長編、企画 | ナノ

4:00 p.m.



「起立!」

私の隣の席から、本日の日直の相方である及川の凛とした声が教室に響いた。
そのまま「礼!」と続ければ、クラスメイトたちが「さようならー」と妙に間延びした挨拶で声を揃える。
前に立つ先生が少しそれに苦笑いをしてから「気をつけろよ」と言って教室を出て行った。


本日最後の授業もHRも終え、残るは日直の仕事のみ。
もう一度着席した私の方をくるりと振り向いて、及川が爽やかな笑顔を見せる。

(ちくしょう、カッコいいな。)

あまりにできすぎた爽やかさは、どこか胡散臭く感じるのは何故だろう?
そう思ったらキラーンと白い歯が光ったように見えて、少し笑いそうになってしまった。

「さて、と。あとは何があるんだっけ?」
『ありがと及川。あとは日誌くらいだし、私が出しておくから部活行っていいよ。』
「えー?そんな気を遣わなくても大丈夫だよ。」

及川はそう言うが、別に気を遣ったつもりはないのだ。

日直の主な仕事と言えば、授業の準備と号令の挨拶。後は簡単な日誌と…あれば先生の手伝いくらい。
しかし今日は珍しく先生からの頼まれ事もなかった上に、授業が終わる度に背の高い及川が黒板を消してくれたから、私は随分と楽をしてしまっていたような気がする。
それに私は部活も入っていないし、強豪バレー部の主将を引きとめておくのは気が引けるのだ。

それをなんと言って伝えようかと考えていたら、ガタンと自分の椅子を引きながら及川が先に口を開いた。

「それに、せっかくの跳子ちゃんとラブラブ日直タイムだしねー。」
『……。』
「って無反応なんてヒドイな!今日は俺、部活オフなの!」

彼はサラリと何気なくそんなことを言う。

実際は冗談だとわかっていても単純な私の心臓は途端にバクバクと動きを早めてしまうから、言葉に詰まったのがバレないように冷ややかな視線を向けてみれば、彼はわざとらしくそんな声を出した。

『まぁそれはさておき、日誌ももうほぼ書き終わってるし、職員室に行って先生に出して終わりだからね。』
「…うーん、そうかー。でもま、ここまできたら最後まで一緒にやろっか。」

結局引いていた自分の椅子には座らずに、私の前の席に移動してきた及川が、日誌を広げた私の机に肘をついてストンとキレイな顔をそこに乗せた。

ふぅと息をついて私は日誌にペンを走らせる。

「…。」
『…。』

テストが近いからかいつのまにかクラスメイトたちはいなくなっていて、私たちは二人きりの教室で向かい合ってた。
必死に日誌に顔を向ける私の頭のてっぺんに、及川の静かな息づかいが届く。
と言っても廊下やグラウンドから声が響いてくるから決して静かなわけじゃないのに、それでも自分の心臓の音がすごく大きく聞こえる気がした。

(…何も話さないのかな…?)

チラリと顔をあげれば、「ん?」とただ微笑みを絶やさずにじっと私を見る及川と目が合って。
そんな風に見られてるとは思ってなくて、ビックリしてバッとすぐに視線を日誌に戻す。
その真っ直ぐな目がほんの少しだけ怖いと感じるのは、私が彼に囚われてるからだろうか。

おかげで最後の一日のまとめを書くだけなのに、私はつい手が震えそうになっていつもよりだいぶ字が汚くなってしまった。

「おっ、書けたねー。ありがと跳子ちゃん、お疲れ様ー。」
『いえいえ…。』

言いながら私は閉じた日誌にグッタリと頭を落とす。
思ったよりも近かったそれとの距離感が掴めず、ゴンと鈍い音が響いた。痛い。

正直、本当にお疲れ様、だ。
あんな緊張感の中文字を書くことになるなんて思わなかった。

顔を伏せていた私の耳に、クククッと喉を鳴らすような笑い声が聞こえて私はゆっくりともう一度顔をあげる。

「おでこ、赤くなってるよ。何でぶつけたのさ。」
『…目測を誤っただけだもん。』
「あははっ!仕方ないからコレは及川さんが出してきてあげるよ。」

楽しそうに笑った及川がヒョイっと私の机から日誌を奪う。
目の前をヒラリと軽やかに舞うように日誌が飛び立ち、それを目線で追っていけば自然と立ち上がった及川と目が合った。
瞬間、その目に射止められたように動けなくなって、思わずゴクリと息を飲む。

しかしそんな私をさておき、ニコッといつもの表情になった及川が「じゃあねー」と手を振って教室から出ていった。


少しの間閉じられたドアを見ながら呆然としてしまったあと、ハッと我にかえる。
結局及川に日誌を持っていくのもやらせてしまった。

ノロノロと帰り支度をしながら机の中身を出す。
ついでに英語の宿題の範囲を確認しようとノートを開いたところで、ハァーッと大きなため息を一つついて私はまた力尽きたように突っ伏してしまった。

