●●●そしてまた陽は昇る
翌、月曜日。
2日間の激闘から、日常に戻った。
だからと言って、一晩でリセットされたかのように敗戦の悔しさが消えるわけがない。
授業中もそれぞれの頭で何度も繰り返されるのは、自分がミスした場面と届かない手、目の前でボールが落ちる瞬間、そして試合終了のホイッスルの音だった。
その度に、唇を噛み締め、拳を握り、ただその残像が過ぎるのを待つしかなかった。
跳子ももちろん同じだった。
もっと自分にできることがあったかもしれないー
試合前に気づいていれば、もしかしたらー
考えても仕方ないことが、跳子の頭をぐるぐると回る。
昨日皆で流した悔し涙が、まだ喉元に残っているように苦い。
しかし跳子は自分が直接試合に出たわけではないし、もうこれ以上昨日のことで泣かないようにしようと決めた。
それでもみんなの気持ちを思えばまた涙が滲みそうになるのだ。
全国へ進むたった一つの椅子を争う一戦は、今日もまだあの体育館で続いている。
もう少しで今日もそこに居られたかもしれない。
誰も口にはしないが、それが心のどこかに残って、未練がましく離れない。
跳子は隣の月島にチラリと視線を向けてみる。
月島は窓の方へ顔を向けているため表情はわからない。
朝挨拶をしたっきり、今日は話をしていなかった。
跳子から話しかけることもしなかったが、きっとそれでいいんだと思う。
月島も、自分には解り切れないくらい、そして自分以上に悔しいはずなのだ。
普段あまり見せようとはしないが、月島も相当な負けず嫌いだと跳子は思っていた。
しかしなぜか自分の力の上限を決めつけ、これ以上は無理だというラインを線引きしてしまう。
そして口では負けても仕方ないと、勝てるわけがないと言う。
ただ必死になることやガムシャラに上を目指す姿勢に、どこか嫌悪感を持っているようにすら感じる。
過去に何かあったのではないかと思ってしまう時がある。
自分のそういう所を人に見せたくないだけならまだしも、日向や影山と言った"そういう熱さを持つ人"に対する頑ななまでの態度を見ると、そんな風に感じてしまうのだ。
一度そんな話を帰り道に澤村にしたことがあった。
澤村は笑って、"まぁでもきっと心配することはない"と言っていた。
確かに、そうじゃなければ決して楽とは言えないこの部活に入部することもないと思えた。
授業の内容が頭に入らないまま、昼休みを迎えた。
ちえとゆかが、気を使いながら話しかけてくる。
「…昨日は残念だったね」
『ううん。でもみんな、すごかったんだよ。』
「うん。…でもこれで、先輩たちも引退だと思うと寂しいね。」
『…え…?』
思わぬ友人の言葉に、跳子が驚く。
その跳子の表情に、逆に言ったゆかも"違うの?"と聞き返していた。
『引…退!?』
「え。だって澤村先輩と菅原先輩、進学クラスでしょ?少なくとも、レギュラーじゃない先輩は普通引退するんじゃないの?」
『…!』
普通に考えればその通りだった。
しかし跳子には全く頭にないことだった。
まだ一緒に居られると思い込んでいた。
ひたすらに先を見て、ひたむきに進むみんなを見ていたら、道が途切れることを考えられなかったのだ。
「跳子!?」
気づけば跳子は教室を飛び出していた。
聞きたい。聞いていいのかわからないけどじっとしていられない。
3年生の校舎へ。跳子の足は自然と3年4組へ向かっていた。
騒がしい昼休みの教室を遠慮がちに覗く。
さすがに上級生のクラスを堂々と見るわけにも、ましてや入るわけにもいかない。
周囲で噂をしていた男子生徒の一人が、ススっと近寄って跳子に優しげに声をかけた。
「鈴木さん、だよね?誰か探してるの?」
『!あ、すみません。澤村先輩がいらっしゃらないかと…。』
「澤村?あぁバレー部ね。…教室内にはいないみたいだよ。」
『そう…ですか。ありがとうございます。』
「いえいえ。それより…。」
『失礼します。』
言いかけた男子生徒の声は耳に入らず、跳子は再び走ってそこを後にする。
これが部活のない時の二人の距離なんだと痛感する。
3年と1年。
上級生と下級生。
(もし先輩が引退したら、こんな毎日が日常になるの…?)
