準ミハ祭り
04.助けてよおかしくなりそう
どうして自分はご飯まで誘われたりしてるんだろう。
緊張していた自分を無視してフライングで鳴った腹の虫に、ひとしきり笑った準さんは「お腹の虫はもう待てないみたいだよ」とウェイターを呼んでオーダー取ってもらっていた。
恥ずかしすぎて死にそうだ。
「じゅ、…たか 高、瀬さん」
「食べれない物ある?」
それはないと首を横に振ると、ウェイターに向き直ってオーダーを続ける。
注文内容を繰り返しウェイターがブラインドを落とす了承を取ると、店内はまたしっとりと色を落とした。
サングラスは外されてしまい、まともに顔は見れないものの、視線の先が自分を映さない時にはこっそり見たりしてる。
「じ…高瀬さ は」
「準さんでいいよ、厚かましくなければだけど。俺はなんて呼ぼうかな」
厚かましいどころか、自分の名前すら名乗ってなかった事の方が厚かましいんじゃないかと気が付く。慌ててつっかえながら苗字を云うと、三橋くんと呼ばれるはずもなかったトーンにまた心臓が跳ねた。
取り留めのない会話が続き、ウェイターが時々遮る様に料理を運ぶのもいい具合に空気も和らぐ。バランスよく注文された料理はどれも美味しくて、時間が経つと心臓も少し大人しめに日頃の仕事をし始めた。
フォークを掴む指先に見とれてパスタをくるくるスプーンの上で回し続けていると、ふいに目が合ったりするからまたみっともなく慌てたりする。
「観察日記を提出してもらえそうだ」
時折見ていたのが全部バレているようで、ばつが悪い雰囲気にカチャカチャと食器だけがうるさく音を立てた。
「三橋くんは名前なんて云うの?」
「なま、え」
「下のね」
「…れ、ん です」
パスタ皿のふちに余ったディップソースをフォークに掬って漢字を書く。蓮、廉、漣、恋、連、煉、憐、簾、練、レン、れん。
思いつく限りの漢字を並べてるらしい。
「さすがに『恋』はないか」
楽しそうに皿のふちを埋め尽くすと、その度に「れん」と彼の口から彼の音で発音される不思議な感覚。
脳内で反芻される声色。
自分の名前はこんな響きを持っていたのかと思う。
「口、開いてるよ」
「ぅぐ」
慌てて口を押さえるのにまた小さく笑われて食後のケーキを勧められた。
結局、彼についてのプライベートはひとつも聞けなかった。
本当はいろいろ知りたくていろいろ調べたりしていたのに、いざ本人を前にしたら、その名前すら本名なのかと聞けずに気付けば時間だけが経っていた。
「子供はそろそろ帰る時間かな」
腕時計を見る準さんに、自分も店内に掛けられた時計を見る。
カフェは静かに賑わってるけど、さすがにもう帰らないといけない。
「…ま、た 会えますか」
少し困った顔をする準さんに迷惑と云う文字が浮かんだけれど、日頃からは考えられない程の欲が出た。
1つ手に入ると、また1つ欲しくなる。
「今日のお金、渡し たいです」
それは口実だと誰でも解るかも知れない。
「ここのご飯おいしかった?」
見当違いのような言葉を掛けられても美味しかったからつい頷いてしまう。
氷しか残っていないオレンジジュースが入っていたグラスをズらして紙コースターを取られると、裏返してアンケート用にと置かれていたボールペンを手に取った。
「夜は普通に寝てるけど24時間電源は入ってるから」
いつでもどうぞ、と目の前にテーブルを滑る紙コースターが差し出される。
あっさりともらってしまったメールアドレスと準さんの顔を交互に見ると、云わなくてもいいだろう本音が出た。
「携帯、もってな い」
バカすぎた。
それじゃあ要らないと云ってるようなものだ。
一瞬言葉を失ったように止まった準さんは案の定コースターを綺麗な指先で引き戻す。
「正直だな。じゃあ、もし携帯買ったら一番に連絡してね」
少し笑ってから、メールアドレスには電話番号も付け足されて、コースターはもう一度綺麗な指先に押されて自分の手元に帰ってきた。
ずっと静かにしていた心臓がまたバクバクと音を立てて行儀悪く浮かれてしまう。
携帯は、つい最近両親からも話は出たけど要らないと答えた。
やり取りをする友人もいなければ、部活の連絡網すら自分は聞かれない。要らないと云い続ける携帯に、両親とルリだけが不便だと声を揃えるだけたった。
「じゃあ、またね」
