「真山くん、前髪切ってあげる」

 突然俺の部屋にやってきて、麻田さんはきっぱりと言った。
 何事かと思い間抜けな声を返したが、麻田さんがトートバッグからペンケースを、またそのペンケースから鋏を取り出したのを見て、少なからず身がすくんだ。しかもそれふつうの事務用鋏じゃないだろうか。

「これしか手元になくて。大丈夫大丈夫。これわたし中学生の頃から使ってるんだけど、ほんとすごく切れ味いいんだから」

 嬉々として耳元で刃をシャキシャキ鳴らすのやめてほしい。

「前髪ぐらい自分でやれるよ」
「だめ。やらせて」
「…なんかこわい」
「大丈夫大丈夫。こわくないこわくない」

 さながら警戒する小動物を宥めるように麻田さんは言うが、笑顔がこわい。何がこわいって、俺が彼女の頼みを断れないのを知っている笑顔だ。

「…あんまり切らないならいいよ」
「真山くんは臆病だねえ」
「……」

 というやり取りがあって、浴室にいる。
 俺はプラスチックの椅子に座らされている。麻田さんがわざわざ持ってきたケープを首にかけている。てるてる坊主、と言って麻田さんが笑った。俺は、死にたい、と思った。
 真昼の浴室はタイルの床が乾いている。視界には、血色の良くない俺の足と、白いつるりとした甲の麻田さんの足がある。ふたりとも裸足だ。
 自然に目が足元のほうへ向かってしまうのは俺の癖だが、気づいたのは最近だ。

「真山くん、こっちみて」

 麻田さんのきっぱりとした声が浴室にわずかに反響した。俺はゆっくり顔を上げる。

「目をつむって」

 髪が目に入ったらいけないから、と言われ、俺は頷き、目をつむった。
 視界がふさがれると、他が敏感になる。麻田さんの手先が俺の前髪にふれる。そして、ふう、とひとつ息をはく。その微かな温度。

「さすがにちょっと緊張する」

 すぐ近いところから麻田さんの声が聞こえた。笑った声は、たしかに少し緊張している気がした。俺は目をつむったまま頷く。

「やめてもいいよ」
「やめない」
「…やめないの」
「残念ながら」
「……」
「ふふ」

 誰かにふれられることは好きではない。距離が近いと困る。俺はきっと臆病な動物だ。だから視線は足元で、前髪は鬱陶しいくらいがちょうどよかったのに。だけどもう、諦めた。
 シャキ、とひとつ音がした。思ったよりずいぶんささやかな音だった。切られた毛先が足の甲に落ちてきて、チクリと痛い。だけどまあ、いいか。後で流せば。
 麻田さんが慎重に慎重にとふれてくる手先がくすぐったい。妙に静かな真昼の浴室で、どうしてか俺は笑ってしまいそうだった。

「真山くん、目あけていいよ」

 そう言われ、しばらくぶりに目をあけた。視界はずいぶん明るくて、俺は何度もまばたきをした。

「まぶしい」
「顔がよく見えていいね」
「あー…なんか、落ちつかない」
「あはは、がんばれ」
「…はい」

 頷く俺を見て、麻田さんが笑う。それがずいぶんよく見えたので、正直困った。
 落ちつかない気持ちのまま、がんばろう、と思った。



まばゆくうつる
13.10.26


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