それはただの自分の我儘だと理解しつつも、跳子は考えてしまう。
進学クラス、受験生、これからの先輩の人生がかかっている。
無責任に自分が何かを言えるわけがない。
なのにここに来て、自分は何を言うつもりだったのだろうか?
跳子は立ち止まった。
何かを考え、そしてゆっくりとその足を職員室に向き直した。
それぞれがそれぞれの昼休みを迎えていた。
腐っているのは午前中で終わりにしようと、各々が思っていた。
2年1組では、2年のバレー部員が全員集まって話をしていた。
「大地さんは春高に行くって言った。」
「春高…一次予選は8月だっけか…」
「"俺達で"もう一回行くって言った。敗戦に浸ってる余裕、無ぇよ。」
田中は既に立ち上がっていた。そして信じていた。
他の者もその言葉に力強く頷く。もう一度全員で、春高へ。
1年4組では、山口が昨日の夜に嶋田と話したことを思い出していた。
"勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る"
鳥養前監督の言葉と、嶋田自身の話をしてくれた。
山口も、顔を上げる。迷いなくいつもの笑顔になった。
「ツッキーご飯食べよう!」
「山口うるさい。」
「ゴメンツッキー!」
すっかりいつもの二人だった。
3年4組では、跳子が来たことには気づかないまま、ベランダで3年の3人が話していた。
「俺は…ここで退いた方がいいと…思ってる。」
「え」
澤村の言葉に、東峰が思わず声をあげた。菅原は目を見開く。
確かに前は澤村も、春高まで出ると言っていたはずだったからだ。
「−絶対そこまで残って東京行って戦ってやるって思ってた。…でも1・2年見てたら少しでも早くあいつらに部を明け渡した方がいいんじゃないかって思ったんだよ。」
「…。」
「将来有望なあいつらメインの新体制チームで早くスタートした方が、チームとしては絶対に…「大地、それって本音?」!!」
淡々と話す澤村の言葉を、菅原が遮った。
その言葉に、澤村がギクリとした表情になる。
「確かに大地は主将っていう重い立場だけど、自分を完全に殺す必要無いんじゃねぇの?」
「…。」
「前からそう決めてたなら何も言わないけど、そうじゃないなら最後くらいもっとやりたい様にやんなよ。」
澤村が苦しそうに、顔を歪める。
(俺だって−)
「俺は昨日言った通り居残る!1・2年に"出てってください"って言われたらそん時考える!大地と旭が居なくてもな!」
菅原の言葉に東峰も慌てて返す。
「俺は昨日残るって言ったべよ!元々進学希望じゃないし…。1・2年に"出てってください"って言われたら−…凹む。」
「…俺は…」
まっすぐぶつけてくる二人の言葉に、澤村の隠していた本音が口をついて出てきた。
「…俺はまだやりてぇよ!−お前らとまだバレー、してぇ」
主将の正直な言葉に、菅原と東峰の顔も緩む。
教室内からそれを見ていた清水も、考えるように教室を出て行った。
部室へ向かう清水の耳に、第二体育館から奇声が聞こえる。
日向と影山が散々暴れて、叫んでそのままの形でへたり込んでいた。
「…勝ち、てえ」
「…俺はもう謝んねぇ…。謝んなきゃいけないようなトスは上げねぇ…!」
「!」
昨日一度謝られた日向には、思い当たることがあった。
「時間無い。止まってる暇、無い。」
皆強者だった。速やかに立ち上がり、次へ進む準備を始めていた。
清水が体育館の入口から二人に声をかける。
「でもお昼はちゃんと食べなさい。」
「!?」
ビクッと肩を震わす日向に、清水がきっちり注意をする。
いつもはなかなか緊張して話しかけない日向が、清水に珍しく声をかける。
「あっあの!」
「なに?」
「3年生は−3年生は残りますよね…??…変わらないですよね!?」
「うん、変わらない。」
「!!ありがとうございます」
花が咲いたように嬉しそうな顔をした日向は、ご飯を食べるために影山を連れて教室に戻って行った。
二人を見送った清水の顔に、新たな決意の表情が浮かんでいた。
教室に戻った日向はものすごい速さでお弁当を食べ終え、食後のおやつにまで手を出していた。
普通に昨日のことについても友人に話せるようになっていた。
どうやら友人の部活も、IH予選敗退となってしまったようだ。
「けどこれで3年生引退かぁ〜。」
「引退…もう大会無いの?」
「あっても3年生が出るのは先生とかが止めるんじゃないの?進学する人は特に。」
