ピアスを開けたのは、美香ちゃんがそうしたからだ。中2のときだった。
髪をほとんど金髪に近い茶色に染めたのは、美香ちゃんがそうしたから。高校の入学式の翌日だった。
青いカラコンをいれたのは、美香ちゃんが、16になったらいれるって言うから。二人でいっしょにいれた。美香ちゃんと、俺の誕生日だった。
「ミーちゃん、英語みして英語」
ノートを片手に、窓際の席からやってくる友人。なんの躊躇もなく一時的に空いた俺の前の席に座った。
いつもそこに座ってる人って誰だったっけ。女子だということしか記憶していない。まあ、席とられたって、誰からも好かれるような目の前の友人になら、べつに不快に思うことはないだろう。女子なら尚更。
そんなことを思いながら、気だるく机の中からルーズリーフファイルを引っ張り出し、机上に広げてやる。
「ミーちゃんありがとー」
「遥さあ、そろそろ自分でやってきなよ。当たるってわかってるときくらい」
「俺が英語無理なの知ってるでしょ」
「見せてもらうのべつに俺じゃなくていいじゃん」
言いながら、なんだかデジャヴを感じた。前にも同じ台詞を言ったのかもしれない。
遥はアルファベットの羅列をおおざっぱに自分のノートに書き写す。その姿勢のまま、ミーちゃんが確実だし、と言った。
確実だし、じゃねーし。まあ、俺も数学は遥を頼ってるから煩くは言えないのだが。
2限と3限の間の10分間の休み時間。教室は雑然としている。自分とは無関係な喧騒。笑い声。ああ、うるせえな。テレビみたいに、すべてミュート設定にできたらいいのに。
だらしなく椅子に背中を預け、意味もなく左耳のピアスに触れた。0Gのピアス。たぶんもう拡張はしないだろう。
「ミーちゃん、元気ないね」
意識と視線を前にやる。遥はまだアルファベットを書き写している。
ミーちゃん。ミーちゃんなんてあだ名で俺のことを呼ぶのは、遥しかいない。遥は、中学のときからずっと変わらずに俺をミーちゃんと呼ぶ。
「美香ちゃんとケンカしたの?」
「ケンカとかしたことねえし」
「はは、よく言うよ」
俺が美香ちゃんとケンカなんかするわけがない。
美香ちゃん以外の人間は、今まで一体何人殴ったかおぼえていないけど。
高1の4月。高校生活の初っぱなから、人を殴って自宅謹慎処分をくらった。
相手は名前も学年も知らない。もしかしたらタメだったかもしれない。いや、先輩だったかも。いちいち自分の記憶が曖昧なのは、そんなことは俺にとっては心底どうだってよかったからだ。
「三好美香ちゃんだって。金髪のあの子、けっこうかわいくね?」
「言ったらヤらしてくれねーかな。頭軽そうだし」
すれ違いざまに聞こえたささめきに、頭より先に動いたのは足だった。そのあとに、拳。
血液沸騰してんのかってくらい、熱くて熱くて熱くて。そこに感情が存在していたのかすらわからないくらい、ただ、熱かった。その時の記憶が若干飛んでいる。気がついたら、体育館へ繋がる渡り廊下は、集会を終えたあとで人が多いのに、妙な静けさだった。周りの人間が俺を囲むようにして、こちらを凝視している。
ふと、爪先に何かが当たったので目を落とすと、俺の足元にはどこの誰だか知らない男子生徒がうずくまっていた。
……あ、手に血ついてる。やべえ、美香ちゃんに怒られる。
自分の拳についたベタつく赤を見ながら、俺はそんなことをぼんやりと思ったのだ。
「なにしてんの、バカ」
その日家に帰ってきて、開口一番、美香ちゃんは俺を叱った。頭を思い切りひっぱたかれたけど、全然痛くない。美香ちゃんは泣いていた。
「……ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃねーよ!バカ!あたし、すごいびっくりしたんだから!」
「……ごめん、なさい」
ぼろぼろ涙をこぼしながら、美香ちゃんは何度も何度も俺をひっぱたく。俺はその度に謝っていたが、いつのまにか何も言えなくなってしまった。
「美央のバカ」
最後に、美香ちゃんは俺を抱きしめた。視界の端には、美香ちゃんの6Gのピアス。中2の時はじめてあけたピアスは、俺も美香ちゃんも16Gだったのに。
美香ちゃん。俺のたったひとりの姉。同じ日に生まれて、今までずっといっしょだった、俺の大事な双子の姉。
俺は美香ちゃんが大好きだった。だから美香ちゃんのやりたいことは、俺もやりたいと思った。美香ちゃんを悪く言う人間は、とりあえず皆死ねばいい。美香ちゃん以外は誰もいなくなったって構わないんだ、俺は、ずっと。
でも、美香ちゃんはそうじゃない。だって俺が誰かを殴ると、美香ちゃんは泣くから。泣きながら、俺まで泣きたくなるほどやさしく、美香ちゃんは俺を抱きしめる。
小さい頃、美香ちゃんといっしょにアニメの映画を観たのをおぼえている。
ほんとうは弱虫な怪獣が、何かのきっかけで暴走して、しかしたった一人の少女が泣きながら怪獣を抱きしめることで、怪獣は暴走をやめ、そして自分の心を取り戻すのだ。
美香ちゃんに抱きしめられる俺はそれを思い出す。自分に似ている気がするから。
いつまでも子どもで、自分の感情のコントロールもできずに、大好きな人を泣かせてしまう弱いところが。
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