってこのままってのもなぁ…。)

困ったように跳子の横に佇んでいると、食堂の入り口から清水が顔を出した。

「澤村?…と、跳子!?」

二人に気付いて近づく清水に、澤村がシーッと唇に指を立てて小声で話し始めた。

「俺もたまたま今来たんだが…寝てるみたいだからどうしたもんかと思ってたところだよ。」
「そう…。ちょっとお腹痛くて薬を飲むって出ていったんだけど…帰りが遅いから気になって。お風呂に入る前に寄ってみたの。」

澤村がふと目をやると、清水の手にお風呂セットが入っているであろうバッグがあった。

「そうか。薬も飲んだのならそのまま寝かせた方がいいな。…部屋には誰もいないのか?」
「ううん。お風呂入る時にも一応何人か残るようにしてるから…今は梟谷の子たちが残ってる。」
「じゃあ大丈夫だな。…よっと。」
「?澤村?」

澤村が、机にうつぶせになっている跳子の身体をそっと抱えるように持ち上げた。
初めて見るお姫様抱っこに、思わず清水の顔も少し赤らむ。

「…よし。どこか苦しそうなところ、あるか?」
「ううん、大丈夫だと思う。ありがとう澤村。」
「いや、これくらいどうってことはないよ。」
「…写メ撮っていい?」
「…バカ。やめなさい。」

"どうってことはない"と言いつつ、やはり少し恥ずかしそうな澤村を見て、清水が小さく笑った。


途中で清水と別れ、澤村は女子部屋に向かった。
何があるわけでもないが、そのドアの前で少し緊張してしまう。

コンコンコン

少し控え目にノックをすると、はーいと間延びした返事が聞こえた。
やがてドアが開かれると、聞いていた通り梟谷のマネージャーが顔を出した。

「ハイハー…ってあれ?澤村さんと…跳子ちゃん?」
「すいません。ちょっと鈴木が体調壊したみたいで…。」
「うわ、顔色悪っ…!中まで運んでもらっていいですか?」

澤村が頷いて中に入る。
男部屋とはずいぶんと空気が違うように感じた。

二人いると思っていた部屋には、予想外に一人しかいなかった。

「こいつの布団どれか教えてもらえますか?」
「えっと手前の…ここです。」

澤村が教えられた布団の横にかがみこんで、そっと跳子を下す。
起こさないように細心の注意を払った。

「あのぉー、ちょっとお願いがあるんですけど…。」

跳子に澤村が掛け布団をかけている時、後ろから梟谷マネがそわそわと声をかけてきた。

「?」
「私、脱衣所に携帯忘れちゃったんだけど、もう一人も電話しに出てて部屋空けるわけにいかなくて。
すいませんが、すぐ戻るのでちょっとだけいてもらえませんか?!」
「え?あ、あぁ。」

ありがとうございます!と言いながら、即座に部屋から出て行くマネージャー。
思わず澤村はドアの方をボー然と見つめる。

(まぁ、携帯は気になるよな…。)

するとすぐ横で、跳子がモゾモゾと寝返りをうつような音が聞こえた。

「…鈴木?」

起きたのかと慌ててそちらに目を向け、小声で名前を呼んでみるがどうやらそうではなかったようだ。
ふっと力が抜けたように澤村が小さく笑って、顔にかかった髪の毛をそっとどかしてやる。

(だいぶ顔色がよくなってきたか…?)

顔に触れながら少しだけ覗き込むように顔色を確認すると、跳子が安心するようにへにゃりと笑った。

『さわ、ら…せんぱ…』
「…!!」

予想外に呼ばれた自分の名前に驚いて、跳子の頬に触れていた澤村の手がそのままピタリと止まる。
その手に少し擦り寄るように跳子が身じろいだ。

(鈴木…)

手に触れる跳子の感触に神経が集中する。
澤村の目が、跳子の唇を捉えた。

自分の方に向いている跳子の顔に、吸い込まれるように澤村がゆっくりと近づく。
頬にあてた手に少しだけ力が篭った。
もう一度澤村が心の中で跳子の名前を呼び、その唇までもう数センチのところで−

『ん…』

漏れるような跳子の声に、澤村がハッと気づく。

(俺は何を…!意識のない子にすることじゃないだろ…!)

慌てて離れた澤村は自分のしようとしていたことが信じられず、口元を手で覆った。
真っ赤になった顔で、恐る恐る跳子を見ると未だに幸せそうに寝息をたてている。

「〜〜〜っ!」

無邪気な顔に再び澤村の熱が上がる。
無意識だとしても、二人きりの空間で自分の名を寝言で呼ばれて微笑まれては仕方ないんじゃないかという気がして、小さな腹立たしさすら覚えた。
罪悪感が少し薄まってくる。

(こんな時に俺の名前を呼んだお前が悪い…)

もう一度、今度は意識的に澤村は跳子に唇を近づける。

−少しだけ、許せ−

手で跳子の前髪をそっとかきあげ、その小さなおでこにキスをした。
リップ音もしない、触れるだけの優しいキス。


そして外からパタパタと駆ける音が響いてくる。
どうやら携帯を見つけたマネージャーが戻ってきたようだ。

澤村はもう一度跳子の布団を直し、立ち上がってドア口へ向かう。
手をかけながら、振り向いて跳子の方をもう一度見た。

「…好きだよ」

澤村が小さな声で呟くと、そのままドアを開いて出ていく。
閉められた扉の外から二人の声が響く。

「あ!澤村さん、ありがとうございます!」
「いや、後は頼んでもいいかな?」
「はい!」

誰もいない部屋の中で、跳子の唇が小さく動いていた。

『わた…も…す…』


澤村の足音が遠ざかる。
代わって入ってきた梟谷のマネージャーが跳子の様子を見て少し驚いた。

(あれ?!随分顔色がよくなってる!…すごい特効薬でも持ってたのかな…?)

安心したように笑う彼女に答えるように、跳子も無意識にふっと微笑んだ。


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