長編、企画 | ナノ

8:00 p.m.



大学受験対策のために通い始めた予備校の帰り道。
一人で蒸し暑い夏の夜道を歩きながらチラリと時計に目をやれば、デジタル時計の表示がちょうど20:00に切り替わったところで。

現在の時間がわかった途端、それまであまり意識していなかったお腹が急に空腹を訴えて小さくグーッと鳴った。
周囲には誰もいないけど何となく慌ててお腹を押さえる。
お母さんがご飯を作ってくれていることはわかっているが、このままでは家までもちそうもない。

(今日は体育もあったし、おやつもつまんでないし…いいよね?)

誰に対する言い訳なのか、心の中でそんなことを考えながらコンビニの灯りに吸い寄せられるように足を向けた。
店内に入った途端、クーラーでキンキンに冷やされた空気を体全体に感じ、ふっと一息つく。
自動ドアの音で顔を見せた元気な店員さんの「いらっしゃいませー」の声に、小さく会釈をしながら奥へと歩を進めた。

ここに入るまでは「絶対アイス!」なんて思っていたのに、涼しいところに来たら来たで色々と目移りし始めてしまう。
かいた汗も冷えてきて、こうなるともうちょっとお腹にたまるものでもいいかなーなんて思い直した私の目に入ったのは、レジ横のフライヤー商品。
"新商品!"とか"今だけ1個増量中!"なんて書かれたポップが見事に私の心を掴んだ。

(からあげさん…。初めて見る味だし、気になるなぁ。)

心の中の気になり度が、"カロリー<新商品の味"にどんどんと傾いてきて、私は結局手に何も持たずにレジに並びそれを注文することになった。


「ありがとうございましたー!」

人懐こそうな笑顔で見送ってくれた店員さんの声を背にお店を出ると、私は早速ついていたつまようじで一口大のからあげをポイッと口に入れた。

(美味しいけど…アレ?何味だったっけ?)

モグモグと口を動かしながら、パッケージをもう一度確認。
書かれていた文字を思い浮かべながら咀嚼すれば、うんなるほど、確かにそんな味だ。

もう一つと新しいからあげにプスリとつまようじを刺した時、目の前の灯りが突然遮られた。
ハッとして顔をあげれば、同じクラスの牛島くんが立ちはだかっていて。

「…鈴木。」
『牛島くん。今帰り?』
「あぁ。鈴木もか。随分と遅いな。」
『あ、私は予備校だったんだ。』

ジャージとバッグという明らかに部活帰りの姿に「お疲れ様」と声をかければ、彼はもう一度「あぁ」とだけ返して進む方向に目を向けた。

私たちは同じ方角に曲がろうとしていたらしく、そのまま一緒に並んで歩いていくことになった。
牛島くんが私の歩く速度に合わせてくれている事実に、人知れずドキドキする。

「…それは、もういいのか?」
『あ。うん、食べる。』

ドキドキにかまけていたら、つい手に持ったままのからあげさんを忘れてしまっていた。
冷めちゃうのもイヤだし、このままじゃ紙のパックに油がしみてきて大変なことになりそう。

ぽんっともう一つ口に投げ入れたら、牛島くんと目が合った。
この顔は…呆れられてしまったんだろうか?

歩きながら食べるなんて行儀の悪いことかもしれないが、でも不思議とそれが美味しく感じてしまう時だってある気がするんだけどなぁ。

『牛島くん、一つ食べる?』
「いや、いい。家に帰れば食事が用意されている。」
『だと思った。』

なんか食生活とか栄養とかもしっかり考えられてそうだなーなんて勝手な想像をしていたから、キッパリとしたその返しに私はつい笑ってしまった。

牛島くんは自ら話をすることはあまりないけど、私が何かを言えば短くもちゃんと答えてくれる。
そういうところがなんか好きで。たまにマジレスすぎて面白い時もあるけど。
ただちょっと鈍いところがある、というか、答えてほしい方向とズレが生じることもあるんだ。

『そういえば、全日本とかスゴいよね。何だっけ、牛若ジャパン?合宿あるって聞いたけどどうだったの?』
「…それだと俺が監督のようだが…。いい刺激になった。」
『そっかぁ。…それって、そのー…女の子とかも来たりするの?えと、ファン、と言うか…。』
「女子?あぁ、女子チームもいたな。最初しか顔を合わせていないが。」

う、やっぱり通じなかった。
そりゃ下を向いてボソボソと呟く私の声が、背の高い牛島くんに届くはずはないか。
まぁこの様子じゃ心配することはないだろうけど、好きな人が全国区で、さらに雑誌やTVに出られるとライバルは増える一方で気が気じゃないのだ。

『…時に、牛島くんは進路に変更はなし?』
「あぁ、今のところは。」
『ふむ。…ガンバります。』
「?よくわからないが…頑張れ。」

逆に鈍いからこそこうしてしれっと聞けることもあるんだけど。
同じところに行きたくて頑張ってる、なんて彼は知るよしもないんだろう。
気合いを入れるように、すっかり冷めてしまったからあげさんを続けて二つ頬張った。

「…やはり一口もらおうか。」
『え?』
「普段ならあまり口にしないが、鈴木が持っているというだけで旨そうに見える。」

そう言って牛島くんは腰をかがめ、つまようじに刺さった最後の一つを私の手からパクリ。
背の高い牛島くんの顔がこんなに近くにあるのは初めてで、暗がりでもやはり端正な顔立ちに変わりはなかった。

「…うん。旨い。前にも皆で食べたことはあるが、お前にもらった方が旨いと思うのは何でだろうな。」
『…何で、でしょうね。』

こうやって私に期待を持たせるようなことをたまに口にするのだ、この男は。
残ったつまようじを持つ手がプルプルと震えそうになるのを誤魔化すように、ゴミをくしゃりと袋に突っ込む。
じゃないとこのつまようじを持って帰る変態さんになってしまいそうだ。

『試合、頑張ってね。春高も、全日本も、練習試合も。』
「全ていつも通りやるだけだ。…鈴木、観に来い。」

その言葉に驚いて、牛島くんを見上げてみれば、目に飛び込んできたのは彼の背後に広がる夏の夜空。
私の視線を追うように、牛島くんもくるりと空を見上げた。

濃い紫の空に煌々と輝くのは、多分夏の大三角形。
ベガとアルタイルと…あと一つは何だっけ?

でも遠い夜空の星がどんなにその身を燃やしても、私の隣には地上で絶対的な輝きを放つ星がいるから、どうしてもかすんで見えてしまうんだ。

再び二人で歩き出してから私がチラリと横目で彼を見れば、予想外に合った視線で「何だ?」と問われた。

『ううん。…牛島くん、ずっと応援してるからね。』

眩しくて目があけられなくなって追いつけなくて、それでもその光をすぐ近くで感じていたいと願うんだ。

星が瞬く夜20時。
一番星はすぐ側に。

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