長編、企画 | ナノ

たった一つの隔たり


ここの−、
白鳥沢学園男子バレーボール部のマネージャーになったからには、覚悟は決めていた。
だって去年も一昨年もマネの先輩たちが言ってたから。

「1月ギリギリまで引退できないから、受験対策はかなり頑張んないといけないのよね。」
「選手の皆と違ってうちらはサポート役だし、部活で推薦もらえるわけでもないもんね。」

愚痴をこぼすように苦笑いを浮かべていたけど、そう言う先輩たちの顔は誇らしげで、とても嬉しそうだった。
それもそうだ。
部員の皆の努力で、県で唯一の切符を手に入れ全国に進めるのだから。

「だから跳子、アンタも来年覚悟しなさいよ。」
『ッハイ!』

そう、だから私は先輩たちの言う通り、春高全国までマネージャーを続ける覚悟を決め、勉強とかも疎かにしないように頑張ってきたつもりだ。

それなのに−、


「−じゃあ、引き継ぎは以上で…。」

過ごし慣れた体育館に、副主将である添川くんの声が静かに響いたのをぼんやりと聞いていた。
ちゃんと聞こえているのに、どうも頭の芯まで届いていないみたいで。
こんなんじゃダメだと頭をブンと軽く横に振ると、視界の先で今度は牛島くんがスッと手をあげたのが見えた。

「いいか。」
「?おう。」

添川くんに確認を取るように聞いた牛島くんが、彼の答えの後おもむろに口を開いた。

「−川西。」
『っ!!』
「!?は、はい。」

突然呼ばれたその名前に、私は呼ばれた張本人よりも大きく反応してしまった。

ざわつく部員たちの合間から、私は真っ直ぐ牛島くんの言葉を聞く川西くんを見つめる。
真剣な、顔つき。
それを見てまた、心が揺らぐ。
先程の試合の光景がフラッシュバックする。


皆と共に歩む覚悟をしていた。準備をしていた。
−しかしその夢を断ち切られる覚悟はしていなかった。

もちろん皆が悪いわけじゃない。
彼らは強かった。誰よりも、他のどの学校よりも。
それは今でも信じてる。
もう一度烏野と対戦したら次は絶対に皆が勝つと、強がりでも何でもなく、真実として思ってる。
それなのに、もう本当に終わってしまったのか。
頭では理解しているし、今こうして引退のために後輩たちの対面に立っているのに、まだ気持ちが追い付かない。

川西くんが大きな声で返事した後、牛島くんが一人一人に言葉をかけていく。
…ずっと見てたんだ。そんなとこまで。
私は気づかなかったことばかりだ。

ふと川西くんと目があったような気がする。
でも私は、いつの間にか視界が滲んでいて実際のところよくわからなかった。

数時間前の仙台市体育館での皆の涙を思い出しそうになる。
ダメだ、と自分に言い聞かせて、頭の中を違うシーンに書き換えた。
一度涙腺が決壊して流れ出したら、多分溢れかえってしまう。
そればかりか、堪えきれずに声をあげて泣きじゃくるだろう。
それだけは避けたくて、私は上を向いて川西くんから目をそらした。
見たいけど、見れない。
今日で最後なのに。

覚悟は、できていなかった。たった今も。
こんなに早く、一つ年下の好きな人との日常が途絶えてしまうなんて、思ってもいなかったんだ。
急すぎて、どう悪あがけばいいのかもわからない程に。

必死の努力も虚しく、天井を見つめる目の端からボロリと大粒の涙が零れた。



『はぁー…。』

本日の全ての授業が終わり、思わず気の抜けたようなため息をついた。
固まった首をほぐすように左右に振れば、小さくコキリと骨が鳴る。

(やっと授業終わったけど、…にしても暇だなぁ。)

まだ明るい外の景色に、走って部室に向かってたあの日々が終わったんだと未だに戸惑ってしまう。
もう引退から一週間も経ってるのに。
いや、一週間しか経ってないから、かも。

わかってる。
実際は暇な時間なんてないんだって。
高校3年の大事なこの時期、必死に勉強なりなんなりするべきなんだって。
でもどうにもそういう気持ちになれず、私は廊下をゆっくりと歩く。

牛島くんたちは、この一週間何も様子が変わっていないように見えた。
私なんかよりもっとずっと色々な思いを抱えているだろうに、みんなさすがだなぁと心の中で呟いた時、背後から優しい声が届く。

「−鈴木。」
『大平くん。』

相変わらずな温かい空気にホッと和みながら、その場で私たちは一言二言言葉を交わす。

『−了解。わざわざありがとうね。』
「あぁ。…それにしても、」
『ん?』
「思ったより鈴木が元気そうで安心したよ。」
『あはは。心配ありがと。全然元気だよー!』

大平くんの言葉に、私は笑顔を見せた。
どうやら私も皆と同じように、パッと見では変化を見せずに過ごせているのかもしれない。
これは、成功か?女優になれちゃう感じ?

