長編、企画 | ナノ

戻ってきたあの頃



IH予選、前日。

IH予選前最後の練習の講和を終え、澤村が部活を〆ようとすると、武田が慌ててそれを止めた。

「あっちょっと待って!もう一ついいかな?…清水さんから。」
「「「??」」」
「…激励とかそういうの…得意じゃないので…」

清水はそう言うと、荷物を肩にした武田と共にはしごをのぼり始めた。
なんだなんだと見守る部員たちに向け、ギャラリーからバサリと何かを広げた。

− 飛 べ −

それはOB会より寄贈された黒い応援横断幕だった。

掃除中に清水が見つけ、一人でキレイに手直ししたものだった。
跳子も手伝うと進言したが、みんなのために一人でやり切りたいという清水の強い気持ちを汲んで見守っていた。

(潔子先輩、間に合った…!)

「こんなの、あったんだ…!」

皆が驚く中、澤村はその場から動いていない清水を見て、何か続きがあることを察する。

「「よっしゃああ!じゃあ気合い入れて−「まだだっ」?」」
「多分−まだ終わってない」

騒ぎかけた田中と西谷を小さな声で制し、続きを促すように上を見上げる。

「が」

(((が?)))

「がんばれ」

小さく言うなり、清水はすぐにその場から退散する。
清水の言葉が全員の耳から脳に到達し、その言葉を理解するまでたっぷりと数秒を要した。
そして−

ブワッ

2、3年生全員と跳子の目から感動の涙が吹き出した。
跳子以外の1年生がギョッとする。

「「「清水っ…!こんなのハジメテッ」」」

3年生が泣きながら感動を口にし、田中と西谷に至っては声も出ていない。
そして共に号泣する跳子に、月島がため息をつく。

「…で、なんでキミまで泣いてるのさ。」
『だって…潔子先輩、すごく頑張ってたんだもん…!』

本当にしばらく忘れ去られていたかのような横断幕はひどい状態だった。
しかもあの大きさだ。
それをたった一人でやり遂げた清水の努力を思うと、跳子は涙が止まらなかった。

『潔子せんぱぃぃぃ!』
「…あと跳子からも一言。」
『えっ。』

下に戻った清水に跳子が駆け寄ると、照れ隠しなのか急にそんなことを言った。
あまりの無茶ブリに止まらなかったハズの涙が急激に引っ込む。
しかし、すでに部員全員の目が今度は跳子に集められていた。

『あの…私は明日から、試合中はみんなの近くにはいられません。』

跳子は次の対戦相手の情報収集のため、ビデオを持ってそちらの観戦席に行ってしまう。
だから必然的に、烏野の試合を側で観ることはできないのだ。

『でも、ずっと気持ちはみんなの側にいます。頑張ってください。そして…私に優勝するカラスを見せてください!』
「「「!」」」

そう。跳子が烏野の試合を観ることができるのは、次の対戦相手がいない時。
つまり決勝の時なのだ。
清水の時とはまた別の意味で、みんなの気合いが入る。

「1回戦、絶対勝つぞ!そして決勝で鈴木に俺たちの雄姿を見せてやれ!」
「「「うおおおっス!!」」」


ひとしきり気合いを入れ終え、部員たちの咆哮もやっとのことで収拾ついた。
そのまま解散となり、澤村は跳子と歩きはじめる。

「気合いの入る一言、ありがとな。」
『すごい恥ずかしいです。潔子さんの後とかハードルが高すぎますよ…。』
「ははっ。そんなことなかったぞ。」

明日から鈴木が近くで観ていないこと。
それ自体、澤村にとって頭で解ってはいても飲み込みがたい事実だった。
だから気持ちは近くにいてくれることや決勝に進めば側で観られると言ってくれたことは、改めて激励され、気が引き締まる言葉だった。

二人が校門近くまで来ると、外に大きな人影が一つあることに気付いた。
澤村は少し警戒をし、跳子にはわからないよう自分の肩越しにかばうようにして歩く。
しかし近くまで来た時にその見覚えのある人影の正体がわかった。

「牛島…!!」
『え?若くん?!』
「跳子。…と澤村、だったか。」
『どうしたの!?こんな時間に。』
「なかなかお前の話を聞く機会がなかったからな。IH予選前で早めに練習が終わったから来てみたんだ。」

今回はメールしたぞ、と言う牛島に、跳子は慌てて鞄から携帯を漁リ始めた。
その間に、牛島と澤村の間に視線が交わされる。
数秒間の邂逅の後、その話じゃ今回は仕方ないな、と澤村が息を吐いた。

「…じゃあ俺は今日はハズすよ。」
『え、でも』
「そうしてもらえると、助かる。」
「ちゃんと送ってやってくれよ。鈴木、また明日よろしくな。」
『あ、ハイ!あの、ありがとうございます。頑張ってください!』

