明日への希望

第05話

ただいまクロは、

「こ、ここはどこだろう……?」

──立派な迷子ちゃんであった。





ナンバカ
第05話 明日への希望






一人で来てしまった事を深く後悔する。
しかし、そもそも風呂に行きたかっただけなのだ(風呂も食堂と同じで自分の房を出なければならない)。どうして迷子にならなければいけないんだ。
ありがたい事に、男湯と女湯にきちんと分かれているらしい。だが不親切な事に、女湯は滅多に使わないからなのか男湯から少し離れた所にあるのだ。
だから、ウノ達も女湯の場所を知らなかった。
ウノ達は「俺達も一緒に探そうか?」なんて優しい言葉をかけてくれたが、もう散々迷惑をかけている彼等にまた迷惑をかける訳にはいかないと、

「ううん、大丈夫! 適当に歩いてればすぐに見つかるよ!」

なんて、なんの根拠も無い事を言ってしまった訳で。今過去の自分に対して許せない気持ちで一杯である。

「どうしよぉぉぉおお……」
「……お前は何をしてるんだ」

あまりに絶望的で床に手と足を突いて四つん這いの格好をしていると、ふいに呆れた声が掛かる。
どこかで聞いた事のある声だな、と思って上を向くと、そこにはなんとびっくり。動物園のゴリラさんが──

「……おい。96番。今すげぇ失礼な事を考えてんな」
「メッソウモゴザイマセン」
「だったら目をそらすな!!」
「痛い!! 痛たたたたたたたた!!」

容赦無くゴリラ──もとい看守部長がクロの頭に拳骨をぐりぐり押し付けてくる。

「ハジメちゃんんん……もうちょっと手加減してくださいよー。私女の子なんですよ?」
「お前昼間の控えめさはどうした」

一日でキャラが変わりすぎだった。
否、これが素なのだろうが。どうせ、他の奴らに感化されて明るさを取り戻したのだろう。
しかしハジメにとっては、面倒臭い奴が増えただけだった。

「ところで! お風呂はどこでしょう!」
「はぁ? 風呂?」

しゅた!と手を上げるクロに、ハジメは眉を潜めた。
どうやらハジメすらも女子用の風呂がある事を忘れていたのか、少しの間疑問符を浮かべていた。
しばらく考えて思い出したのか、さも忘れて無かったかのように「……こっちだ」と自分から背を向けた。案内してくれるらしい。
背が高い故に歩幅も広いハジメの跡を、必死に着いて行く。

「……ここの方達は、みんな優しいですね」
「…………」
「私って人の温かみって知らなかったから、すごく、嬉しかった」

自分の周りが全員笑顔でいてくれるなんて、初めての経験だった。それはすごくすごく嬉しい事で、これが人を『好き』って思える事なんだと知った。

「なんでそれを俺に言う」
「なんとなく……言いたくて」

今まで心の荒んだ人間しか見てこなかったからなのか、ハジメが悪い人では無い事は見ただけで分かった。
きっと仕事に真面目な人なのだろう。

「……ハジメちゃんは、ここ(南波刑務所)以外に務めた事がありますか?」
「……無いな」
「じゃあ、知らないか。ここ以外の看守の奴等を」
「……」

『奴等』──彼女は今、はっきりとそう言った。
今まで全く汚い言葉なんて使わなかったクロが、憎しみを込めて発した。
それだけで、今までどんな看守を見てきたのかが分かった気がする。

「……囚人を、怒りの捌け口にする看守。ムカつく上司の前では大人しくしても、その上司がいなくなった途端に好き放題する看守。わざと囚人の入ってる房に虫や蛙を放って嫌がらせする看守。適当に作ったデタラメの罪で囚人を懲罰房に放り込む看守。色々いたよ」

彼女は15番と引けを取らない位、数々の刑務所を脱獄してきた身だ。それだけ色々な看守、囚人を見てきたのだろう。
偶然が重なったのか、恐らく彼女が入った刑務所は総じて看守の態度が悪い所だったに違いない。
根拠は無いが、クロのすっかり絶望し切ったような濁った瞳を見ているとそう考えてしまう。

ハジメにとっては、彼女が今までどんな事をされてこようがどうでもいいのだが、不真面目なその看守共は確かに真面目に仕事をしているハジメには胸糞が悪くなる思いではあった。

