長編、企画 | ナノ

拓かれた世界



足を止めた私を不思議に思ったのか、岩泉くんたちも彼の方を見た。
それと同時に彼も私たちを見つけたようで、壁から背中を離してこちらに向かってくる。

「…跳子。」

呼ばれた声に返事もできずにいると、それに先に反応したのは岩泉くんと及川くんだった。

「んだよ。何しに来たんだ?」
「こないだぐうの音もでないくらいに叩き潰したのに、よく来れたもんだねぇ。」
『?!』

聞き慣れない物騒な言葉に一体何の話かと驚いて顔を上げれば、及川くんがニッコリと笑った。

「こないだの練習試合。思ったよりたいしたことなかったよ。」

笑顔のままで随分と毒を吐く及川くんを見つめていたら、目の前まで来ていた彼がチッと舌打ちをする。

「…お前らに用があって来たんじゃねーよ。跳子に話があるんだ。」

私は彼を見据えてゴクリと喉を鳴らした。

これはきっと、チャンスなんだ。
今彼に会ったのは、誰かが進むための機会を与えてくれたんだ。

震えそうになる足に喝を入れ、背筋を伸ばした。

『−わかった。』


校門の前ではあまりに目立つので、少し行った先の人通りの少ない路地裏に入った。
流れで一緒に来てくれた岩泉くんと及川くんが居ることに彼は不満げな表情を見せていたが、やがて諦めたようにしぶしぶと口を開き始めた。
関係ないのに巻き込んでしまったのはすごく申し訳なかったけれど、二人とも自分たちの意思でここに居るんだと言ってくれた。
私は彼と二人きりになんてなりたくもなかったから、正直二人の存在はものすごく助かる。

「お前のその髪…。俺のせい、だよな。」
『…。』
「悪かった。ごめん。」

おもむろに話しはじめた彼が、私に向かってバッと頭を下げる。
私は何も答えなかったが、顔をあげた彼はそのまま話を続けた。

「俺、お前との事があって、色々と相談したりして、結局アイツと付き合ったんだけど…。」
『…知ってる、よ。』
「あ、そ、うだよな。…でも付き合ってからもいつもお前の事言われて泣かれるんだよ。"跳子の方がいいんでしょ"とか"どうせ自分は跳子とは違う"とか…。なんかおかしいと思って問い詰めたらさ、俺とお前をくっつけないために全部自分が仕組んだんだって言われたんだ。」

彼の言葉で、中学の時の親友の顔が頭に浮かんだ。
最後の方には互いに目も合わせることもなくなった、私の親友。

…そっか。そうだったんだ。
それほどあの子は、彼の事が好きだったんだ。
だからといって許せるわけではなかったけど、ようやく納得がいったような気がした。

「−だから俺、別れたんだ。お前にヒドイ事言って、信じてやれなくてごめんな。」
『…もう、いいよ。わかった。』

理由がわかってスッキリはできた。その点では今話してくれた彼に感謝もできそうな気がする。
でもだからと言ってツラかった時間を取り戻せるわけでも、ついた傷がなくなるわけでもない。
彼とも彼女とも友達にも戻れない。会いたいとも思えない。今は。

私は黙って聞いてくれている岩泉くんと及川くんを見た。
青城に来てようやく私は立ち上がろうとしているし、無理に今許す必要も恨み続ける必要もない。
そんなことをしなくても、私はこのまま前に進めるんだから。

"もういいから、コレで終わりにしよう"−

そう伝えようとした時、私と視線を合わせた彼が信じられない言葉を口にした。

「…あのさ、俺たち、今からでもやり直さないか?」
『…は?』
「なんだかんだでお前の事、ずっと忘れられなかったし。跳子だって俺の事ふっきれてないからそんな髪してんだろ?」
『っ!?』
「お前がそんなダサい恰好するくらい、俺の事ひきずってんじゃん。俺のためにそんな事するくらいならさ、」
『っバカな事言わないで!!』

私は叫ぶような大きな声を出して、相手の言葉を遮る。
彼の中で"俺のせいで"だった事が、"俺のために"に変わっていた。

腹が立って我慢できなくて、思わず自分の鞄に手を突っ込んだ。

そこから取り出したのは−
家庭科で被服の授業があったから持ってきていたお父さん御用達の裁ちバサミ。
いつもは布以外の物を切るなんて絶対にしないけど。

「オ、オイ…、跳子…?」
「鈴木…」
「鈴木ちゃん…?」

さすがにそれを目にした岩泉くんと及川くんもギョッとした顔をして。
焦ったような声が双方から聞こえるが、私は止まらなかった。

何を思ったのか彼が後ずさりをしていき、民家の外壁に背中をぶつけてそのままズルズルとへたりこむ。
その目の前まで足を進め、片手で自分の前髪を掴んだ私はその束に勢いよくハサミを入れた。
ジャキっと言う音が響き、私の手の中には切り離された前髪。
急激に拓けた視界の中に唖然とする男の顔が見え、私は自分の髪の毛を投げつけた。

