ちひろは奔放な子だ。腰まである赤いロングヘアが印象的で、見た目は全然そんなことないのに、一緒にいるとまるで小学生の男の子みたいだった。
「鹿野さんて、バニラの香りがする」
はじめてちひろと会話した日に、そんなことを言われたのを覚えてる。
あの時ちひろは、あたしのことを「鹿野さん」と呼んでいたのだ。あたしだって、あの時はまだちひろのことを「中野さん」と呼んでいた。
思い出すと、なんだか可笑しい。
「ユキ、なに笑ってんの？」
「思い出し笑い」
「あたしのこと見てなに思い出してんの。ユキのえっち」
「あーあー、ちひろ動かないで」
「もう無理！疲れた！」
叫んだかと思えば、ちひろが背もたれのない木製の椅子から勢いよく立ち上がった。両腕をぐぐっと天に伸ばす姿をイーゼル越しに見て、あたしはため息をつく。
まあいいか、けっこう描けたし。諦めて鉛筆を置いた。
「モデルって楽かと思ったけど、けっこー大変なんだね。ずっとじっとしてるのって案外疲れる」
「お疲れさま。助かったよ」
「それ出来たら、提出する前に見せてよね」
「いつになるかわからないよ」
「いーよ、いつでもまってるからさ」
ちひろは軽い調子で言いながら、窓際の方へ歩いていく。
開け放たれた窓からの風になびく赤い髪。差し込む日の光で透けて見える。ああ、やっぱり綺麗。ちひろのロングヘアを見ていると、あたしもあれくらい伸ばしてみたくなってくる。でも、手入れとか大変そう。それにきっと伸ばしたところで、あたしのくせっ毛じゃあちひろのように綺麗にはならないだろう。
ぼうっと眺めていたら、ちひろの妙な行動に気づいて、ハッとした。なぜか不意に上履きを脱いだと思ったら、今度は紺のハイソックスまで脱ぎ出したのだ。
「ちひろ」
窓際には水道がある。裸足のちひろが、まるで猫のようにしなやかに、ひょいとそこへ飛び上がった。
美術室の水道は、絵の具で汚れた手や画材を洗う為にあるのであって、決して素足を洗う為にあるんじゃない。ましてや、水遊びをする為にあるのでもない。
そんなあたし常識的な思考とは裏腹に、蛇口はひねられ、水がしたたかに流れ出す。
「ちひろ、なにしてんの」
あたしの声が聞こえていないのか（いや、ぜったいに聞こえてる）、ちひろはこっちをふりむきもしない。
細くて真っすぐ伸びる無駄の一つもない足が、見上げる位置にある。
「ちひろ」
少し大きな声で名前を呼んだ。
まるで今はじめて気がついたような素振りでようやくふりむいたちひろは、いたずらな顔をしていた。
背に日差しを浴びて、素足に水を浴びる。奔放で、純粋な笑顔が、まぶしい。
「ユキもおいでよ。いっしょに水遊びしよ。気持ちいいよ」
「やだよ。ねえ、先生来たら怒られるって」
「ユキもいるからヘーキ」
巻き込まないでほしい、と思いながら、椅子に座ってただちひろを見上げているあたしは、もうすでに諦めている。
視界の先で、パシャパシャと小さく水がはねる。短いスカートが踊るようにゆれている。
「ちひろ」
「なに？」
「パンツ見えてる」
へへっと笑って、隠そうともしない。
PREV BACK NEXT