ペットボトルの蓋をひねる。プシュッ、と炭酸が抜ける音がした。口に含めば慣れた甘い炭酸が舌の上で弾ける。

「なんか、意外とふつうだったな」

 独白のつもりで吐き出した感想だったが、ハルにはしっかりと届いたらしい。勢いよく俺に向いた顔に、軽くびびる。
 コンビニを出てから今まで、俺の隣を並んで歩くハルはずっと放心したように黙っていたから、聞こえないかと思ったのに。

「ふつうってどういう意味!?」

 なんでキレてんだ、こいつ。

「べつに趣味悪いとは言ってねえじゃん」
「しゅっ、趣味悪い!?うわあああヒロのばかー!」
「だから言ってねーだろ!」

 両手で顔を覆って喚く完全にテンパっているハルの背中をバシッと叩く。
 これが学校でイケメンだとか言われて女子から黄色い声あげられてるだとか信じたくない。こいつをイケメンだと頬を赤らめている女子に、ちゃんと中身を知った上で言っているのか切実に問いたい。

「ふつうって、ふつうに可愛いって意味だよ」

 わざわざ訂正してやると、自分のことを言われたわけでもないのにハルは何故か赤面した。おい、反応に困るわ。

 さっきのコンビニで買ったサイダーをもう一口だけ飲んで、蓋をした。慣れているはずの炭酸が、なんだか少し痛くて。
 一目惚れって言うからどんな相手かと思った。ハルの好きな子が、もっとテレビとか雑誌で見るような、現実的じゃなくて、手の届かなそうな女の子だったらよかった。
 女の子らしい小柄な後ろ姿も、あのときかろうじて窺えた横顔も、可愛かったと思う。どこにでもいそうだけど、でもまあふつうに可愛くて、ああこれ現実なんだな、と思い知らされた。

「なんで好きになったの?」

 ごく軽い調子で聞いた問いに、顔を更に赤らめてうろたえるハル。

「な、なんでって……。言ったじゃん、ひ、一目惚れって」
「だからー、どこを一目見て惚れたのかっつー話だよ」
「どこって、ヒロくんエロいよ!やめてよ!俺そういう目であの子のこと見てないんだからね!こう、なんていうか、常にあたたかく見守ってたい感じなんだよ!」
「ただのストーカーだろそれ」
「スススストーカー!?」
「だっておまえ、今までそういうの全然なかったじゃん。気になる」

 そうだよ、昨日まで、苦手な英語の課題が当たるかもしれない話や、漫画の話や、最近ハマったバンドの話なんかを変わらない調子で話していたのだ。それなのに、まるで昨日までのハルはどこにもいないように思える。今ここにいるハルが俺の知らない人間みたいに思えてしまうなんて、ひどい錯覚だ。
 俺は「俺の友だちのハル」を探すようにしつこくあの子のことについて食い下がった。ハルはしばらく渋っていたけど、とうとう折れたようだった。俺から視線を逸らして話し出す。

「はじめて見たときから、なんか、目が離せなくて……」

 ハルの目は、少し上のほうに向いていた。夕陽を見ているような、ここにはいない誰かを見ているような。

「……俺が、守ってあげたいなって」

 その綺麗な二重瞼の目の笑ったときのやさしさを、俺は誰よりも知っている気でいた。

 ハルと仲良くなったきっかけは、ふつう過ぎて笑えるくらいだ。高1のとき、同じクラスで、たまたま席が前後だった。
 俺があのときぼうっと後ろから見ていた、やわらかそうにゆれる茶髪。ふれてみたい、と思っていた。何の前ぶれもなく俺にふり返って、やさしい春みたいに笑った顔を、きっと俺は一生忘れないのだろう。

「ち、沈黙やめてよ……。ヒロが聞いてきたんだから何か言ってよ……。俺恥ずかしくて死ぬ」
「ぶっ、はははっ」
「えっ、なに!?なんで笑うの!?」
「いやー、そんな真面目に答えてくれるとは思わなくて」
「……俺、ヒロのことちょっと嫌いになった」
「ちょっとかよ」
「だいぶ嫌いになった!あーもう、ヒロくんには何も言わない!」
「悪かったよ、ほら俺のサイダーやるから」
「飲みかけじゃん!間接キスとかやなんですけど!」
「よく言うわ」

 気がつけばいつもと変わらないようなやり取りをしているのだから、なんかいろいろ馬鹿らしくなってくる。でも現実感が鮮明だ。
 友だちに、好きな子がいる。

「ま、がんばれよ。応援ぐらいはしてやっから」

 そう言って、俺は背中を叩いてやる。ハルは眉間にシワを寄せて俺を見たが、やがて照れくさそうに笑って、頷いた。

「ありがと。やっぱ俺、ヒロくん好き」
「おまえほんと、うらやましいくらい単純だな……」

 笑いあう帰り道は夕陽の橙色。
 風は少しばかり湿っぽいけれど、隣の猫っ毛は、相変わらずやわらかそうにゆれていた。

 好きなやつがいる。
 言わないけど。せいぜい笑ってろ、ばーか。


境界線は橙
13.1.23


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