長編、企画 | ナノ

私だけの特別


※シリーズ "猫かぶりな花巻くん"の続編です。


最近校内で、もっぱら噂になっていることがある。

それは、"好きな人に似た猫にキスをすると両想いになれるらしい"というものだ。

普通に考えたらありえないし、皆だって到底本気にしているわけじゃない。
それでも恋する女の子というのは、元来オカルト好きというか、こう、藁にもすがるとでも言うのか。

「そんなわけないじゃんねぇ」と笑い合いながらも、それでも学校の敷地内に猫がいたと聞けば、皆一瞬ピクリと反応しちゃったり。
確かに可愛い猫にチュっとするだけなのだから、別に猫にさえ抵抗がなければ損をするわけでもないし、害のないおまじないみたいなものなんだろう。

もちろん私だって、通常ならそんな噂なんて信じない。
元々可愛らしさという女の子要素が少ない方だし、聞いた日には「へっ」と鼻で笑っていたかもしれない。
しかし、実際にその噂を耳にした時の私はと言えば、サーッと顔面が真っ青になっていたと思う。


だって長い片想いの末、つい先日から付き合うことになった彼氏−花巻貴大は、あの日猫になっていたのだから。


あの後、「なんで猫になったのか」とか「どういう原理なのか」とか色々な疑問を投げつけてみても、花巻自身よくわかっていないようで。
とにかくわかっていることと言えば、お伽噺さながらに"好きな人とキスをすれば元に戻れるっぽい"ということくらい。

つまり私は、あの噂があながち"大ハズレ"というわけでもないということを、身をもって知ってしまっている。
私も花巻もあのことについては誰にも話していないのに、どこからこういう噂になったのか。
もしかして他に同じような状態になった人がいたのかもと思っても、確認しようもないんだから仕方がない。

まぁ要するに、どういうことかと言えば。
他の誰よりも噂に振り回され、気が気じゃないのは私かもしれないということだ。



「裏門のところにいた猫、やっぱ及川くんっぽかったよねー!」
「えー?あれば岩泉くんでしょ!もー逃げられちゃって残念!」

廊下ですれ違った女の子の会話を聞いて、耳がピクリと反応する。

及川くんと岩泉くんなんてまるで似ていないのに、好きな人に似た猫を探そうとなるとどんな猫も"自分の好きな人"に見えてしまうんだろうか。

すぐに別の話題に移って楽しそうに遠ざかっていく女の子の気配に、ふぅと息をついた。
気を取り直して再び足を踏み出し、教室に向かうために階段を上がっていく。

(花巻はそろそろ終わるかな?)

今日はバレー部は休みだったが、個別の進路相談があって。
私は先週終わっているので、花巻の面談が終わったら一緒に帰ろうということになっていた。

付き合いはじめてから、二人で一緒に帰るのは初めてだ。

少し浮かれるように階段を上りきり、足を止めてポケットから携帯を取り出した。
パッと画面に触れてみるが、まだ花巻からの連絡は来ていない。

大人しく教室に向かおうとした時、今度は頭上から女の子たちの話し声が漏れ聞こえてきた。
この先には屋上へと続く階段があるだけだけど、通常屋上は開放されていないので、その手前の踊り場で話しているのだろう。

そのまま何の気なしに通り過ぎようとしたのに、聞こえてきた名前につい足を止めてしまう。

「花巻くん似の猫、どっかにいないかなぁ?見つけたら絶対に捕まえるんだから!」

楽しそうに、でもどこか真剣さを含んだような声で話すのは、多分隣のクラスの子だと思う。
違うもう一つの声がアハハと小さく笑った後、ふと心配そうな声を出した。

「でも、花巻って鈴木さんと付き合い始めたって噂だけど…。」
「あー聞いたけど。でもガセっぽくない?見ててもそんな感じしないもん。」
「うーん。まぁ前からよく一緒にいるよね。」
「どっちにしても、私負けたくないし。」
『…。』

聞き耳をたてていい内容じゃないとは頭ではわかっていたけど、それでもしばらく私の足はその場から動かなかった。

(ガセじゃないし…。)

下唇をぐっと噛んで、私は心の中で反論する。
でも"そんな感じがしない"という言葉には何となく納得してしまった自分が、悔しかった。


幸せすぎると不安になるのは、何でなんだろう。

あの日花巻は、私のことが好きだと言ってくれた。
それは宝物のような花巻からの言葉。
例え私が自分に自信がなくても、それだけは信じている。

でも急に態度がガラリと変わるわけじゃないし、私と花巻が付き合い出した事自体まだまだ浸透してない。
いや、なんなら知っていたとしても−というさっきのような子だって少なからずいるだろう。
それくらい花巻はモテるのだ。

フラフラと覚束ない足を動かしながら、私は無意識に教室に来ていた。
誰もいない室内に、ガタンと椅子の音が響く。

私は花巻が好きで、花巻もそう言ってくれた。
触れあった唇の熱は、今でも簡単に思い出せる。
それでもどこか不安なのは、やっぱりあの噂が原因なんだろう。

だって、原因がわかってないのだから、花巻がもう一度猫にならないとはハッキリと言えないのだ。

頬杖をついていた手に、私のため息がかかる。

戻る条件が本当に好きな女の子のキスなのであれば、もし花巻がまた猫になってしまったとしても、他の子の目の前で本人に戻ることはないのかもしれない。
ただ、それにも確証はない。

(単に"異性のキス"とかが戻る条件だとしたら…?)