「……俺がもしそういう看守だったらどうする」

もちろんハジメは囚人にそんなつまらない事はしない。ただ鎌を掛けたくなっただけだ。

「それは無いよ」

──即答だった。
少しのシンキングタイムも無しに答える物だから、さすがのハジメも驚いて(クロ)を見た。
すると、彼女もこちらを見上げ笑っていた。

「みんなね、ハジメちゃんの事を慕ってたんだ。私もびっくりしちゃった。どうしてあんな怖いゴリ──じゃ、なくて看守さんを好きになれるのかなって!」

明らかにゴリラと言いかけていた。しかも誤魔化し切れているつもりでいる。
……こいつ一回締めてやろうか。

「最初は、みんなが優しいからだと思ったの。
 でも、違うんだなって今改めて思ったんだ。『ハジメちゃん』がハジメちゃんだからなんだな、って」
「……意味が分からねぇ……」

果たしてこいつは今ちゃんと日本語を喋っていたのか危ういとすら思った。
当のクロも、上手く言葉が出て来ないのか、腕を組んでウンウン唸っていた。無理もない、13房にいる位の『馬鹿』なのだから。

「おら、着いたぞ」
「ハジメちゃんハジメちゃん。男湯と比べて女湯が遠いのですが」
「我慢しろ」
「デスヨネー」

そう言われるだろうと、なんとなく予想はしていた。

「じゃあ俺は戻るからな。帰り道は迷子になんなよ、俺はもう知らねぇからな」
「うん! ありがとう!」

ばいばーい、と手を思いっきり降ると、ハジメはやれやれという顔をしてズボンのポケットに手を突っ込みながら歩いていった。

(『ハジメちゃん』って呼び方、全然止められなかったなぁ……これからも呼んでいいって事だよね!)

やった、と思いながら上機嫌で女湯内に軽い足取りで入っていく。

当然の事なのだが、広めの女湯には誰もいなくて、それでも掃除はされているのか綺麗だった。
あまり広い所に一人でいるのは好きではないので、いそいそと服を脱ぐ。と、言っても脱ぐのはパーカーと、囚人服、後は下着だけだが。

いくら屋内といえど、極度の寒がりであるクロは、下着の上に囚人服の上ではきついものがあった。故に、上に私物であるパーカーを着ていた。
これはふかふかの生地なので、すごく気に入っていた。

脱ぎ終えて、誰も見ていないのにも関わらずタオルで前を隠し、肌寒い空気を体中に感じるのは耐え切れないので、すぐにトテトテと浴場に向かう。
中に入ってみれば、ちゃんとお湯が温まっており、温泉として成り立っていた。
少し不安だったので、ひとまず安心する。

時間をかけてわしゃわしゃ頭を洗い、ごしごし体を隅々まで洗い、温泉に入るべく足元に注意しながら広いお風呂に近付く。
正直、こんなに広いお風呂は一度も入った事が無かった。そればかりか、温泉にすら入った事が無くて、戸惑ってしまう。

そろそろとお湯に足を入れていく。
温泉独特の熱めのお湯に驚きつつ、少しずつ体をお湯に沈めていく。思わず「ふぅ……」と一つ溜め息を吐いた。
せっかく広い温泉を独り占めしているというのに、隅っこにちょこんと座っている辺りが勿体無いが。

(なんか今日は……すごい日だったなぁ)

ぽちゃり、とお湯を掬って顔にかけてみると、瞼の奥にじんわりと伝わってきて気持ちがよかった。

こうして目を閉じていると、色々な人の顔が浮かんでくる。
最初、昨日までに出会った人々が浮かんだが、それを塗り変えるほど大きく今日出会った人達の顔が浮かんだ。昨日までに出会った人々は少なくとも一週間は顔を見ていたというのに、その人達の顔は消えていき、今日出会ったばかりの人達の方がはっきりくっきり浮かぶ。
それほど、今日出会ったみんなは強烈で、印象深く残ったのだろう。

もう一度、ぱちゃりとお湯を顔にかける。



──……あったかいなぁ。



こんなに温かいのは、いつぶりだろう。



 ▽▲▽▲▽▲▽▲



就寝時間間近。
クロ達は、くじ引きの周りに集っていた。そのくじ引きをする為の箱は、即興でウノが作ったのでお菓子の箱だ。しかし上手く真四角で手を突っ込む為の穴があるので本格的だった。

「よし……じゃあいくぞ!」
『じゃんけんぽん!!』

ウノの掛け声で、みんな一斉に指を出した。
すると、クロはグーを出し、それ以外の人はパーを出した。

「一人負けしちゃったよー!!」

うわああああ……と声を出しながらゴロンと仰向けに寝転がる。
他の四人は、彼女のじゃんけんの弱さが予想通り過ぎて微笑ましく目を細めていた。

結局引く順番としては、ウノ、ロック、ジューゴ、ニコ、クロとなった。
最後ではあるが、くじ引きをするのが楽しみでウキウキしながら起き上がる。すると、もうみんな早々に引き終わっていた。
早速、よしきた、という勢いでくじ引きの箱に手を突っ込んだ。すると、当然の如く一枚だけが指に掠り、それを手に取った。
箱から出してみると、三角形の紙が二つ折になっていた。

