「死にたい」
夜露がぽろりとこぼれるような、刹那的な独白だった。
死にたい。真山藍という男の口癖である。
今年の春から始めたコンビニのバイトにて、真山と私はシフトが一緒になる機会が多かった。たしか真山と私はタメだったけど、真山は私に敬語を使う。
「麻田さんて、友達多そうですよね」
初めて真山とシフトが一緒になった時、そんなことを言われた。なにそれ、と思いながら私は笑った。
「そうかな。ふつうだと思うけど。そういう真山くんはどうなの」
「俺は、べつに」
「べつにって何?」
「……べつに、学校とバイト以外あんま外出ないんで」
「あー、インドア?」
「ああ、そうですね、インドアです」
答えになっていないよくわからん会話。つーか聞いてきたくせに「べつに」って曖昧な。
今思い出しても「べつにって何?」と聞き返した私の言い方は、若干きつかったかもしれない。だって実際イラッとした。
真山藍は陰欝な男だった。目にかかる程の長い前髪、ボソボソとした喋り方、曖昧な言葉。めんどくさい男。そう、めんどくさい男だった。
とりあえず決して数多くない私の友人にはいないタイプの人間だった。
「死にたい」
初めて真山とシフトが一緒になった日。閑散とした深夜のコンビニ。客のいない午前1時。
真山が、ぽろりとこぼした。少し俯いた視線は自分の手首辺りを見ているようだけど、実際はわからない。もっと遠くを見ている気もし、何も見ていない気もした。
不意にこぼれた「死にたい」という言葉に、私はべつに耳を疑うようなことはなかった。
真山にその言葉があまりに似合いすぎていたので。
以来、真山とシフトが一緒になれば、必ずその独白を耳にするようになった。
季節は春から秋に変わっていた。出会った春より、今の秋のほうが真山に似合ってる。ひっそりと寂しげで、孤独な秋。
「真山くん、死にたいの?」
その日のバイトを終えて、バックルームに引っ込んだ真山と私。今までずっと聞こえていない振りをしていた私は、初めて真山へ問うた。
ロッカーにコンビニの制服を仕舞った真山は、不意をつかれたような声で「え」と言って、私を見る。
鬱陶しい前髪、切れよ、と思う。
話していても視線が合わない真山がそんなふうに私をちゃんと見るのが珍しく、真山の目を隠そうとする前髪がとてもうざったい。
「死にたいって言うじゃん。いつも」
「……聞こえてたんですか」
季節が変わっても未だに真山は敬語を使う。
「聞こえてないと思ってたことにびっくりなんだけど……。聞こえてたよ、最初から」
「最初、って」
「だから、初めてバイト一緒になった時から」
言えば真山は少し固まった。かと思えば、鈍い動きでロッカーからカーディガンを取り出して、それを羽織った。
「独り言なんで、気にしないでください。もう言いませんし。多分」
早口に真山は言う。多分て。
しかし本当に完全な独白だったのか。可笑しくなった私は、真山に隠れて俯いて笑った。それに気づかない様子の真山は言い訳のように話し出す。
「べつに俺、死にたいっつっても、本当に死にたい訳じゃないんですよ。癖っていうか。ああ、自分やだなって思うと、何となく、ぽろっとっていうか」
珍しく饒舌。焦っているのがわかる。
「ていうか、麻田さんずっと聞こえてて黙ってたんですか」
「うん、聞こえない振りしてた」
「なんで」
「なんか聞いたらいけない気がして」
「……はあ」
ため息を漏らして、真山はロッカーをバタンと閉めた。
「麻田さん、性悪」
そんな呟きを私は聞き逃さなかった。いやいや、聞かれたくないならぽろっと口にするなっていう話だよね。
「真山くんて、めんどくさい」
めんどくさい男。そうキッパリと言ってやったら、知ってます、と返ってきた。自覚ありか。
「真山くん、自分のこと死にたいくらい嫌いなの?」
「死にたいくらいっつーか……まあ、嫌だなって思います。麻田さんだって嫌でしょ、俺みたいな根暗なの」
「私は、真山くん好きだけど」
あ、ぽろっと。
「……は?」
前髪から覗き見えたのは、真っすぐ私を見据える黒い目。
朝番のバイト達にてきとうな挨拶をして、コンビニを出た。時刻は早朝だけど空はまだ夜明け前の色をしている。
「藍色だね」
上を向いたまま言う。
「真山藍って藍色が由来なの?」
「ああ……多分」
「多分て」
途中まで帰り道が同じなので、真山と私は並んで歩いた。
さっきの饒舌はどっかへ行ってしまったらしい。真山は無口だった。だけど、いつもの無口と違う気がするのは、果たして私の自惚れだろうか。
「麻田さん、さっきのどういう意味ですか?」
このまま何も聞かれないと思っていた私は意外だった。下を向いている真山は私を見てはいなかったけれど。
しかし、どういう意味もなにも……。
「どういうって、そのままの意味だよ」
「なんでそんなキッパリしてるんですか……」
「真山くんがめんどくさいから」
「……麻田さん、俺のことが好きなんですか」
吐き出すように真山は言った。
「めんどくさいけど、好きだよ」
不思議なことに、と私がキッパリ答えると、押し黙った真山。そっと横目で顔を窺う。
「……麻田さん、物好き」
そんな照れ臭そうな呟きに、私は笑った。
「ねえ真山くん、死にたい?」
意地悪のつもりで聞いたら、照れ臭さと、ムッとしたようなのが混ざった視線が向けられる。
「恥ずかしくて、死にたい」
めんどくさい男。藍色の男。
今度前髪を切ってあげよう、と思った。
藍色の男
12.8.11
PREV BACK NEXT