※同性愛
好きなやつがいる。
◇
髪が風にゆれている。
ふわふわの猫っ毛は、そうしてゆれていると世界一やわらかいもののように見える。
俺は、休み時間に入ってから机に突っ伏して動かないハルの前の席に座って、ケータイを弄るふりして、ずっとゆれる髪を見ていた。
「いー天気だなー……」
「……うん」
窓越しの青空を見上げて独り言をこぼしたら、くぐもった返事が返ってきたので、俺は驚いて前に向き直った。
「起きてんのかよ」
「うん……」
寝言のような返事だった。
「俺が誰だかわかってる?」
「ヒロくん」
「……おう」
正解、と小さく答える。即答しやがって。
ふと、ハルが冬眠からかえる動物のように、ゆっくりと顔を上げた。前髪が乱れている。血色のいい頬には、えくぼみたいな寝あと。眠たそうにとろんとした目を見て、見てはいけないものを見てしまったような、罪悪感に近い感情が湧いてくる。
俺はそんな感情を抱いてしまう自分自身がめんどくさい。冬眠したいくらいに。もう春も終わりそうだけど。
「おまえ、今日ぼけっとしすぎじゃね?」
ハルは顔を上げているものの、放っておくとまた突っ伏してしまいそうだった。いつもなら、放っておけばくだらないことばかり言って勝手に楽しそうに笑ってるくせに。今日のハルは、妙におとなしくて調子が狂う。
そんな俺をよそに、しかし本人からは相変わらず、うーん、なんて気だるげで曖昧な返事しか返ってこない。
そうしているうちにチャイムが鳴った。午前最後の授業はハルの一番苦手な英語だ。こいつはこんな調子で、課題はやってきたのだろうか。今日当たるっつってなかったっけ。
「……ヒロ、俺さあ、」
いらぬ心配をしながら自分の席へ戻ろうと立ち上がったときだった。
ふい打ちの潜めた声は、この教室できっと俺にしか届いていない。心のどこかで優越感に浸る俺がいて、またべつのどこかでは、今この瞬間、そんな声に耳をふさぎたくて堪らない俺がいる。
ハルの言葉は、いつだって突拍子もない。
「好きな子できたかも」
だから、俺はいつだって心の準備ができていない。
J-POPの有線放送が流れている。
なんだっけ、この曲。前にハルが聴いていたやつだ。ボーカルの男の爽やかな声は、前向きな歌詞で恋を歌う。
学校帰りのコンビニにいた。飲料ケースの前で飲み物を選ぶふりをしながら、俺は隣のハルに小声で訊ねる。
「あの子?」
「た、たぶん……」
「たぶんかよ」
ナンパしにいくわけでもないのに、緊張で引きつったような声で答えるハル。
ところでさっきから俺たちは妙に距離が近いのだが、もしかしてこいつ、俺の陰に隠れているつもりなのだろうか?隠れている本人より約10センチ身長の低い俺の陰に?嫌味か?ついでに、でかい体でコソコソしている様は、傍から見たら怪しい以外の何物でもない。
とりあえず俺は視線だけを雑誌コーナーへ動かした。雑誌コーナーには立ち読みしている人間が三人いる。そのうち二人は中年の男、残るは、見た目は俺たちとそう年の変わらなそうな女の子が立っていた。
Tシャツにデニムのショートパンツというラフな服装。小柄で、華奢な後ろ姿。肩より長いキャラメル色の髪。
「あれか……」
「ちょっ、ヒロ!じろじろ見すぎ!ばれるって!」
「うるせーよ!おまえが黙ってればばれねーよ!……あ」
「あっ」
小声で騒がしかったハルが唐突に固まる。俺を盾にしながらフリーズする姿は、相変わらずイケメン台無しで相当怪しいが、俺たちの横を通りすぎていく彼女に気にする様子はない。
通りすぎていく、キャラメル色の髪。お菓子コーナーを少しうろついたあと、特に何も買わずにコンビニを出て行った。
ハルの名前も知らない恋の相手。
俺がかろうじて窺えたのは、一瞬の横顔だった。
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