「ま、た です」
改札まで送ってもらってお礼を云うと、髪を梳くように一度だけ撫でられた。
あれから店を出た準さんは、またキャップ帽を目深に被り、サングラスを掛けている。周りのを行き交う人達は準さんって事に気付いても居ない。それが変な優越感を生んだりする。
切符を通して改札を通ってから少しだけ振り返ったら、見えるはずの後ろ姿じゃなくて、改札の隣の柵に腕を預けたままこっちを見て、ひらひらと手を振ってくれていた。
振り返すと云う些細な動作がひどく重圧に感じて、何回か手を上げようと汗ばむ手のひらを握ったけど、結局は小さく頭を下げる事しか出来なかった。
◇◇◇
「みーはーしーくん」
昼休みの職員室の帰りに廊下を歩いてると後ろから声を掛けられる。
振り返れば部活の三年の先輩が3人。
「ごめんなぁ、この間は酷くさせすぎた?」
「大事なエース様だから監督は今週はお休みしろとさ」
「からだ大丈夫?」
口調で解る。
揶揄するような口ぶりは、体調なんてそんな事は微塵も思っていないのが聞いて取れる。
ワザと語尾の間延びした棒読みなしゃべり方と含み笑い、血の気が引く思いで俯いていると囲まれる。
「大丈夫大丈夫。三橋くん健気だしぃ、叶くんの分だって頑張っちゃうもんな」
大きな手に肩をきつく捕まれて引き寄せられる。顔を少しゆがめたらネクタイのブレード部分を力任せに引っ張られた。
首筋をスンスン嗅がれて小さく身震いする。
犬かよともう一人に笑われても掴んだ一人は肩は離さない。
「だって俺たち、大事なエース様の犬じゃん?」
それを聞いてワンワーンと前に立つ一人が犬の鳴きマネをすれば残りの二人が声を立てて笑い出す。
「理事の孫は上品だなぁ。あー…もしかしてこれ三橋ルリとおんなじ匂い?」
わざと嫌悪感を煽る様な物云いに肌が粟立つ。
日常は野球と云う餌を撒かれた鳥籠のような物だった。
ただ鳥籠と違うのは籠の扉はいつも開いてるのだ。開いているのに踏み出せずに、踏み出そうともしない自分は毎日変わらず這い蹲って餌を啄ばむのだ。
暖かいと思える日差しだけがあれば満足だった。
居場所はどこでもよかったような気がする。
「じゃあ来週ねぇ」
「来週来週」
わざとらしく肩を叩かれて、ようやく解放される。本当の自由じゃないそれは、来週また身を持って知るのだ。
このままずっと毎日は変わらないのだろうか。
どうやって変えればいいのかも、足元を見つめたままの自分は解らずに居た。
◇◇◇
「レンレン!おばさんから電話だよ」
バタバタ廊下を走る慌しい音がしたと思ったら、ノックもしないでいきなり部屋のドアをめいっぱい開ける。この間はノックしないでルリの部屋のドアを開けたら鬼のような顔で怒ってたのに勝手な話だ。
のろのろベッドから起き上がれば、ベッドサイドにまで歩み寄ってきたルリが見ていた本を覗き込む。
「またその本?好きねぇ」
「別、に」
開いてたページを閉じて隠すように後ろへ置いた。
あの時準さんにもらったあの本をバカみたいに毎日眺めてる。たぶん自分はすごい気持ち悪い奴なんだと思う。
たぶんじゃないかもしれない。
「たまにはリューとキャッチボールでもしたら」
一年の終わりぐらいから家では軽いキャッチボールでも投げなくなった。
叶の家も行かなくなったし、叶も来なくなった。
ルリがどう思ってるかは知らないけど、半分は被写体になってるこの人の所為だと思ってるかもしれない。
「お風呂入るから子機はここに置いといてね、取りに寄るから。勝手に部屋に入んないでよね」
子機を受け取ると再び慌しく部屋を出て行く。ベッドに座ったままボタンを押すと数週間ぶりの母親の声が聞こえて来た。
熱を出していた事をルリからメールで聞いていたらしい。
『熱は大丈夫なの?もう平気?』
「…うん、もういい よ」
『週末にはお父さんとそっちに行くからね。それから…』
話続ける母親の声を遮って、息を飲んでからさっきから雑誌を眺めてて思っていた事を口にする。
「おかさ、携帯…欲しいんだ」
また馬鹿正直だと笑われるだろうか。
それとも不明アドレスで戻ってくるだろうか。
掛けた番号でもう一度あの声を聞けるだろうか。
メールアドレスも番号も本物かどうかも分からない、それでも自分に都合のいい夢を見たとしてもそれでいい気がしていた。