長編、企画 | ナノ

たまにはこんな日も



月島蛍は、とても苛立っていた。

単純に"テスト前だから"というわけではない。
跳子の名前が出たから致し方なかったとは言え、バカ二人に勉強を教えるはめになったからだ。
ただでさえ気に食わない相手だと言うのに、基本もできておらず、さらに理解力が乏しすぎて嫌になる。

しかも−

『ここが現在進行形になってるから、訳した時にね−』
「あ、そういうことか!ありがと鈴木さん!」

なぜかその原因となった跳子本人が、自分の隣で山口と楽しそうに勉強をしている。

イライライライラ

(誰のために僕がこんな事をしてるんだと…。)

そのイライラが相手にも伝わり、日向はひどくビクビクしていた。
影山に至っては教えてもらっている立場だというのに、常に臨戦態勢を崩さない。
これぞ悪循環というやつである。
それを隣で見ていた跳子は、こっそりと山口に耳打ちする。

『月島くんに勉強を教わるなんて…チャレンジャーだよね…。』
「でもツッキー、教えるの上手いと思うよ。」
『…上手い下手の問題というか…。』

仲睦まじそうにこそこそ話す二人を、月島がギロリと睨む。
ヒッと息を飲んで、跳子と山口は慌てて教科書を覗き込んだ。

(近いんだよ。いちいち距離が−!)

期間限定で勉強部屋となっている部活後の部室。

同じ1年生同士…と思って跳子はここにいるが、日向達に勉強を教えることは早々に禁じられてしまった。
月島にはその二人に教える役目があるため、結果的に跳子は山口と二人で勉強をすることになっているのだが、二人は未だにそれが月島のイライラに拍車をかけていることには全く気づいていない。

山口の苦手な英語を重点的に勉強しているが、彼も進学クラスの一人なので特別成績が悪いわけではないのだ。
少しするとまた息抜きとばかりに、違う話を始めてしまう。

『ん〜でも私だったらもっと優しく教えてもらいたいというか…』
「ツッキーも女の子相手だったらもっと優しいと思うよ。」
『そうかなぁ…。なんか想像できない。』
「どんな感じだったらいいの?」
『んー、例えば…』

そう言って跳子は後ろを振り向き、山口に指し示した。

『澤村先輩とか?あんな感じで…』

「旭…。ここのノートが真っ白なのはどういう事だ…?(ゆらり)」
「だっ大地、ごごごごめん!ちょっとだけオチちゃったというか…」
「そうか。ちょっとだけな。この日の分まるまるないけど、ちょっとなんだな。」
「ひぃぃっ。ごめんなさいっ!」

「『…。』」

どうやら教える相手が悪かったようだ。
跳子は慌てて別方向を振り向く。

『スガ先輩とか!笑顔で優しく…』

「西谷。…ここ、ついさっき教えたばっかだよな。(にっこり)」
「スっスガさんすいません!あの、もう一回頼みます!」
「もう一回、ね。次で4回目だけど"もう一回"ね。(にっっこり)」

「『……。』」

笑顔は笑顔だけど、なんか黒い。
跳子はひきつった顔で逆方向を振り向く。

『…縁下先輩とか!親切丁寧に根気よく…!』

「…田中。」
「…はぃ…。」
「……田中。」
「…スイマセン…!!」

「『………。』」

何か全くわからないけど、真っ当に怖い。

「さっきから一体何の話してんのさ。」
「ツッキー!」

今日の分は終わったのか、不機嫌なまま月島が二人に声をかけた。
跳子が慌てて誤魔化そうとするも、山口が内容を簡単に説明をしてしまう。
しかも、余計なことに最初のきっかけのくだりまで。

「…ふーん、チャレンジャーね。」
『…。』
「…で?結局誰だったらいいの?」
『月島くんがイイデス…。』

その言葉を聞いて少し考えた後、月島がニッコリと跳子に笑いかけた。

「じゃあ明日は一緒に勉強しようか。」


翌日の日曜日。
休日は夕方に部活が終わることが多い。

−ノックしないでそのまま部室の外で待っててよね−

跳子は部活終わりに、月島からそんなことを言われたのを思い出す。
なぜそんなことを言われたのかさっぱりわからなかったが、特に困ることでもなかったのであまり気にせず部室に向かう。


月島はその部室で帰り支度をしながら、先ほど伝えた自分の急な言葉の意味は理解していなくても、きっと跳子は素直にその言葉通りにしているだろうと思っていた。

(いつもだったらそろそろ来る頃かな。)

さっさと着替えを終えた月島は、そのまま部室の出口に向かう。

「…主将。」
「うん?どうした月島。今日は勉強会なしか?」
「はぁ。二人とも谷地さんと用事があるみたいなんで。」

月島はそのまま靴を履き始める。
帰る準備を完璧に整えると、もう一度澤村の方を向いた。

「…主将。今日は鈴木のこと送らなくて大丈夫です。」
「ん?」
「今日僕とデートなんで。じゃ、お先です。」
「!??オッ、オイ!?」

目を見開く澤村や部員達に笑顔を残して、月島はさっさとドアから飛び出す。
案の定そこには、すでに跳子が立っていた。
驚いた顔をしているのは、急にドアが開いたからだろう。

『つき』
「行くよ。」
『え?』

月島が跳子の手を掴んで走り出す。
階段を駆け下りていると、扉がものすごい勢いで開く音が聞こえた。
続いて自分の名前を呼ぶ声が聞こえるが、月島には止まる気なんてさらさらなかった。

状況が理解できないまま、あまりの速さに目をぐるぐるさせる跳子。
それを見た月島がクスっと笑い、さらにスピードをあげてやる。
跳子はただ転ばないように必死で足を動かすことしかできなかった。


ドアを開けた時には、すでに階段を下りる音がし終わるところだった。
澤村は一瞬言葉の理解が遅れたせいで、靴を履く間も追いかける事もできなかった。
デートという聞き捨てならない単語に田中と西谷が怒号を飛ばすも、月島は振り向きもせずに右手をピラピラっと小憎たらしく振ってくる。
反対側の手が、跳子の手を握っているのが澤村の目に入った。

「ははっ。やられたなー大地。」
「……。」

(…月島。アイツめ…!)