当たり前だ、と頷く牛島を確認し、澤村はそこから直接自宅へ向かった。
心配ではあるが、こればかりは仕方ないと思っていた。



(澤村先輩…。)

澤村の背中を見送りながら、自分のためとは言え跳子は一抹の寂しさを覚える。

「跳子。お前の祖父の家まで送る。」

自分を呼ぶ牛島の声にハッとして、二人は夜道をゆっくりと歩き始めた。
その道すがら、今まで言えなかったそれまでの話を少しずつ話す。

牛島に話すことが一番難しいと跳子は思った。
きっかけとなった牛島の"婚約者発言"や、あの子の気持ちについては隠し通したかったからだ。
最後は家近くの公園に寄り、街灯のあるベンチの下で跳子は話し終えることができた。

「…側におれず、俺自身たくさん傷付けてしまったんだな。…すまない。」

牛島の謝罪の言葉に、跳子は慌てて手を振った。

『ううん、若くんは悪くないの!今考えてみれば簡単にわかる。若くんが心配してくれたことも、信じてくれてたことも。でも、あの頃の私は全て悪い方に考えてしまうようになってたから…。それなのに勝手に誤解して、避けてしまって、本当にごめんなさい。』
「…確かにそれは本当に困ったな。自分が悪かったこととは言え、何もわからないままだったからな。」
『うん…。ごめんね。』
「いや、俺の方こそ悪かった。…このままだと謝り合いだな。」

牛島の言葉に、確かに、と跳子はクスリと笑う。
そしてお互いにもう謝るのは終わりにしようと決めた。

「この間、久しぶりに中等部に指導に行った。そこで練習後に今の3年が話しかけてきた。お前の一つ下の後輩たちだ。そいつらからも、当時のことを少し聞いた。…お前に謝りたいと言っていたよ。跳子が悪くないのはわかっていたのに、先輩が怖くて何もできず申し訳なかった、と。」
『!』

わかってくれる人たちは、すぐ近くにもいたんだ。
改めて跳子は、当時の自分の視野や考え方が狭くなっていたのを思い知った。

「…跳子。」
『?』
「…もう一度、白鳥沢に来てくれないか?」
『!!』
「俺と共に闘って欲しい。」

跳子は驚いて、牛島の目を見る。
牛島はいたって真剣だった。

「アイツには俺が話をつける。そんな話を聞いて、俺たちのサポートなぞ任せては…」
『…若くん。』

跳子は、決意のこもった目で牛島の目を見つめなおした。

『私はもう、烏野バレーボール部の一員だよ。だから、白鳥沢には行かない。』
「…跳子。」
『ありがとう、若くん。でも私、あの子も辞めさせてなんかほしくない。私とのことはさておき、マネージャー業はしっかりしていたし、これからも続けてて欲しい。そして烏野で頑張る私の姿を見せて、勝つの。』
「!!」

牛島も跳子の目を見つめ返した。
その目には、何にも揺らぐことはない光を宿していた。

(強く…なったな。)

ずっと自分が守り続けていた小さな女の子が、今自分の前に立ちふさがろうとしている。
守られるだけじゃ強くはなれない。
跳子は自分から離れたことで、彼女自身の強さを手に入れた。
それに寂しさも感じるが、同時に牛島は喜ぶべきことでもあるとも思った。

「そうか…。それなら仕方ないな。」

言いながら牛島から、小さな苦笑が漏れる。
その言葉に安心したように跳子も肩の力を抜いた。
その姿をみて、それにしても、と牛島は続ける。

「中等部のヤツら、跳子がいないのなら白鳥沢への進学は考え直そうと思う、とまで言っていたぞ。有能な後輩が入ってこないのでは困るのだが。」
『あ、じゃあぜひ烏野に来てって言っておいて。』
「…こら。調子に乗るな。」

優しい兄のような微笑みで、跳子のおでこを軽くはじく。
それは、牛島が他の人には決して見せない表情だった。

(…昔のように笑いあえた。嬉しい。)

まるであの頃の二人に戻れたようだった。
でも、あの頃とは確実に違う。
両親と牛島がすべてだった頃とは、跳子の心はだいぶ変わっているのだ。

強くなるのは喜ぶべきこと。
だがそれとは別に、跳子の心に歓迎し難い変化があることも牛島は薄々と感じ取っていた。


「若くん、送ってくれてありがとう。またね。…明日、頑張ろうね。」

家につき、牛島に手を振りながら跳子は家へ入っていった。


(烏野…そして澤村。俺は負けん。そして跳子自身を諦めるつもりもない。)

振り返り歩き始めた牛島の顔には、冷たく感じるほどの闘志が漲っていた。


|

Topへ