長編、企画 | ナノ

逃亡者の決意表明


また一週間が始まる月曜日。
私が今度こそ逃げ出してしまったことを謝らないととそわそわしながら二人が来るのを待っていたら、教室で顔を合わせるなり謝ってきたのは及川くんと岩泉くんの方だった。

「金曜は本っ当ーにごめんね!」
「嫌な思いさせて悪い。」
『えっ…。』

私に向けてガバッと頭を下げてる二人を見て、教室中がざわつく。
私は慌てて二人を制して顔を上げてもらい、改めて私も頭を下げる。

『私の方こそ急に…ごめんなさい。』

ゆっくりと顔を上げれば何とも言えない顔をした二人が居て。
きっと二人のことだから、彼があの話の登場人物だと言うことも解っているんだろうな。

バスに乗せてくれたことに悪気がなかったのは解っているし、もちろん彼らのせいだなんてかけらも思っていない。
しっかりしようと決めたばかりなのに、事態に直面した途端に逃げてしまったのは私の方だ。

互いにそれ以上何も言えずにいたら、ガラリと教室の扉が開いて先生の声が響く。

「はよーす、座れー。日直、挨拶頼むー。」
『っあ。』
「俺らか。」

ガタガタと席につきながら、担任の先生の言葉が自分達に向けて言われたんだということに岩泉くんとほぼ同時に気づく。
私が何か言う前に、岩泉くんがその低く響く声で号令をかけてくれた。

今日は岩泉くんと二人で日直か。
…こんな時でも嬉しいとか思ってドキドキしてしまうのだから、ちょっと自分でも呆れてしまった。


普段は日直の仕事なんて代わり映えのない内容なのに、今日に限って先生から頼まれごとをされる。
岩泉くんと社会科の教科準備室に呼ばれ、どうしても今日の歴史の授業で必要だという資料本を探すことになった。

「いやぁ、本当は教科係に頼もうとしてたんだけど、もう一人の子が休みだって言うからさ。」

誤魔化すように笑った社会科の先生を見て私たちはため息をついた。
確かに今日は梅木多さんは風邪でお休みだ。
…つまり私はどちらにしても逃れられない作業だったらしい。


準備室の隣にある資料室は、どことなく古びた雰囲気と少し埃っぽい空気が独特で、学校内なのに何となく切り離されたように静かな空間だった。

岩泉くんと二人で資料を探し出し、最後の一冊が私の手の届かない高いところにあるのを見つけた。
脚立を探してあたりを見回しているのに気づいてくれた岩泉くんが、「どれだ?」とこちらに近付いてくる。

「ん。」
『ありがとう。』

そのまま手を伸ばして最後の一冊を取ってくれた岩泉くんから本を受け取りお礼を言う。
すると、静けさの中で岩泉くんがポツリと呟いた。

「鈴木、…大丈夫か?」

照れたような困ったような顔で心配してくれる岩泉くんに、私は一瞬驚いてしまったけど慌てて言葉を返した。

『だっ、大丈夫だよ!あの、むしろ本当にごめんなさい。逃げ出しちゃって…。』
「…。」

私の言葉に少し顔を歪めたように見えた岩泉くんが、無言のまますぐそこにあった背もたれもない椅子にカタンと腰かけた。
不思議に思ってつい視線で追っていた私と、ふいに目が合う。

「…別に俺は逃げんのが悪いとは思わねーけど。」
『え…?』

視線が合ったまま岩泉くんが、私にももう一つの椅子に座るように促した。

「難しいことはわからねーけど。…俺は馬鹿だからよ、例えば自分が歩いてる道にすげーでっかい岩が出てきたとすんだろ?そしたら俺はひたすら叩いてぶっ壊そうとすんだよ。でもよ、それが最良かどうかは知らねーんだ。」

岩泉くんの話の意図はわからないが、話の中でもただ真っ直ぐ前を向き続ける姿は、岩泉くんらしいなと思った。

「一旦横に避けてどうするか考える奴や、日陰で休んで力蓄える奴もいんだろーし。逃げた先で別の道を見つける奴もいる。」
『…。』
「でも、どうしたらいいかわかんねーって目も耳も塞いでずっとその場に座り込んでたら、何も変わんねーよ。別の道も見えねーし、雷で岩が崩れたとしてもわかんねーし、…誰か仲間が来たって気づかねー。…んなの、もったいねーだろ。」

一瞬だけ目元を和らげた岩泉くんが、もう一度真剣な目をする。

「…逃げて隠れて休んで力溜めて、もう逃げたくねーって自分で思ったら動き出せばいいんじゃねーか?そう思えた時にはもう逃げる時じゃねーよ、進むべき時だと思う。」
『…うん、ありがとう。』

"逃げてもいい"

岩泉くんはそう言ってくれた。
隠れているだけの私を決して責める事なく、ぶっきらぼうな口調だけどどこまでも優しく諭してくれる。

怖くてただただ縮こまっていた私に、岩泉くんの声が届く。
もう大丈夫だって、ここから進もうって無理なく思えた。

もう一度お礼を言えば、岩泉くんが「行くか」と本を持って立ち上がったので私もそれに倣う。

「…なんかくせーこと言ったよな。悪い。忘れろよ。」
『忘れないよ。』

歩きながら本気で恥ずかしそうに言った岩泉くんを見て、私は少し笑ってしまった。


その後も一日を和やかに過ごす。
及川くんもいつも通りいたずらっぽく話しかけてくれるけど、気を使ってくれてるのか、前髪については何も言ってこなかった。

帰り道、靴を履き替えて外に出たら後ろから声をかけられる。
振り向けば岩泉くんと及川くんで。
あぁそういえば月曜日はオフなんだったなーなんて思った。

「よぉ。これから及川のオゴリでマック行くんだ。お前も行くか?」
「ちょ、いつオゴる事になったの?!」
「お前腕相撲負けたじゃねーか。」
「そんな賭けしてたなんて知らないよ!っつか岩ちゃんに勝てるわけないじゃん!」

テンポよく軽快に進む会話に、私は思わずクスクスと笑う。
本当にこんな風に話してもらえるようになるなんて思っていなかったのに、いつの間にかこんな幸せが側にあるのが嬉しい。

『ごめん、マックは遠慮するね。ありがとう。でも、よければ途中まで一緒してもいいかな?』
「ったりめーだろ。」
「もちろん!わぁ、なんか嬉しいよ。」

並んで歩き始めてからもまだ奢る奢らないの話を続ける二人を見て、私は少し後ろを歩きながら今度はさっきより大きな声で笑ってしまった。
すると二人がその会話を止め、驚いたような顔で私の方を見る。

校門が近付いてきたあたりでようやく及川くんがチキンだけを奢る方向で話がまとまったのを見計らって、私は声をかけた。

『…あのね。』

そう、私は決めた事があるのだ。
だから二人にはこの決意表明を聞いてほしい。

校門を越えながら二人が「ん?」と私の方を振り向いて言葉の続きを促す。

しかし、意を決して出した声は私の喉元に貼り付いたまま出てこなかった。

こちらを向く岩泉くんと及川くんの間に、あの彼が壁に寄りかかるように立っているのが見えたからだ。


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