長編、企画 | ナノ

猫かぶりな月島くん


※特殊設定のお話なのでご注意ください。


調理室にはふんわりと甘い匂いが漂っている。
思わずくんくんと鳴らす鼻の頭には、じんわりと汗をかいていた。

空調は十分に効いているハズだが、なんとなくこの香りとオーブンの熱で、暑さの方が勝っている気がしてしまう。
世間は夏休みの真っ最中だと言うのに、調理部は文化部ながら今日も元気に手を動かしている。

まぁそうは言っても、普段は休日に活動はしていないからかなり特殊ではあるんだけど。
夏休みが明けると1ヶ月後程で文化祭が開催されるため、私たちは少し早めにその準備に取り掛かっている。
調理部が腕をふるえる数少ない機会だから、否応でも気合が入るってモンだ。
今日は本番さながらに決めてみた手順で、実際にかかる時間やできあがる量を確認し、もうちょっと内容を詰めていくために集まっていた。


「「お疲れ様でしたーっ!」」
『はーい、お疲れ様ー。皆欲しいモノはちゃんと持ったー?』
「「はい、いただきました!」」

後輩たちが片手をあげて、それぞれ持ち帰り用のバッグを掲げてみせる。
中にはすごく可愛らしくラッピングをされているものもあって、きっとこの後彼氏とデートなのかもしれないなぁなんて思った。

『−ふぅ。』
「跳子、お疲れー。」
「部長は色々と大変ねー。申し訳ないけど、私平部員でよかったわ。」
『平部員って…。いや、別に特別なことは何もしてないけどね。』

後輩たちの背中を見送った後、クスクスと笑いながら残った2年メンバーと同じテーブルについた。
今日の結果を踏まえて、問題点の洗い出しと作る品の調整なんかを話し合う。
実際に企画内容を提出するのは夏休み明けになるが、調整した内容の最終確認のためにもう一回くらい夏休み中に活動日を設けた方がいいかもしれない、ということで決着がついた。

「じゃあ、後で後輩たちにまとめてグループ連絡しておくわー。」
『ん、頼んだー。』
「よーし帰ろ帰ろーっ!跳子、帰りに時間あるならどっか寄ってこうよ。」
『あ、ごめーん。私もうちょっと残るわ。今日の部誌書くのと、あと図書室寄ってレシピ本返そうと思って。返却期限過ぎちゃっててさ。』
「そうなんだ。手伝うよ?」

帰り支度をしながら顔をあげた優しい友人の言葉に、私はふるふると首を振った。
部誌なんて手伝ってもらうほどのことでもないし、けど書くのが得意なわけでもないので結構時間がかかる方なのだ。
どちらにしても残ってもらうのは申し訳なくて、「個人的にちょっと試したいこともあるし」と適当なことを言えば、彼女らは「そっか」と納得したように頷いてくれた。

「じゃあごめん、先に帰るね。あ、私ベイクドチーズとマドレーヌもらったから。」
「私ガトーショコラとミートパイ!おっさきー。」
『お疲れ様。またねー。』

ブンブンと手を振る友人たちに手を振り返してから扉を閉めると、急に広い調理室がシンと静まり返ったようになる。
空調の音が少し大きくなったような気がしたけど、それも少ししたらすぐに慣れてきた。

ふぅと肩で息をついて席に戻る。
部誌を広げて準備をしながら、"そうだ"と私はもう一度立ち上がって冷蔵庫に向かった。
今日作ったお菓子を食べながらゆっくり作業をしようと決めたからだ。

やっぱり皆、割と形が崩れにくい焼き菓子類を持ち帰ったようで、残っているのは真っ白いきれいないちごショートが3切れ。
生クリームをちょっと奮発した甲斐もあってか、さっきの試食会で一口食べた時になかなか美味しかったのを思い出した。

(一切れは今食べるとして…、残りはどうしようかな?お母さんたちに…にしては数がはんぱだし、やっぱ生ケーキは持ち帰りにくいしなぁ。)

しかも季節は夏。
ゆるゆるになった生クリームが崩れ、箱にべちゃりとついてしまうのを見るのは、あまり気持ちのいいものじゃない。

(学校内で誰かにあげようか…。)

部活をやってる子なら学校にいるはず。
そう考えると同時に頭にポンッと浮かんだのは、同じ委員会で話すようになったナマイキな後輩のニヒルな笑顔。

背が高くて整った顔立ちの彼は、しょっぱなから女の子たちをキャーキャーと騒がせていたが、妙にクールというか、興味がないというのを隠しもしないなかなかの性格だった。
と言っても、私が直接それをくらったわけじゃなく、果敢に彼に向かっていく女の子たちがバッタバッタと玉砕していくのを横目で見ていただけで、私自身はほとんど彼と話すことはなかった。

そんな月島蛍くんと、偶然お気に入りのケーキ屋でバッタリと会ってしまったのは、もう3か月も前になるだろうか。
顔を合わせた途端ものすごーく嫌そうに眉間をめいっぱい寄せられたが、とりあえず互いに知らんぷりもできないから会釈だけをして、話すこともなく帰ったっけ。
しかしその後も妙にケーキの趣味が合うのか、カフェ巡りの先々で彼に遭遇するようになった。
そのうちに向こうからもペコリとお辞儀をされるようになり、5件目でついに話をすることになったんだ。

