線香の匂いが視界さえかすませる。
 これは、いつだっけ。ぼんやりとよく見えないな。

「この度はご愁傷様でした」

 喪服姿の大人たちが入れ代わり立ち代わり、何度も何度も自分たちへかける言葉を聞いていた。
 そうだ、これは、十八歳の情景。

 父の葬式はよく晴れた七月の終わりに行われた。
 喪主の母と、着慣れたお互いの高校の制服を着た俺と悠花。参列者は親戚数人に、父の勤め先の関係者多数。あとは、俺の高校の友人たちも来てくれた。
 地に響くようなお経と、すすり泣く声がいくつもしている。それらに対してどうにも傍観的で現実感が欠けているのは、今日が夏の晴天だからか。たとえば葬式らしく(不謹慎かな)湿っぽく雨が降っていたら、ちょっとは涙も滲んだだろうか。
 悠花は、ずっと泣いていた。ずっと俺の制服の裾を掴んでいて、それがまるでちいさい頃みたいで、俺は少し可笑しかった。

「息子さん?」

 葬儀の終わり、参列者たちを見送っていた時だった。その顔に覚えはなかったが、きっと親戚だろう、母と同世代ぐらいの女の人が俺に声をかけてきた。

「はい」
「そう。偉いのね、毅然として。お父さんが亡くなったのにね」

 無表情で早口にそう言って、その人はさっさと帰っていった。そのすぐあとに母から、気にしなくていいのよ、と言われ、それが俺に対する嫌味の類だったらしいことに気がついた。
 父は、俺がどんな時でも泣かないでいることを、生前ずっと心配していた。そんな父こそ遺影の中でも笑顔だった。そこから今にも俺や母さんや悠花を呼ぶ声が聞こえそうな――。



「お兄ちゃん!」

 実家の玄関でサンダルをつっかけていると、後ろから悠花に捕まった。

「どこ行くの? 法事の準備さぼらないでよ」
「違うよ、おつかい。母さんがトイレットペーパー買ってこいって言うから」
「とか言って、煙草も買うんでしょ」

 鋭いな……。実家にいる時は吸わないようにしているのに、悠花は俺の喫煙にうるさい。
 どうやってかわそうかと考えていると、おもむろに悠花も三和土へ足を降ろして、青い花飾りのついたサンダルをつっかけた。

「いっしょに行く」

 と言って、悠花は俺を残してさっさと外を出て行った。

 近所のスーパーで安売りの12ロールのトイレットペーパーを二つ買い、そのあとコンビニで煙草を買う算段だったのだけど、失敗した。白くまアイス買ってあげるから、と言ってみても、十九歳の悠花には効かなかった。
 コンビニの前を通り過ぎながら、仕方ない、とため息。それに、どうせ買ってもここじゃあ吸う隙さえなさそうだしな、とおとなしく諦めることにした。

「お兄ちゃん、ちゃんと自炊してる?」

 家路の途中、眉間にしわを寄せた悠花に聞かれて、頷く。

「してるよ、わりと」
「へー、ほんとかなぁ」
「ほんとだって」
「なんか心配。昔さぁ、お兄ちゃんがうどん作ってくれたことあったけど、やたら味濃かったし」
「味濃いほうがうまいんだよ」
「お母さんに、今度からお兄ちゃんには野菜しか送らないようにって言っておこ」
「悠花が言うと母さんほんとに野菜しか送ってこなくなるから。冗談通じないからな、誰かと似て」
「誰かって誰のことよ」

 その後も悠花から近況について質問されるのに、俺は淡い夕暮れの空模様や、民家の塀の裂け目などを眺めたりして、ずっとよそ見しながら相槌を打っていた。
 蝉と蜩の混じった声と、風鈴の音。ぬるい風にのせて、どこからか線香の匂いがする。お盆だもんな。ちょっと前までは、お盆が何の為にあるのかなんて、考えたこともなかった。


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