ふるり、と肩が震える。
それを考え始めると、どうしようもなく怖かった。

そもそもあの異常事態だ。
次があるかもわからないし、また無事に戻れるかもわからない。
他の子の力でも、戻れるだけマシなのかも。

それでも、例え猫の姿だとしても花巻が他の女の子にキスをされるのは絶対に嫌だ、と思ってしまう。
どんだけ贅沢モノだと言われようとも、そればかりは譲れない。


考えれば考えるほど答えのない気持ちは複雑になっていき、無意識のうちに私の眉間にはどんどんと皺がよっていく。

そんな私の視界の中に、ふいに影が差し込んだ。
突然現れた花巻の姿を認識して、思わずビクリと後ずさってしまう。

「跳子?」
『?!っは、なまき!』
「お前、携帯見ろよなー。」

その言葉にハッと机に置いた携帯に視線を向けると、いつの間にかチカチカと受信があることを知らせていた。

『あ、ごめんっ!気づかなかった。』
「まぁいいけど。ここにいると思ったし。」
『ほんとに、ごめんね。』
「いや、待たせてたのは俺だし。待っててくれてサンキュな。」

そう言いながら花巻は、私の横に回りこんだ。
すぐに帰るつもりではないみたいで、そのまま腰を屈めるようにして私の顔を覗きこむ。

「ところで跳子、何か変なこと考えてねーか?随分と険しい顔してたけど。」
『う。』

変な事、と言えば、そうなんだろうな。
言葉が告げずに黙ってしまうと、花巻がいたずらを思い付いた子供のように小さく笑う。

「ココ。あんま寄せてっとシワになんぞ。」
『!』

首を伸ばした花巻が、私の眉間に唇を寄せた。
温かい感触に心臓が飛び跳ね、私は思わずバッと立ち上がる。
カーッと熱くなったおでこを両手で押さえながら花巻の方を見上げれば、そんな私の様子に、くくくと肩を震わせて笑ってる。

『な、な、なにを…、』
「何って、キスだろ?」
『ここ、教室ですけど?!』
「別におでこにしただけじゃん。人前でエロチューしたわけでもなし…、」
『エロッ…!?花巻のアホ!』
「おっと!」

肩にパンチを入れようとすれば、花巻の手が寸前でそれを止める。
むぅっと口を尖らせる間もないまま、花巻が私の手をグィと引っ張った。
倒れ込むように花巻に抱えられ、また花巻のキレイな顔が目の前だ。
私はついゴクリと喉を鳴らした。

「…不安、か?」
『っ!』

射ぬかれるように見つめられ、誤魔化すこともできずに私はコクリと小さく頷く。

『…噂、聞くたびに、もしかしたら花巻かもって思っちゃって。』
「…跳子…。」
『花巻が、花巻に戻れなくても怖いし、でも他の子が近付くのも嫌で…。』

言っても仕方ないことだと、わかっていた。
花巻だってそんなことを言われてもどうしようもないだろうし、困らせてしまうだろう。

私の言葉を聞いて、少し考えるように視線をはずしていた花巻との間に、無言の時間が流れる。
そんな空気にいたたまれなくなって謝ろうとした矢先に、「跳子」と花巻がもう一度私の名前を呼んだ。

「…そんなに心配ならさ。ずっと一緒にいりゃいいだろ。」
『え。』
「四六時中くっついて、俺の隣にいろよ。っつか、むしろ離れんな。」

柄にもなくそんなことを言った花巻が、そのまま私を胸に引き寄せた。

制服越しにあたる花巻の体温が、すごく熱い。
聴こえてくる心臓の鼓動が早くて、花巻が私のことを想ってくれているのを教えてくれる。
その言葉は、側にいることを許してくれていて。

そんな花巻の全てが、ジワジワと私の不安を溶かしていく。
随分と単純な自分に恥ずかしくなるくらいだ。

もしかしたら花巻も赤くなってるのかも、と顔をあげようとするけれど、がっしりとした腕に阻まれてしまった。

「それでも万が一、またなっちまったらさ。あの日のあの場所でお前のこと待ってっから。跳子が来てくれるまで、誰の前にも出ねーよ。」
『花巻…。』

やっと緩んだ腕の中から顔を出せば、もう花巻は意地悪そうに笑っていて。
でも相変わらず短い髪から出ている耳だけは真っ赤だったから、ちょっとふきだしてしまった。

そのせいでふてくされてしまったのか、「ちぇ」とそっぽを向こうとする花巻に、今度は私から飛び込んでキスをする。
勢い余って鼻同士がぶつかってしまい、二人で「いったー…」と鼻を押さえる。
でも目が合えばやっぱり最後は笑ってしまって。


ふいに時間を報せるチャイムが鳴り、私たちは慌てて離れた。
そのまま「帰るか」と呟いた言葉に同意して私は鞄を手にした。


「お前が来てくんねーと戻れないんだから、俺のがよっぽど嫌われねーか不安だよ。」

教室から並んで出ながら冗談っぽく言った花巻の言葉。

『じゃあずっと好きでいてあげるから、超大事にしてね。』

私も冗談のようにそう返してみたら、「調子にのんな」と頭をぐしゃりとかき混ぜられる。
でも、花巻は私の言葉を否定はしなかった。


花巻が何度猫になっても、私が、私だけがこうやって元に戻してあげるから。

でもそんな猫になってるヒマもないくらい、たくさんキスをして一緒に過ごしていこうよ。


光希様、リクエストありがとうございました!


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