部室の温度が2〜3度下がった気がして、皆身体を震わせる。
これは明日の部活が荒れそうだと、菅原は思わず十字を切った。



校門を過ぎて少し行ったあたりで、ようやく月島が足を止めた。
どうやら誰かが追いかけてくる気配はない。
完全に巻き込まれた形の跳子は、しゃべることもままならない。
自分が息を整えるため必死に酸素を取り込んでいるというのに、巻き込んだ張本人は涼しい顔をしている。
跳子は下から恨みがましい顔で月島を睨みつけた。

「…何?」
『…"何"じゃないよもう!』

ようやく息を飲みこんで、跳子が月島に言い返す。

『いつも送ってもらってるのに、今日私先輩に何も言ってないよ。』
「…主将にはちゃんと伝えておいたよ。」
『そうなの?それならよかったけど…。』

ちょっと安心したら、今度は途端におかしくなってきて笑ってしまう。
先日、谷地が日向に同じような感じで連れ去られていったのを目の前で見たからだ。

(仁花ちゃんもこんな怖かったのかもなぁ。)

ひとしきり笑った後、月島に促されて今度は普通に歩き始める。

『これからどこに行くの?』

確かに一緒に勉強と言ってはいたが、いつものように部室でするもんだとばかり思っていた。

「…あのさ、あのケーキ屋。もうオープンしてるんでしょ?」
『あ!お姉ちゃんの?おかげさまで無事先月末にオープンしました!』
「もうそろそろ落ち着いてるよね。開店祝い持ってきたから、行こう。」
『本当?ありがとう月島くん!』
「そこでケーキ買って、その後勉強ね。」

(なんだ。月島くん甘いものが食べたかったんだ。)

確かにここのところイライラしていたし、糖分補給は必要かもしれない。
それに開店のお祝いまで用意してくれるなんて思ってもみなかった。
先ほど走らされた事などすっかり忘れ、上機嫌でお店に向かって並んで歩く。


「…ゲッ」
「あら、いらっしゃいませ!」
「!鈴木!?…と月島!?」
『あ、山田くん。』

世の中そううまくはいかないらしい。
お店に入ると、レジの前でお会計しているのはクラスメイトの山田だった。

「えっなんで…?」
『山田くん、来てくれてたんだね。お買い上げありがとうございます!』
「ありがとうって…?」
『ここ、従姉のお店なんだ!』
「!そ、そうなんだ!?」

(道理で店員のお姉さんが好みのタイプだと…!)

山田は、月島と二人で来た理由を聞こうとしていたはずなのに、別の事実に驚いて忘れてしまった。

『あ、お姉ちゃん。物販のマドレーヌとパウンドもうないよ?』
「あらホント?じゃあ跳子、補充よろしくねー。」
『えー?』

仕方ないなぁ等と言いながら、跳子は籠を持って厨房の方に消えて行った。
そちらを見てそわそわとしている山田は、全く帰る様子を見せない。

「もう買ったんなら早く帰りなよ。」
「えぇっ。だってせっかく会えたんだし…。」
「…自分の従姉のお店で、買った後に長居するヤツってすごい印象悪いと思う。」
「えっ!?」
「スッとスマートに帰る方がかっこいいと思うけど。」

月島の言葉に、山田は少し頭を巡らせてから頷いた。

「…それもそうだな。じゃあ俺帰るけど、鈴木にいい感じに言っておいてくれ!」

笑顔で手を振って見送った月島を見て、思わずお姉さんが笑う。

「…月島くん、本当にいい性格してるわ。」
「何の話ですかね?」
「でも、あの子相手じゃ苦労してるでしょ。」
「…。」

お姉さんの笑顔を躱していると、跳子が焼き菓子を詰めた籠を持って戻ってきた。
その後、月島は無事開店祝いを渡して3人で少し話をする。
後ろで自動ドアが開いたので、他のお客さんの邪魔にならないように横に避けつつ何気なくそちらを見ると…。

(…ゲッ)

「よう、月島。」

最強にニコニコ顔の澤村を先頭に、バレー部員達が立っていた。

どうやら先ほど焼き菓子を詰めに行った跳子に、メールで場所を聞いたようだ。

(チッ。)

心の中で月島が舌打ちする。
結局二人でいれた時間などほとんどなかった。
なかなか抜け目のない主将だ。

(この人も山田と同じくらい簡単ならいいのに。)

それでも跳子の方を向けば、従姉にみんなを紹介して嬉しそうな顔が見える。

…今はこれでもいいか−

その笑顔を見たら、毒気を抜かれたようにそう思うしかなかった。

とりあえず、このままではここのケーキもこの人達に奪われかねない。

月島は慰めのショートケーキを買うために、ショーケースを覗きこんだ。


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