「100本サーブの最中に号泣しながらボール拾ってたもんなぁ。」
『う。うるさいな、もう忘れてよ…!』
「ごめんごめん。もう忘れたことにするよ。…まぁ、あんまり無理はしないようにな。」

ポンと頭にのせられた大きな手から、大平くんの気遣いを感じた。
…ばれてる。これはやっぱり失敗だ。

「…俺らが言うなって感じだけどな。」

しかし自嘲するように宙に視線を向けた大平くんを見て、ふと"皆も私と同じようにまだ慣れていないのかもしれないな"と思った。
皆の方が私なんかよりよっぽど演技派だ。

何と返せばいいか考えていると、大きい大平くんの影から聞き慣れた声が聞こえた。
その声だけで、私の心臓がドクンと跳ねる。

「獅音さん。」
「ん?あぁ川西か。珍しいな、3年棟までくるなんて。」

笑顔で振り向いた大平くんの横からオズオズと顔を覗かせれば、予想通り川西くんの姿があって。
私を見て少し驚いたように目を見開いた彼が、小さく会釈をしながら「ッス」と口を動かして、表情を戻す。

「跳子さんもいたんですね。見えませんでした。」
『見えませんでした、は余計だよ。川西くん。』

久しぶりに見る飄々とした態度にドキドキと胸を高鳴らせながら、でも返した言葉には可愛らしさなんて全く含まれなくて。
間に立っていた大平くんがそれを見て、「ははっ」と声を出して笑った。

「一週間しか経ってないのに、なんかすでに懐かしいやり取りだな。」
『だって、川西くん私にだけ辛辣なんだもん。私だって先輩なのに。』
「……。」
「いや、そんなことないだろ?天童にも結構…、」
『天童くんと同じ時点でなんかやだよ!私は天童くんと違って何もしてないのに!』

大平くんがまぁまぁと私を宥め、無言のまま立っている川西くんの方に向き直る。

「んで、どうした?」
「あ、その。備品について確認があって。マネージャーもわからないみたいだったんで。」
「備品?それなら鈴木の方がいいんじゃないか?」
『えっ、ごめん。もしかして引継ぎに漏れがあったかな?』
「いや、部室に置いてある物で、備品なのか私物なのかわからないのがあるってだけなんですけど。」
『そっか。じゃあ私も部室に行くよ。』

そう言って私たちは大平くんに手を振って、内容を確認しながら部室に向かった。


久しぶりに隣にいる川西くんの方を横目でちらりと見上げてみる。
すると視線に気付いたのか、同じようにチラリと見返されて、心臓がまたバクンと跳び跳ねた。

「…なんですか?」
『ううん。なんでも…。』

予想だにしなかった突然の引退から一週間。
その間に何度も繰り返し考えたのは、川西くんに告白するかどうか。
今までは同じ部活仲間として気まずくなりたくなくて言えなかったが、引退したら今度は今さら言いづらくて。

だって私は高3だし、受験もあるし、それが終わってもすぐに卒業が控えてる。
それに2年の彼らはこれから新体制に慣れるまで色々と大変だろうし…。
じゃあいつだったらよかったのかと自分自身につっこんでみても答えなんて出ないんだけど。

要はその場しのぎで理由をつけて、逃げているだけなのだ。

だったらいっそのこと、"告白しないでフェードアウト!"と決めてしまえばいいのに、優柔不断な私にはそれにも踏ん切りがつかない。
こうして並んで歩けばドキドキするし、どんだけ抑え込んでもやっぱり彼が好きだと心が叫ぶ。

『…練習はどう?』
「相変わらずです。天童さんとかバカやる人がいなくなったのに監督は変わらず叫んでますよ。」
『あぁ、必殺技事件とかね。懐かしいなぁ。』
「…その監督が一番寂しそうですけど。」
『あはっ、鷲匠監督らしい。』

会話をしてみれば、こうして普通に話すことが出来る。
そのことに小さくほっと胸を撫で下ろしていると、ふいに川西くんが私の方を見た。

「…先輩、は。」
『え。』
「跳子さんはどうですか?」
『あぁ、うーん。…まだちょっと慣れないかな。』
「…そうですか。」
『でも早起きないのは楽だよー。川西くん、朝きつそうだったもんね。』

私が自慢げにそう言ってみれば、川西くんは少し怪訝そうに眉をひそめた。
また憎まれ口を叩いてしまったと一人で小さく後悔していると、川西くんがはぁと大きなため息をつく。