『…これで気が済んだ?』

私の髪がハラハラと落ちる中、茫然と私を見つめる顔を睨みつけるようにして私は続けた。

『勘違いしないで。私は確かに人と関わるのは怖かったけど、アナタの事が忘れられなかったワケじゃない。あと先に言っておくけど、私を救ってくれたのも今日のアナタの言葉じゃないから。頑なに座り込んでいた私を救ってくれたのは岩泉くんや及川くんたちだよ。』

何も言わない彼を見てフンッと鼻を鳴らせば、岩泉くんと及川くんが吹き出して大笑いを始めた。

「…もう鈴木ちゃん、カッコいいなぁ。」
「チッ。ビビらせやがって…。」

笑われたのにカッとなったのか、彼が真っ赤な顔でわなわなとしながら立ち上がる。

「なっ、なんだよお前ら関係ねーだろ!それに俺は俺のせいでそんなんなったから、お前に同情してやったのに…」
「んーそうだなァ。それこそ余計なお世話でしょ。」

立ち上がった彼から私を守るように、二人が間に立ってくれる。
背の高い二人のおかげで、私からは彼がよく見えなくなった。

「好きな女も信じてやれないようじゃ、てめぇはその程度ってことだろ。いちいち人のせいにしてんじゃねーよ。」
「まぁ鈴木ちゃんを傷つけたのは許せないけど、おかげで青城に来てくれたし?それにこんなヤツと付き合って青春無駄にせずにすんだんだから、そこはラッキーだったよ。ね、鈴木ちゃん。」

どちらもピリピリとした雰囲気を放っているのに、最後に振り向いて私にウィンクをした及川くんはいつも通りの爽やかさで。

そんな二人の言葉に何も言えなくなったのか、言葉に詰まったように彼が顔を歪める。
そして舌打ちと共に何だか幼稚な捨て台詞を吐いて走り去っていったが、もう私にはどうでもよかった。
せいせいとした気持ちでふぅと息をついて、明るい世界を今一度確認する。

彼の姿がすっかり見えなくなった途端、及川くんが焦ったように話しかけてきた。

「鈴木ちゃん!髪、大丈夫?!うわぁ結構バッサリいっちゃったけど…。」
『ありがとう、大丈夫だよ及川くん。』

素で慌てる及川くんの姿が何だかおかしくて、私はフッと笑顔を浮かべた。
だってあんなに切れ切れ言ってたはずなのに。

しかしこれでやっと話の続きが出来る。随分と時間はなくなっちゃったけど。
私はゆっくりと口を開いた。

『あのね。私がさっき言いかけてたの覚えてる?元々二人に言うつもりだったんだ。"今日髪切ってくるね"って。』

自分のしでかしたことが気まずくて「ちょっと勢い余って先に自分で切っちゃったけど…」とモゴモゴと小さく付け足した後、はっきりと見える目で岩泉くんと及川くんを見る。

『岩泉くんの言う通り、私今の自分が嫌いで仕方がなかったの。恥ずかしい人間だと思ってた。でも、二人が普通に接してくれて、女の子たちもみんな優しくて。…自分を認めてくれる人がいるのってスゴいね。』

優しい目をした二人が黙って私の話を聞きながら、小さく頷いてくれて。

『…私、変わりたい。人にも自分にも誇れるように。あっ、だからと言って無理に作るわけじゃないの。なんだろ、自然になりたいなって。悪いところもあって、そういう普通の私。』

少し恥ずかしかったけど伝えたいことを一気に口にした。
ふと時間を確認すればもう予約時間が迫ってきていて、私は少し慌てて二人に改めてお礼を言う。

『二人が一緒に居てくれてよかった。ありがとう。他にも、色々全部ありがとう。じゃあ行ってくるね。』

手を振れば、二人も手を振って「また明日」という約束もくれた。
逆光でまぶしくてよく見えないけど、笑ってくれているのもわかる。
私は明るくなった世界に向けて足を一歩踏み出した気分だ。


走っていく跳子の後ろ姿が、嬉しそうに跳ねていて。
それを見て笑っていた岩泉と及川が、振っていた手をおろしてボソリと呟いた。

「…アイツ、キレるとけっこー怖ぇーな。」
「はさみ取り出した時は焦ったよねぇ。」

自分の背中に向けられた二人のそんな会話を、跳子は知らない。


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