長編、企画 | ナノ

言葉の距離



『二人とも、本当にありがとうございます。私、みんなと普通に話せるように、これから少しずつ頑張りますね。』


−確かに先日、私は最後にそう言った。
言ったんだけど。

「ちょっと鈴木ちゃん。いつになったらデビューするのさ。」
『う…。』

及川くんが後ろからツンツンと私の背中を責めるようにつつく。

私だって解ってはいる。
しかしそうは言われても一年以上このスタイルだったのだ。
毎朝鏡の前で何回か前髪をあげてみるものの、ヘタレとチキンが発動して結局は元に戻してしまう毎日。
変わろうとは思うもののなかなか簡単にはいかないようで。

「いっそのこと切っちゃおうよ。そしたら逃げ場ないし!」
『それは無理。』

そして元々なんとなくわかってはいたが…少し話すようになってみれば、及川くんはなかなかのSだと理解した。
なぜか私の逃げ場をすぐに奪おうとする。

後ろを振り向かずに及川くんに返事を返せば、隣で岩泉くんが唸りながら頭をガシガシっとかきむしるのが見えた。

「それより鈴木。これなんだけどよ…、」
『岩泉くん。えと、それはですね…!』
「だから見せてあげるって言ってるのに。」
「うるせー及川。お前に借り作ると後々めんどいんだよ。」

うっかり忘れてしまったという英語の宿題を一生懸命解いている岩泉くんの質問に、なるべく丁寧に答える。
こんな状況でも写さずに自分でやるなんて、さすが岩泉くんだ。

「えー、じゃあ鈴木ちゃん遊ぼうよー。」
『遊びません。』
「冷たいなー。岩ちゃんの事ばっか構っちゃってさ…、」
『及川くん、黙って。』

頼むからこれ以上変な事は言わないで欲しい。
慌てて岩泉くんをチラリと見るが、よかった聞いてなかったみたいだ。

「じゃあ明日。前髪絶対あげてきてね。」
『…まぁ、それは追々…。』
「ちょっと鈴木ちゃん?!」

及川くんには申し訳ないが、それよりも当面の私の目標は、梅木多さんたちをお買い物に誘うことだ。
あの後も何度か話しかけてくれたり、誘ってくれたりしているのだけど、どうもうまくいかなくて。
休日はハードルが高いので、まずは出来れば学校帰りがいい。
だからちゃんと自分からそう誘おうとタイミングをはかってみるものの、なかなか言葉が続かないものだ。

そんなことを考えながら梅木多さんの方に視線を向けてみれば、ついでに机に突っ伏しながらブーブーと口を尖らせていた及川くんと目が合ってしまう。

「…まぁでも鈴木ちゃんさ。随分とフランクに話してくれるようになったよね。俺にはもう基本敬語なしだし。すっかり仲良しって感じ?」
『え?!そ、んなこと…!』

ない、と言おうとして口ごもる。
言われてみれば確かに自分でも気づいていなかったが、及川くんへの言葉遣いは昔のようになっていた。
元々別に意識して敬語を使っていたわけではなく、前髪で遮られて出来上がった相手との距離で自然とそうなっていたのだ。
まだ髪は長いままなのに及川くんにはそれがなくなっているということは、私がその距離を感じなくなったという事なんだろう。

…げに恐ろしきは及川くんのコミュニケーション能力の高さよ。

何も言えなくなった私を見てニコニコと微笑んでいる及川くんが、なぜだかほんの少し小憎たらしく感じる。
嬉しいけど悔しい。なんだか彼の思うがままと言った感じがするのだ。

「…気に食わねーな。」
『え?』

隣から聞こえてきた声に顔をあげれば、いつの間にか宿題を終えたらしい岩泉くんがこちらを向いていて。

「鈴木。今から俺にも敬語なしな。使ったら罰金100円で。」
『えぇっ?そ、そんな無理ですよ。』
「…おら、早速100円な。」

右手を出して「はやすぎんだろ!」と言いながらブハッと笑いだした岩泉くんの笑顔を見て、私は100円どころか今お財布に入ってるなけなしの1万円札をそのまま支払ってもいいとさえ思ってしまった。
もちろんそんなことは実際やらないし、考えたことすら誰にも内緒だけど。

「…鈴木ちゃん。それもはや罰金じゃなくてお布施奉納だからやめときなね。」

…なんでバレたんだろうか?

慌てて及川くんから逃れるように顔を前に向けるが、目線は未だに面白そうに肩を震わせている岩泉くんから離せないままで。

お財布から震える手で100円を取り出せば、「初回はまけてやるよ」とまたニヤリと笑った岩泉くんに重たい前髪をグシャリと混ぜられた時も、私は彼に視線を奪われたままだったのだ。


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