視界の先の淡い茶髪は、中学の頃よりなんだかやわらかそうに見える。私があの髪にさわったことなんか、一度だってないけれど。
 午前8時10分、駅のホーム。

「はーちゃん?」

 あわないだろうと思っていた目がうっかりあってしまい、心臓が大きく跳ねた。
 私の存在に気がつくと、パッと笑顔になって、今度ははっきりと、はーちゃん!と呼んだ。
 ああもう、そんなでかい声で「はーちゃん」なんて呼ぶな。恥ずかしい。しかし逃げ出したい私のことなんか露も知らずに、日向は犬みたいに無邪気に駆け寄ってくる。

「やっぱりはーちゃんだった。おはよ」
「……おはよ」
「あれ?なんか元気ない?」
「元気だよ、元気元気」

 笑顔を作って棒読みで答える私に、そう?と不思議そうにして、軽く小首を傾げる日向は、鈍くて鋭い。
 ホームにアナウンスが響く。そのすぐ後に、電車が滑り込んできた。私たちはそれに乗り込む。通勤通学ラッシュの混雑した車内で吊革に掴まりながら、日向がごくふつうの調子で話しかけてくる。

「今日さー、チャリ乗ろうとしたらいきなりチェーン切れちゃってさー。もー、バッキーンって。びびったし」
「ああ、だから電車なんだ」
「そうそう。天気いいから徒歩でもよかったんだけど、今日1限体育だから体力温存しとこうと思って」
「温存しなくても、あんた体力だけは無駄にあるじゃん」
「だけって」

 はーちゃんひどい、なんてぼやきながら笑ってる。
 日向はこんなヘラヘラしているヘタレなくせに、運動は何をさせても、誰よりも頭一つ分飛び抜けていた。

「はーちゃんはいつもこの時間なの?電車」
「まさか。今日朝練ないから、たまたま。教室行く前にちょっと部室寄ってくけど」
「部長大変そうだね」
「まあね、大変大変」
「俺、今度試合観に行こっかな」
「やだよ、あんたすげー騒ぎそうだもん」
「なんでよー、いいじゃん騒いだって。はーちゃんの応援は俺にまかして」
「はーちゃんはーちゃん騒がれたら恥ずかしくて部員に示しつかんわ」
「だって、はーちゃんははーちゃんじゃん」

 少しふて腐れた顔になって当然のことのように日向は言うけど、私のこと「はーちゃん」なんて呼ぶの、あんただけだよ。
 電車がカーブに差しかかり、車内がゆるやかにゆらめく。私は吊革に掴まる手と足にぎゅっと力を入れて、隣に傾きそうになるのを堪える。

「大丈夫?」

 視線を上げたら、日向が私を見ていた。綺麗な二重瞼の大きな目。私は一瞬だけ息がつまったのを、何ともないような声で答える。大丈夫、と。
 こんなにでかかったっけ、日向。
 私の隣で吊革に掴まる日向は、並んでみたらなんだか思ったよりでかくて、それを今さら思い知ったように、少し驚いてしまった。いつのまに見上げるほどの身長差があったのだろう。

「なんか、久しぶりだね」

 電車がまた一定のリズムを取り戻した頃、日向が少し落ち着いた声で言った。

「なにが?」
「はーちゃんと話すの」

 中学から一緒なのにね。そう続けた日向に、まあ、クラス違うしね、とごくごく淡々と返す私。

「そっか。まあ、そうだよね」

 窓の方に目をやって、独り言のような日向の声を聞いて、私は素っ気なく答えたことをどうしてか少しだけ後悔した。

「……たまにさ、」

 窓の方を見たままで、日向がまた口を開いた。

「体育館ではーちゃんたちが練習してんの見かけると、俺も高校でもバスケ続けてればよかったかな、とか思うんだよね」

 その横顔に、寂しさは滲んでいなかった。
 そんなどこか感傷的なことを口にして、実際今の現状に後悔なんか、きっと日向はしていない。あの頃を懐かしむだけの横顔に、寂しくなるのは私だけだ。
 苛立ちが湧く。憎まれ口の一つも出てこないほどの、ひそやかな。


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