「あ、まだ見ちゃダメだからな!『いっせーの』でみんなで開けるからな!」
「お、おお!」

なんだか青春してる感じだ、と興奮したように目を輝かせる。

「いくぜ!」
『いっせーの!!』

ンバッ!と紙を広げ、お互いの紙に視線をぐるりと巡らせた。
ウノが『3番』、ロックが『2番』、ジューゴが『5番』、ニコが『1番』、クロが『4番』であった。
それを見た瞬間にウノが思いっきりガッツポーズをする。
そう、この番号の意味というのが──

「クロの隣ゲットだぜ!!」
「ピッピカ●ュウ!」
「ポケ●ンネタ再び!?」

──寝る並びであった。
ちなみに、今ピ●チュウの合いの手をノリノリで入れたのは他でも無く、ピカチ●ウファンであるクロだ。
思わずロックの突っ込みが発動する。

それはそうと、何故寝る並びをくじ引きで決めたかというと、ジューゴ以外の三人がクロの隣で寝たがったのだ。
特にニコとウノが主に駄々を捏ねた。そこでロックが譲っていたら話は違ったのだろうが、意外に頑固で譲らなかったという。

「ジューゴ君の隣だ!」
「お、おお……」

何の躊躇いも無く自分の隣にちょこんと座る彼女に、ジューゴは言い知れぬ戸惑いを感じた。
ジューゴが女の子と面と向かって話をするのは、これが恐らく初めてだった。
だから、通常他人に合わせる節があるジューゴは、どう合わせたら良いか分からず困惑してしまう。

「クロの分の布団も敷くからな!」
「あ。ありがとう、ウノ!」

ぱっ、とウノの方を見るクロ。
洗いたての黒い髪がふわっと宙に浮く。その時にシャンプーの良い香りがジューゴの鼻をくすぐった。
はて、シャンプーというのはこんなに良い香りだっただろうか、と思いながらもう少し嗅いでいたいな、なんて変な事を思ってしまう。

「……僕もクロちゃんの隣で寝たかったなぁ」
「ニコちゃん……!!」

既にロックの手により敷かれた布団の上で枕を抱き締めながら、しょぼんとしたように言うニコが可愛すぎて、思わず抱き締める。

「ちょ、クロ! ニコは男だぞ! 男なんだぞ!?」
「え?うん……」
「分かってるなら離れなさい、今すぐ!」
「は、はい!」

突然まるでオカンのような口調で指示するウノに、すぐさま言う通りに離れるクロ。
離れた後も不思議そうにクエスチョンマークをいくつも浮かべる(名前)とニコは非常に健全な男女である。

横一列に布団を全て並び終え、みんな一斉に布団に入る。
就寝時間は確かに間近だが、意外にそういうのを守るんだなと感心する。ただ単純に眠いだけかもしれないが。

「んじゃ、電気消すぞー」
『はーい』

ロックがパチリと電気を消し、一瞬で室内が暗闇に包まれる。

『おやすみー』
「お、おやすみなさい!」

こなれているのか、同時に『おやすみ』を言うので、クロも後に続いて口にする。
すると、急に静かになってしまう。恐らく全員目を瞑って寝る体制に入ったのだろう。

「あ、あのっ……!」

本当に寝てしまう前に言わなくては、とクロは勇気を振り絞って静寂を破った。



「みなさん、明日からも……よろしくね!」



明日も、明後日も、明明後日も、貴方達と一緒に過ごしていたい。笑っていたい。

例え、幸せになってはいけないような囚人という立場だとしても、望んでしまった幸福。心地よいと思ってしまった場所。

どうしても離したくなくて、必死にすがった。手を伸ばして、欲した。


そんな自分への答えは、


『も ち ろ ん !』


──だった。

口を揃え、全員笑顔で。
クロは暗闇の中、ほろりと涙を零した。

一度流した事により、止めどなく次から次へと涙が溢れてきた。
だけど、みんなに心配をかけたくなくて、布団を頭の上まで被り、声を殺して泣いた。
もしかしたら、両隣のウノとジューゴはなんとなく察していたかも知れないが、それでも情けない所は見せられなかった。
クロは初めて、泣きながら笑った。



──明日への希望を胸に。





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