「まぁ確かに苦手、ですけど。」
『わかるわかる。私も得意ではないもん。』
「…でも今はそれより、跳子さんがいない方がキツいです。」
『あー、わか……えっ?!』

川西くんの言葉に慌てて振り向くと、いつのまにか足を止めてた彼がまっすぐ私を見つめていて。

一体何が起こっているのか。

『あ、今のどういう…?』
「跳子さん、俺思ってたことがあるんですけど…、」
『は、はいっ!』
「なんで跳子さん、いっこ上なんスか。」
『はぁっ?!』

ちょ、私今すごく期待してしまったのに!
突然の謎の問いに、私は口をあんぐりと開けて大きな声を出してしまう。

(私だって、できるもんなら川西くんと同じがよかった!)

いつもと何も変わらないように見える川西くんを、キッと睨み付ける。

私が1歳の差にこんなに振り回されているというのに、この男は…!
なんて、八つ当たりにも程があるとわかっていながら、唇を噛み締めるように下を向く。

『何ソレ!そんなのなんでも何もないし!…私だって、』
「…側に、いてくださいよ。」
『?!』
「跳子さんと一緒にいたいです。」

川西くんの口から信じられない言葉が聞こえ、思わずバッと勢いよく顔をあげた。
よく見れば、全然いつも通りなんかじゃないことがわかる。
耳が真っ赤になっていて、でもその目はすごく真剣で。
なのに何故かちょっと悔しそうにも見えた。

「…ほんとは、言うつもりなかったんです。困らせたくも邪魔したくもなかったし。」
『……。』
「でも無理でした。俺は、ずっと跳子さんが好きだったんです。色々と考えたりしたけど、やっぱそれは変えられないんで。」
『川西、くん…、』

−同じ気持ちだったんだ。

そう思ったら嬉しくて、嬉しすぎて、また涙が溢れそうになるのをグッと堪えて、笑った。
好きな人に、好きと伝えられることも嬉しかった。

『−私も、川西くんが好き。ずっと好きだった。』
「っ!」
『歳上だけど、付き合ってもらえませんか?』

一瞬、彼は驚くように口を開いて何かを言おうとしたように見えた。
そして、次には私の言葉に答えるように、私の腕をひいて抱き締めてくれる。

「俺のセリフ、盗らないでくださいよ。」
『ふふっ。少しは先輩らしいとこ、見せないとだし。』
「充分です。…これでもう、俺のモノですからね。」

抱き締めたまま、川西くんの右手が私の髪をすくように撫でる。

「…他の人に頭とか触らせるのもダメですから。」
『…さっきの、見てたんだ。』
「さっきだけじゃないですよ。ずっと見てましたし。」

彼の腕の中でついクスリと笑ってしまうと、川西くんが少しふて腐れるような顔で両腕に力を籠める。
「ちょ、痛!」と騒げば、今度は勝ち誇った表情で楽しそうに笑った。


しばらくしてから、手を引かれるように部室に向かって歩き始める。
何だか胸がいっぱいで、本来の目的を忘れそうになっていた。

久しぶりに感じる部室の扉を、私の手を握ったまま、無言で川西くんが開ける。

ガチャリ

「おー。来た来た。」
「二人とも、思ったより来るの早かったな。」
「『!?!』」

何故かそこには、引退したはずの皆がいて。
さっきまで一緒だった大平くんが、入口で呆然とする私たちに笑いかける。

「なんで皆さんが、ここに…?」
「なんでって獅音に言われて忘れ物取りに来ただけだし。これ、俺の私物ー。」
「にしても…、」

天童くんが何かの袋をブンブンと振った。
まだ状況が理解できないでいる私たちの手をじっと見て、瀬見くんがニヤリと笑う。

「なんだお前ら。やっと付き合い出したのか。」
「『は?!』」
「これで本当に心置きなく引退できるなー。」
「跳子ちゃん、太一が好きなの丸わかりだったもんねぇ。」
『ば…ッ!ちょっと天童くん!?』

私は川西くんの手を離して、天童くんたちの元に走った。
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる天童くんや瀬見くんが、明らかに余計なことを言おうとするのを必死に止める。
というか、気持ちがバレてたなんて知らなかったし、今そんなことを言わなくてもいいのに!

バタバタと暴れながらチラリと入口の方を見てみれば、牛島くんが川西くんに何かを言っているのが見えた。


「川西。俺らの大事なマネージャーを、よろしく頼むぞ。」
「…ハイ。」


その日、皆で部活に顔を出してから川西くんと二人で帰った時に聞いてみたけれど。
結局牛島くんに何を言われたかは、最後まで彼は教えてくれなかった。


あもこ様、リクエストありがとうございました!


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