「あ、」

 改札を抜けるとき、日向が取り出した定期券と一緒にスラックスのポケットから小さな何かがこぼれ落ちた。
 チャリン、と鳴った金属音。私はコンクリートに落ちたそれを拾い、落とし物をしたことに気がつかないで先に改札を抜けてしまった日向の後を追った。

「日向、落ちたよ」

 え、と私にふり向いた日向に、手のひらを差し出す。
 自転車の鍵だった。形状が私の自転車の鍵とほとんど同じなのですぐにわかった。ただ、私の手のひらにあるそれは、可愛い猫のキャラクターのチャームが付いていて、私の持っている鍵よりよっぽど女の子の持ち物みたいだ。

「うわ、落としたの全然気づかなかった。ありがと、はーちゃん」

 長い指先が私の手のひらから鍵をつまみ上げた。ポケットへ仕舞う前に、ほっとした顔で鍵を見た日向。でもすぐに気がついた。日向が見たのは、鍵ではなくて、猫のチャームの方だ。
 見てはいけないようなものを見てしまった気持ちになる。勝手におぼえた気まずさから、私は思わず口を開いていた。

「それ、カノジョとおそろい?」

 訊いたことをすぐに後悔した。だけど何か話してないと上手くやり過ごせそうになかったのもほんとうだった。
 日向は、さながら小動物みたいな俊敏さで、私を見た。

「カノジョじゃないから!」
「あ、ごめん。まだ違ったっけ?」
「ふつうに違うよ!てか俺、はーちゃんになんか話したっけ!?」
「や、風の噂で」
「なにそれ……」

 日向が項垂れる。耳まで真っ赤だ。

 「日向、好きな人いるんだって」「うそ、マジで?」「年上らしいよ」「その人に近づきたくて同じバイト始めたって話、ほんとかな」「それってかなり本気じゃん」
 日向にまつわるいくつもの会話の断片が、頭の中でリフレインする。クラスが離れていたってそんなの意味がない。何かあれば容易く噂が耳に入ってくる程度には、自分が目立つ存在であることを本人だけがわかっていない。

「おそろいとかそんなんじゃなくて、俺が勝手に付けてるだけ」

 似てるなって、思って。
 耳のところに水玉のリボンを付けた可愛い猫のチャームを見ながら、見たこともない横顔で日向は話す。

「日向、あんた健気だな……」
「はーちゃん絶対バカにしてるでしょ……ほんとは心の中で俺のことこいつマジでキモいとか思ってるでしょ……」
「被害妄想にもほどがあるわ」

 ああ、キツいな。実際に目の当たりにすることは、思っていたよりずっとキツい。
 いつだって日向はわかっていない。鈍くて、鋭い。鋭くて、鈍い。そういうところが良いところだと思うけれど、だけど同じくらいに腹が立つ。
 バカになんか、するわけないじゃん。

 いつもより遅い時間に歩く通学路は、いつもより明るい。日差しが私たちを平等に照らしている。
 隣では淡い茶髪が風にゆれているけど、ふれることなんか叶わないくらいずっと遠い場所にある。

「中学んときさー、楽しかったよね」
「どしたの急に」
「あんたと並んで歩いてたらいろいろ思い出してきたんだよ」
「あはは、でも俺はーちゃんに怒られてた記憶しかない」
「私も日向怒鳴ってた記憶しかないな」

 通学路を歩きながら二人で笑いあった。
 確かめるように想う。楽しかったな、あの頃。たった三年前なのに、ずいぶん遠くに感じる。でもそんなふうに感じているのは私だけだ。
 自分の気持ちに気がつかなければよかった。そうしたら、私は今こんな気持ちにはならなかった。
 意味もない想像は馬鹿みたいに苦くてちっとも楽しくない。小さくため息をついたところで、日向はその感傷の意味に気がつかないのだから。

「日向」
「ん?」
「試合、今度観に来てもいいよ」
「え、ほんと?やったー」
「入場料1000円だけどな」
「ええー」

 自分の気持ちに気がつかないでいられたらよかった。電車、やっぱりいつもの時間のやつに乗ればよかった。さっきの鍵を拾わなければよかった。何も訊かなければよかった。
 意味のない想像をする。だけど、こんな想像もいつか笑えてしまえるような過去になる。だから何ともないような声で、胸のうちで私は呟く。大丈夫、と。

 シュート練してこうかな、と言えば、さすが部長、と日向が笑った。
 視界の端で、きっとやわらかい髪がふわりとやさしくゆれた。




感傷の途中
13.5.23


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