やわらかそうな髪にふれたい。
ただそれだけの理由でふれられる関係じゃないから、指先が疼くのを、今日も知らないふりをする。
「ヒロ、見て見て!すっごい美味しそうな入道雲〜」
ハルは今日も楽しそうに笑ってる。
青く熱い夏の空に向かって指をさす、その笑顔がまぶしい。下校途中の生徒達が何人もクスクスと笑いながら俺たちの方に向いていることなんて、まるで気がついていない様子。
つーか入道雲にはしゃぐ男子高校生ってどうなの。
「わーったから!おまえ声でかい!今すぐその手を下げろバカ!」
「バカ!?なんでよ、ヒロ冷たい!」
「いや冷たくねえし暑いし」
「あはは、ウマイこと言うね」
「いやべつにウマくねーし。あー、ガリガリ君食いてー」
「あの入道雲さあ、食べたらぜったいうまそう。バニラっぽいもん」
「いいよもう、入道雲は」
七月の上旬。強すぎる陽射しの下、並んで歩く通学路。いつもの帰り道。
ぐったりしてる俺の隣で、ハルが空を見上げてる。淡い色の茶髪を風にゆらしながら。
友人の日向遥は、見た目は良いのにどっか抜けてる。見た目は良いのに。
背が高くて、はっきりした目鼻立ちなのに、優しげな雰囲気。猫っ毛だというふわふわした茶髪は風になびいてなんとも軽やかだし、制服のシャツにはこの暑さの下だというのに汗染みの一つも滲んでない。
清涼飲料水のCMとか似合いそう、なんて見た目の印象は、ハルをはじめて見た時も今も、変わってない。
「日向くーん!」
「バイバーイ!」
「えっ?あっ、さよーならー……」
突然後ろから、一台の自転車が俺たちを追い抜いていった。ギャル系の女子が二ケツしていた。一瞬だったから顔はわからない。
ハルはふらふらと手を振りながら、元気だねえ、などと言いながら笑う。
「……今の知り合い?」
俺は素知らぬふりをして聞く。
「ううん。知らないけど、あれ先輩かな。なんか派手っぽかったし」
「派手な一年かもしれねーじゃん?」
「あー、そっか」
真面目に答えるあたり、こいつはほんとうに素直というか、天然というか。
まあそういうところがハルの誰彼無しに愛される所以なのだろうし、俺も、嫌いじゃないけど。
「はー、あっつい。ねえ、ヒロんち行く前にコンビニ行こうよ。俺アイス買おーっと」
「俺サイダー買おーっと」
「ヒロ好きだねー、サイダー」
「うめーじゃん」
コンビニで、ハルは宣言通りアイスを買った。カップのバニラ(確実にさっきの入道雲に触発されてる)。俺も宣言通り、サイダーを買った。
暑さに耐えかねて、コンビニを出てすぐにペットボトルのサイダーの蓋を開けた。プシュッと小意気よく音が弾ける。一口飲んで、舌の上で炭酸が弾けるのを確かめる。甘い炭酸が喉を刺激しながら下りていく。
隣から、羨ましげな視線を感じる。
「……ヒロ〜」
「……なんだよ」
「俺にも一口〜」
「ぜってーやだ」
「ええー、ヒロのケチ。いいじゃん一口ぐらい」
「自分のアイスあるだろうがよ!なんでこのくそ暑い中オメーと間接キスしなきゃなんないんだよ!」
「いいじゃん間接キスぐらい!友達でしょ!」
「でしょ!じゃねーよ!気持ち悪!」
見た目と中身のギャップが激しい。「残念なイケメン」なんていうが、ハルはきっとその代名詞。
ハルは学年問わず人気があるけど、例えばさっきの自転車二ケツしていたあの女子たちは、ちゃんとコイツの中身を知っているのかと。
そんなことを思う俺は、ハルとは学校で一番仲が良くて、なんだかんだくだらないことを言い合いながら一緒にいる毎日だった。
「ハルさあ、カノジョほしい?」
クーラーの効いた俺の部屋でのんきにアイスを食べていたハルが、俺を見た。
木のスプーンを半端に口に入れたままで、きょとんとする。
「え?なんで?」
「だっておまえモテるし。カノジョ作らねーのかなーって」
「えー、あはは……。まあ、そりゃあいつかはほしいよね、うん」
困ったように眉を下げるハル。この手の話がちょっと苦手らしく、話を振るとたいていこんな反応をする。モテるくせに。
「いつかはって、いつだし」
「いつって、そんなん、す、好きな子ができたときじゃん」
「ハルって、どんな子好きなんだよ」
「なに今日恋バナ!?この暑いのに!」
「暑くねーしクーラー効いてるし」
「あっ、格ゲーしよ格ゲー!ヒロが負けたら明日購買奢りね!」
「はあ?」
話逸らしやがった。
食べ終えたらしいアイスのカップをゴミ箱へ放って、勝手にゲーム機を出してテレビにセットする。
負けたらとか言っていつも負けてんのどっちだよ、と思いながら、対戦画面を前に、渋々隣に座る。
コントローラーをカチカチ鳴らして、夏の午後。視界の端に見える窓の外。夕方なのにまだ青い空。入道雲。
このままずっと変わらなければいいのに、とぼんやり考えた。
「いつかはほしいけど、今はまだいいかなって」
え、と思って、横を向く。
「ヒロいるし、わりと今楽しいから」
コントローラーを握って画面を見たままの姿勢で、ハルが、たぶん、いや確実に、俺の気も知らないで、言った。
わかってる。だけど、不覚にも息をのんだ。一瞬。
「あっ」
ハルが声をあげた。ハッとして、画面に向き直ると、俺も「あ」と思った。
「うわやった、勝った!」
「……」
「ちょっ、もしかしてはじめて勝ったんじゃない、俺!」
「……だー!おまえセコイ!」
「は!?なんでよ、ちゃんと勝ったじゃん正攻法で!」
ふざけんなと言いたい。
あー、腹立つ。だけど何も言えないから、コントローラーを投げ出してそのまま後ろに倒れた。後頭部が床にぶつかって、鈍い音が鳴った。
ふっと、陰が降ってくる。
「ヒロくん、明日購買よろしく」
俺の顔を覗き込むようにして、笑う。俺の気も知らないで笑う友人。友達。親友。
目の前でゆれるやわらかそうな茶髪を叩いてやった。
腹立つからという理由なら、ふれたっていいだろう。
微炭酸エイジャー
12.8.1
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