『すいません。とりあえずこのショートケーキ2つと…。』

ショーケースに残っていた最後のショートケーキを指さして言った言葉に、すぐ後ろから「あ、」という反応が返ってきた。
思わず振り向けば、気まずそうに口を押さえる月島くんの姿があって。

『あれ?月島くん。また会ったね。あ、もしかしてショートケーキ狙いだった?』
「いえ、別に…。」
『そう?んーでも私、実はモンブランと迷ってたからやめとこうかな。』

目を背けた月島くんの様子に、私は何となくそう言ってショートケーキをキャンセルした。
そういえば、月島くんはいつ見てもショートケーキだけを買っていたような気もするし。
そうしてお会計を済ませて帰ろうとする時、初めて「鈴木さん」と名前を呼びかけられた。

「…ありがとうございます。」

嫌々というわけではないが、そのお礼を言う月島くんの何とも言えない表情についふきだして笑ってしまったのも、私的にはいい思い出だ。

それからは学校内でも顔を合わせればどちらともなく話すようになり、情報交換のために連絡先も知った。
仲良くなればなるほど捻くれた性格も目の当たりにしていくようになるが、それはそれで楽しかったし、そんな姿を見れることにいつの間にかちょっとした特別な感情を抱くようになっていた。

たまに屈託ない笑顔を見せられては目がチカチカして、可愛くない態度が可愛く思えてしまった時にはもう手遅れで。
まぁ要するに…、まんまと彼に落ちてしまったのだ。


(月島くん、きっと部活あるよね。ケーキ、食べるかな…。)

白いショートケーキを見ながらそんな事を一瞬思って、心臓がバクンと大きく飛び跳ねた。

慌ててその顔をかき消すように、冷蔵庫を思い切り閉める。
バタンという大きな音と一緒に、中でカシャンと何かの瓶がぶつかる音が聞こえた。…危ない。

確かにたくさん話すようになったとはいえ、私たちの関係はそれだけだ。
委員会の先輩・後輩で、たまに外で偶然会うことがあるだけ。
趣味がまるかぶりだから、情報交換のためにたまに連絡をしたりするだけ。
想い自体自覚したばかりの自分にとって、もう一歩踏み込んだ行動をするのは、どうしたって怖かった。

変なことは考えないように、と気を取り直して私は腕を組む。
美味しい紅茶と一緒に食べたいところだが、さっきの試食会で葉っぱを使い切ってしまった。
それならば先に図書室に本を返しに行って、ついでに冷たい飲み物でも買ってこよう。
空気を入れ替えるために少し窓を開け、私はお財布と本を持って調理室を後にした。


ペットボトルを片手に戻ってくると、漂っていたお菓子の香りはだいぶ薄れたように思えた。
冷房のひんやりした空気も流れてしまったが、窓から時折入ってくるそよぐような風が気持ちいい。
戻ったらすぐに閉めようと思っていたが、とりあえずそのままでもいいかも。
一人鼻歌を歌いながらいちごショートを一切れお皿に取り出すと、その窓の方から「にぃ」と小さな鳴き声が聞こえた。

『えっ?』

反射的に振り向いた先に、一匹の猫が佇んでいた。
細い身体を窓の隙間に滑り込ませ、器用に窓の桟に立ってこちらを見ている。

『ね、猫…?!』

予想外の登場人物(?)にビックリしてしまったせいで、キレイに乗せたいちごショートがパタリと横に倒れてしまった。
普段の活動日には、お腹をすかせた運動部男子が窓の外でヨダレを垂らしていることはあるけれど、猫が来たのは初めてだ。

驚きながらも何となくその佇まいに癒されて、ほんのりと微笑みを浮かべた時に、重大なことに気付いた。

−っというか、調理室に動物はマズイ!

『ちょっとそこでストップ!きみ、窓からこっちに降りないでね!』

通じる訳ないのにそう嘆願しながら、私はそちらにパタパタと駆け寄る。
間近まで来てから手に持っていたお皿をテーブルに置き、私は猫の前に立った。

『ふぅ、よかった。降りないでくれてありがとね。』

猫に向かってそう笑いかけてみるも、しかし猫の目線はまっすぐ置かれたケーキの方に向けられていて。

『…?え、ケーキ食べたいの?』
「なぁ。」
『え、猫って普通ケーキ食べるもの?』

どこか気怠そうに返事をした猫が一度だけ私の方に目を向ける。
が、またすぐに流れるようにケーキの方にスッと移された。

猫の目を見たのはそんな一瞬だったのに、なんだか不思議とその目に気持ちが囚われてしまって。
自分でもよくわからないまま、心臓だけがドキドキと早くなっていた。

(…?)