私は及川のことが好きで。
でもどうにも可愛いげもないし、こう色々と上手くできない。
でも思い出すだけでもドキドキしてしまう。
こんなんで卒業までに告白なんてできるんだろうか。

ノートにおでこをつけたまま、私は鼓動をおさめるようにそっと目を閉じた。



『ん…。』

頬の下でくしゃりと紙がよじれる感触。
どうやら私はそのままウトウトと眠ってしまったらしい。

ゆっくりと目を開けて、目の前にあったスマホに触れてみれば時間は16時ちょうど。
−よかった、たいして時間は経っていないみたいだ。

「−跳子ちゃん、おはよー。」
『っ?!』

聞こえてきた声にガバリと体を起こせば、いつからいたのか、隣の席で頬杖をついてニコニコと優しげな視線を向けてくるのはやっぱり及川だった。

『ちょっ、な、え、』
「ノートにヨダレ、垂らしてたよ。」
『えっ!?うそ!!』
「ウソだよー。」

ガバッと起き上がって口元を押さえれば、及川がケタケタと指を指した。
嘘だということに安心と苛立ちがふつふつっと沸き上がり「ちょっと!」と声をあげようとしたら、それと同時に後ろのドアがバシンと開く。

「クソ川、やっぱここにいやがった!お前んとこの担任が呼んでんぞ!」
「ゲッ!岩ちゃん!」
「テメーが日誌出しに来ねーからって何故か俺が捕まったじゃねーか!俺はお前の保護者じゃねぇぞ!」
『えっ!及川、日誌出しに行ったんじゃなかったの?』
「いやぁ、ちょっと忘れ物して戻ってきたところに跳子ちゃんが気持ち良さそうに寝てたからさー。」

それのどこが理由になるのか解らずにいると、「なんで俺が…」とぶつくさと呟きながら教室に入ってきた岩泉くんに向かって、立ち上がった及川がベッと舌を出す。

「俺だって岩ちゃんがママなんて冗談じゃないよ。」
「あぁ?!誰がママだ、気色悪ぃ!」
「わぁ怖ーい。じゃ、ちょっと行ってくるねー。跳子ちゃん今度こそまた明日ー!」
『…せめてパパにしてあげなよ、及川…。』

教室からバタバタと出て行く及川の背中にそんな言葉を投げてみるが、手をヒラヒラとさせるだけで言葉は返ってこなかった。
一方岩泉くんはそれも嫌なのか顔を苦々しく顰めている。

「鈴木、そういう問題じゃ…、」

座っている私の方を見下ろす岩泉くんに視線を向けてみると、目が合った瞬間に彼は言葉を止めてしまった。

『?どうかした?』
「…鈴木。…お前ほっぺたにノートの文字うつってんぞ。」
『えぇっ!?…って岩泉くん、嘘でしょ。』
「あ?何疑ってんだよ。」
『え、今度はマジなの?さっきは及川に騙されたからさー。』

ほっぺたを擦ろうとしたらその手を止められる。

「擦んねー方がいいと思うぞ。鏡見てこいって。…んでそれ、ちゃんと返事してやれよ。」
『はぁ?』

岩泉くんの言葉の意味がますますわからない。
しかし彼は答えを出すことなく、来た時と同じドアから帰ってしまった。

(鏡…。あ、ついでにトイレ寄って帰ろうっと。)

バッグから小さい鏡を取り出そうとして、私はその手を止めた。
逆に帰り支度を終わらせて、そのままトイレへと向かう。

(写ってるって、英語のノートの文字だよね。)

特に深く考えずにトイレに行って覗きこんだ鏡には、さかさまに映った文字。

『っでえぇぇぇ?!!』

それに驚いて声をあげた私が、慌てて英語のノートを広げてさらに一際声をあげてしまった。


トイレから響き渡った声に先生が駆け込んできたけど、真っ赤になった私が片頬を押さえていたからか「どうした?!イジメか?!」と尋常じゃない状況に話が進みそうになったので、慌ててそれを否定する。

それでも頑なに頬を押さえる手をどけようとしないからちょっと呆れた顔で怒られてしまったけど、これは消したくないし、消せないし、でも消さないと動けない。


【スキだよ】

頬に写った文字は、確かに及川の字。
ノートを見ればちゃんと「徹くんより」なんてふざけたハート付きで名前まで書いてあったけど、なんて意地悪な告白なんだ。


夕方16時−
真っ赤になった顔を片手で押さえながら私は帰路につく。
夕日になりかけた太陽に照らされて、どうにか赤いのが誤魔化されてくれれば助かるんだけどな。


さて、私はどうやって返事をしてやろうか。


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