●●●2:00 p.m.
校舎にはりつく大きい時計の針が14:00ちょうどをさす。
今は午後の授業の真っ最中。
普段だったらお腹も満たされ、教室で先生の声を子守唄がわりにうつらうつらしちゃう時間だけど、今日の私はうってかわってらんらんと目を輝かせている。
というのも、今日は先生の都合で授業時間の交替があり、数学ではなく美術の時間になったのだ。
急なことで何も用意していないから、と美術の先生がスケッチブックを生徒たちに配り、そして一言「自由にスケッチ」とだけ言った。
クラスメイトたちが美術室からそれぞれ好きな場所に散っていく中、私は友人と迷わずこの校庭にやって来た。
好きな人が体育をやっているからだ。
「オラオラ!どけどけどけー!」
「ちょ!岩ちゃん怖い!」
「岩泉!全部一人で持っていこうとすんなってー!」
(あぁぁかっこいい。超幸せ。)
2クラス合同で行う体育の授業。
前までは窓際の席だったからそんな岩泉くんの姿をちょこちょこ見れたのに、席替えによって奪われてしまったこの至福の時間を久しぶりに堪能する。
今日の体育はサッカーのようで、バレーボールコートよりも広いグラウンドを走り回る姿は、かっこいいのにどことなくはしゃいでるように見えて可愛らしくもあった。
私の数メートル先で、岩泉くんが器用にドリブルしながら向かってくる相手を躱す。
しかしその目の前に立ちはだかったのは及川くんだ。
本業はバレーだというのに、彼らは運動神経の塊みたいなもんで、スポーツなら何でもできるようだ。
それにしても1日の授業ももう終盤だというのにずいぶんと元気が有り余ってる感じだなぁなんて、スケッチブックをひろげながらついクスクスと笑ってしまった。
絵なんて進んでもいないのに私はひたすら岩泉くんを見つめ続ける。
スケッチブックがあると見つめる理由ができてちょっと便利かも。
そんな風に無遠慮に視線をぶつけていたら、そのまま見事にゴールを決めてガッツポーズをする岩泉くんとバッチリ目が合ってしまった。
「お?鈴木じゃねーか。なんだ、堂々とサボりかー?」
「あれ、本当だ。やるねー跳子ちゃん悪い子!」
少し離れたところから岩泉くんが大きい声を出し、それにつられるようにこちらを見た及川くんもニヤリと笑った。
そんな二人の言葉に、ピクリと体育の先生が視界内で反応したのが見えて私も慌てて立ち上がって声を出す。
『ちっ、違うよ!美術の授業でスケッチなの!』
「美術?お前美術なんてとってたっけか?」
『とってるよ!下手だけど!』
「へぇスケッチねぇ。跳子ちゃん、サービスで及川さんが脱いであげようかー?」
『いらない!!絶対ノーサンキュー!』
間を隔てての大声の会話を遮るように、岩泉くんのクラスの男の子が「ほら、続けるぞ!」と彼の肩に手をおいてセンターラインをあごで示した。
それに「おー」と答えた二人がもう一度こちらをくるりと振り向く。
「まぁ頑張れや。後で見せろよ!」
「男前に描いてねー!」
『えー…。』
どっちも嫌だなぁなんて思って自然と出た私のリアクションを見て、二人が笑ってまたグラウンドの中央に走っていった。
前を行く岩泉くんの背中を名残惜しく追いながら、私はもう一度座り直す。
隣で真面目にスケッチしていた友達がぼそりと呟いた。
「…及川くんに脱いでもらえばよかったのに。」
『ぶっ!』
「彫刻よりもかっこよさそうなんだもん。ちっ。」
彼女の美術部員としての血が騒いでしまったのか、普段はそんな舌打ちなんてしない子なのにとちょっとビビってしまった。
「跳子…。次は断らないでよね。」
『いや、無理でしょ!』
若干本気な色を見せる友人の目から必死で逃げる。
だって「じゃあ脱いでください」なんて言った日には、私は一体どんな子認定されてしまうのか。
(…でも岩泉くんのだったら、ちょっとお願いしたいかも…。)
ふとそんな血迷ったことを考えてたら、ワッと反対側のゴールが盛り上がりを見せた。
どうやら今度は及川くんがゴールを決めたみたいだ。
結局サッカーの試合は同点のままPK戦となった。