目の前の窓枠に器用に立つ猫。
その細身の身体を覆う薄い茶色の短い毛並がすごく気持ちよさそうだ。
伸ばせば結構大きそうなのに、猫背というだけあって背中をちょっと丸めているのもだるそうに見える原因かもしれない。
何よりも不思議なのは、めちゃくちゃキレイな猫だと言うのになぜか可愛らしさが感じられないことだ。

「にぃ。」
『あ、ごめん。』

黙って観察している私に、ちょっと苛立ったように猫が鳴いた。
私は慌ててお皿を手に取ると、猫の目線もそれに合わせるように動く。ペロリと小さく舌をなめずったのが見えた。

『あ、でもちょっと待って。』
「?」
『猫って生クリームとか大丈夫なのかな…。犬に玉ねぎあげちゃダメ、みたいな何かあるかもしれないし…。知識ないのにあげちゃダメだよね。』

ケーキを見つめてブツブツと呟きながら、あげるにしても携帯で調べてからにしようとそのまま体を机の方に反転させようとする。
するとしびれを切らしたといった様子で猫がその背筋をピンと伸ばしたら、簡単に私の唇に届いて。

『っ?!』

思わず目を瞑ると、その瞬間唇にくすぐったい感触が触れた。
ふわりと顔にあたった毛並みに、そういえば月島くんの髪の色と同じだな、なんて思う。

そんなちょっとだけ甘い思いに浸っていたら、次には手に持っていたお皿がフッとなくなる気配がして、不思議に思いながら目を開けた。


「…猫じゃないなら、いいんでしょ。」
『っ?!つ、月島くん?!』
「そっち降りるから、ちょっとどいてくれる?」

驚きで何も反応できずにいる私そっちのけで、月島くんが長い足を伸ばして窓から調理室の床に降り立つ。
その手には私から奪ったケーキを持ったままだ。

「跳子さん。フォークどこですか?」

目の前でいつも通りすぎる月島くんが、キョロキョロと小さく首を動かしているあたりを見回す。
その言葉は耳から耳へと素通りしてしまって、私はまだまだ何も返せない。

『……。』
「…口、開きすぎ。」

そう言って月島くんがプッと小さくふき出したのを見たら、カッと顔が熱くなって我にかえる。

『つ、月島くん?!』
「何ですか。そんな大声出さなくても聞こえます。」
『って、ちょっと他に何か言うことないの?!何でそんな普通にケーキ食べようとしてるの!』

顔をしかめて片耳を押さえる仕草をした月島くんが、少し考えるように首を傾げた。

「…ふーん、僕に何を言わせたいんですか?」
『何、を、っていうか…。』
「言ったら食べてもいいわけ?」

ケーキなんていくらでもあげるから、とりあえず何が起きているのか説明が欲しい。
その一心でコクリと縦に大きく頷けば、「へぇ」と意地悪そうに口角をあげた月島くんが、ケーキのお皿を傍にあったテーブルに置いた。

「−跳子さん。」
『うん。』
「僕、跳子さんが好きなんですけど。」
『…は、い?』

一転して真面目な顔になった月島くんの言葉。
予想と違って説明にもなっていないけど、衝撃はそれ以上で。
またさらに口があんぐりと開いて、私はただただ月島くんを見つめていたら、背の高い月島くんの顔がぐんっと近づく。

「言ったんで、食べてもいいですよね。」
『な…っ?』

後頭部と顎をガッシリと捕まれて、私は気付けば月島くんにキスをされていた。
驚きでチカチカする視界。
その中にやっぱり直前に入ってきたのは、さっきの猫くんと同じ色の毛並み。

甘くて苦しくて、嬉しくて苦くて。
月島くんの胸を叩くようにしてやっと解放された時には、何だか色々なことがぐしゃぐしゃになっていた。
息も絶え絶えと言った状態で月島くんを睨み付けるが、彼の飄々とした態度は崩れなくて余計に憎たらしい。
それなのに、私の手は何故か月島くんの胸元を掴んだまま離れなかった。

『急に、何するの…!』
「…ちゃんと言いましたし。」
『そうだけど…!食べるのは、普通ケーキだし、私の気持ちとか返事とか、聞いてからでしょ普通!』
「まぁ普通は。でも跳子さん、僕のこと好きですよね。」
『う…、』

実際そうだから何も言えない。
けどだからと言って腑にも落ちない。

『じゃなくて、…猫!に、なって…なかった?いや、でもそんなわけ…。』
「…意外と頭固いね。」
『は?!』
「…まぁでも、跳子さんじゃないとダメだったし。」
『??』
「お伽噺なんてバカみたいにあり得ないけど、戻れちゃったんだからしょうがないよね。」

月島くんが何を言っているのか、ちょっと意味がわからない。
不満だと言うのを満面に出しているのに、月島くんはそんな私を見下ろしてふんっと鼻を鳴らす。

「もういいから、ケーキ食べたいんだけど。」

年下のくせに余裕そうに笑っている顔に、自分だけが振り回されているようでまた腹が立つ。
だから掴んだままの胸をグイっと引いて、油断をしている彼の首に、猫のようにガブリと噛みついてやると、心なしか彼の首筋もカッと熱くなったように感じた。

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