「そんな!おれ3年生に教わることあるし、一緒にバレーしたい!」
ついさっき清水に確認して変わらないと聞いたばかりだったが、先生に止められるかもしれないと聞いてまた日向の不安は募った。
しかも澤村と菅原は進学クラスだ。
日向は走って職員室に向かった。
職員室前で、日向は思い悩んだような顔をした跳子に会った。
「鈴木さん!」
『!!日向くん!どうしたの!?』
「おれ?おれは3年生が残るかどうか知りたくてさ。」
『!』
「鈴木さんは?」
『…同じ、かな。』
でもなかなか入れなくて−という跳子に、じゃあ一緒に入ろうと日向が誘い、中に入った。
「『シツレイシマス…。』」
「…僕も早々に話をしなければと思っていましたので…。」
応接コーナーから武田の声が聞こえ、二人はそちらに向かった。
すると一人の先生がそこから出ていく。
どうやら武田との話は終わったようだ。
「たっ武田先生!」
「!」
『すみません。お昼休みのお時間に…。私たち聞きたいことが…。』
「3年生残るって聞いたんですけど、本当ですよね!?3年生ともっとバレーしたいです!」
「…3年生が、5年後・10年後に後悔しない方の道を選んでもらうしかないね。」
「『……。』」
"後悔しない方"。それはとても難しい言葉だと思う。
選ばなかった方の道に進んだ自分は想像の中でしかない。
その自分と比べて、一体何の答えが出るのだろうか。
今日の朝だって小さな後悔の連続だった。
あそこであぁしていれば、もっと頑張っていたら。
それでも、先輩達にとってこれから生きていく上での大きな選択肢になることは解っていた。
例え気持ちが解っても、先生がそれに流されてはいけない。
「…おれ、オリンピックで金メダル獲るまで何回も後悔すると思います!」
「!?」
日向のおもむろな言葉に、武田は一瞬理解が追いつかなかった。
「一番後悔するとすれば二度とバレーが出来なくなることで、それ以外はなんとかなるんじゃないかと−…。」
そこまで言って日向は、それは自分の話であったことを思い出し、一度会話を止めてまとめようとした。
跳子には何となく日向の言いたいことが、先ほど自分が考えていたことと同じだと思った。
しかし武田が呼ばれたことで、二人は慌てて職員室を退散することになった。
「はぁー。結局何もわかんなかったなー。」
『ん。でも日向くんの想いも武田先生に伝わったと思うよ。』
「??そっかな?」
日向の言葉ににっこりと微笑みで返した跳子を見て、日向の顔は爆発しかける。
『??』
「あ、あにょ、じゃあまた、ぶかっ部活で…。」
ふらふらと教室へ戻って行く日向を見ながら、跳子も自分のクラスへと戻っていく。
すっかりご飯は食べ損ねてしまったが、先生と日向と話せて少し気持ちが落ち着いた。
先輩達もたくさん考えているはずだ。
逆に今自分が先輩に無理矢理聞けなかったことがよかったと思えた。
チャイムが鳴った放課後の3年4組の前。日向がこっそり現れた。
日向も直接先輩に「残って欲しい」なんて言えないことは解っていたが、先輩が自然に部活に向かう姿を見て、いち早く安心したかった。
「あれ、日向。ここで何してんの?」
「!!」
こっそり見るつもりが、すぐに菅原に見つかってしまう。
言葉に詰まっているところに武田が菅原に声をかけた。
「菅原くん。他の3年生と一緒に、ちょっといいかな?」
「!」
「−…ハイ。」
きっと、その話だ。
不安そうな顔の日向を安心させるように、また自分に言い聞かせるように、菅原が笑顔で日向に言った。
「じゃあ日向。また部活でな。」
「ハイッ」
「…3年生、来ねぇな…。」
第二体育館では、1・2年生がそわそわとしながら待っていた。
焦れたような田中の言葉は、全員の気持ちの表れでもあった。
跳子も落ち着かない気持ちで、ボールをひたすらに磨いていた。
その時、外から体育館の入口を開ける音が聞こえた。
皆が反応する。そこには−
3年生4人が揃って慌てて入ってくる姿が見えた。
日向が耐え切れず、菅原の目の前に飛び出す。
それを見て、ニッと笑いながら菅原が答えた。
「行くぞ。春高。」
「「「おっしゃああぁ!!」」」
翼が揃った。
再び烏たちは空を飛ぶ準備を始める。
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