体育の授業でなんでそこまで、と思わないでもないが、やたらと皆負けず嫌いなようだ。
「お前にゃ負けねーからな!」
「ハッ!やってみな!」
蹴る側の男の子が何故かノリでいちいちマイクパフォーマンスみたいなことをやって、キーパーもわざとらしく大袈裟に返すから、なんだかちょっとおもしろくなってきてしまって。
そのせいかキーパーも一回ずつ交代して、1vs1の因縁の対決みたいになっていた。
ルールは詳しく知らないけど、実際の試合でこんなことやってたら怒られるだろう。
後攻の岩泉くんのクラスが一点リードしたまま最後の5人目になった。
蹴るのは及川くん、キーパーは岩泉くんだ。
何を言うのかなーなんて見てたら、何故か及川くんがこちらをビシッと指差した。
「跳子ちゃん!君のために決めるよー!」
『はいはいふぁいとー』
「ちょっと!心こもってないよ!」
いや、そういう冗談は見てるのは楽しいけど巻き込まれるのはパスなのだ。
ひらひらと手を振りながら流してみれば、及川くんと向かい合う岩泉くんがゴールで構えの姿勢を取った。
「ふざけんな、及川!んなもんぜってー止めてやらぁ!」
「ありゃ、やる気だねぇ。」
メラメラと闘志を燃やす岩泉くんを見て苦笑を浮かべた及川くんが、もう一度こちらを見る。
「跳子ちゃーん!岩ちゃんは岩ちゃんで"君のために止める"ってー、」
「はぁ?てめクソ川!俺はそういうのはちゃんと自分で鈴木に言うわだアホ!」
『…えっ?』
一瞬シーンと静まり返ったかと思えば、「うぉぉぉ!」と二人を中心に勝敗を見守っていたはずの男子たちから雄叫びをあがった。
私は信じられない思いで口をあけてポカンとしていたが、その男子たちの視線が真っ直ぐこちらを向いている。
「ちょっと跳子!?今のって−!」
隣で並んで見ていた友人も興奮した様子でガクガクと私を揺らすから、どうやら聞き間違いではなさそう。
ヒューヒューと大騒ぎする岩泉くんのクラスの男子の声から逃げるように顔を伏せながら、私は自分に言い聞かせる。
待って待って待って。
でも、ハッキリと何か決定的なことを言われたわけじゃない。
落ち着け。落ち着くんだ、私!
バクバクと早まる鼓動をおさえながらゆっくりと顔をあげれば、岩泉くんが耳を赤くして「ちっ」と小さく舌打ちをしていて。
頭をかきむしるような仕種の後、「うるせー!とりあえず止めんぞ!」と仕切り直した。
私もつい立ち上がって祈るようにその様子を見ていると、近くにいた彼のクラスの男の子がニッと笑いながら近づいてきて一言。
「鈴木。お前はどっち応援するんだ?」と聞いた。
(どっちってそんなのもちろん、決まってる。)
及川くんが蹴る体勢に入り、岩泉くんがより一層腰を落とした。
私はたまらず大きな声で叫ぶ。
『頑張って、岩泉くんー!!』
「!!」
及川くんの蹴ったボールはゴールの角に向かって真っ直ぐ飛んでいく。
すみっこギリギリのそれにさすが及川くんだと思った瞬間、飛び付いた岩泉くんがボールを弾いた。
「止めたーっ!岩泉勝利ー!」
「うーん、岩ちゃん煽ったの失敗だったねぇ。」
やれやれとため息をつく及川くんの目の前で、ボールを止めてPK戦を制した岩泉くんが駆け寄ったチームメイトにもみくちゃにされている。
しかしそこから抜け出した岩泉くんが、そのままこちらに走ってきた。
「鈴木のこと、ちょっと借りるぞ。」
私の隣にいる友達の方に向けてそう言った岩泉くんが、返事を聞かずに私の手を引いた。
そのまま走りだした彼に合わせて後ろをついていくしかない私の耳に、「返却しなくていいからー」なんてバカな答えが届く。
そして少しスピードを緩めた岩泉くんの息づかいと一緒に、ボソリと呟く声が聞こえた。
「お前あのタイミングで俺を応援したってことは…期待すんぞ。」
期待、してくれるんだ。
校舎の時計の真下を二人で通り抜けながら、私はにまにまと笑った。
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