靭帯断裂、と抑揚のない声が言う。

「痛そう」
「痛いよ〜、足とれたかと思った」
「マジで?」

 マジで、と返す。
 亀にも抜かされそうな速度で歩きながら、慣れない松葉杖がうっとうしい。
 俺の歩調に合わせてのろのろと歩く唯太は、両肩にそれぞれエナメルのスポーツバッグを掛けている。自分のものと、俺のものだ。

 7月の夕方はまだ真昼のように明るい。
 久しぶりに唯太といっしょに帰っていた。
 放課後、部活ないし暇だし、荷物持つよ、と俺の席までやってきた唯太が、言ったのだった。
 その場にいたクラスメートの誰かが「終戦だな」とか、意味不明なことを囁いたのが聞こえた。
 終戦て。思わず笑う。

「どしたの?」

 突然噴き出した俺に、唯太が訊いた。
 どしたの? その口調があまりにもいつもと変わらないから、余計に可笑しくなる。一人で笑う俺のことを、唯太はただただ不思議そうに眺めていた。
 一頻り笑ったあと、はー、と息を吐き出した。

「こないだ、ごめん」

 八つ当たりして、足も怪我して、結果試合にも出れずにそのまま引退。
 俺、ダサいよね。苦笑しながら、坂の道に差しかかる。
 ふつうに歩いていたときはたいした坂じゃないと気にしたことはなかったのに、松葉杖だと思いのほかキツい。汗が一筋、こめかみを伝った。

「秋吉」

 無意識に下げていた目を上げる。

「いいよ、急がなくて」

 俺はちょっと目を丸くして、笑って、頷いた。それから、思う。あーあ、勝てないな、と。この後に及んでまだそんなことを考えてしまう俺は、きっとこれからも、唯太には勝てないんだろうなあ。

「唯太のそういうとこ、かっこいいよね」
「え?」
「だから嫉妬した、俺」
「……」

 どこかなつかしいような蝉の鳴き声が、俺たちの間に流れる。
 そろそろ蜩が鳴いてもよさそうな時間なのに、まだ充分に日があるからか、俺たちの背景には蝉の声。

「小学校のさ、卒業文集、おぼえてる?」

 先に口を開いたのは、めずらしく唯太だった。

「あー、将来の夢?」
「そう。それ書くとき、俺地味にけっこう迷ってたんだけど、秋吉に聞いたら全然ふつうに笑ってさ、『医者になるよ、俺は』って言ったんだよ」
「あはは……よくおぼえてんね」

 おぼえてるよ、と、はっきりと輪郭をもった声で、唯太が言う。

「おぼえてるよ。ていうか、忘れないと思う。俺の中では印象的だったんだ。他にもメジャーいくとかお笑い芸人になるとか書いてたやついたけど、なんだろ、ああ、秋吉は、なるって言ったらなるんだろうなあっていうのがあったっていうかさ……」

 言葉を探るようにゆっくりと、めずらしく語る唯太の横顔を、俺はなんだか見られなかった。少し下を向いて歩いた。
 またやってきた沈黙を、今度は破ったのは俺だった。

「唯太、俺さ、高校ではバスケ部入らない」

 ギプスで固定された自分の片足を見下ろす。

「リハビリすれば復帰できるって言われたし、だからべつにこれが原因ってわけじゃないけど、でも、もう部活入ってさ、毎朝早く学校行って練習して、試合とかも、そういうのは、やらないかな」

 言いながら、たしかに胸が透いていくのを感じていた。
 唯太には俺が無理しているように聞こえるだろうか。でも、違うんだ。自分でも驚くほど自然な気持ちだった。一人であんなに迷ってたのにな。
 唯太が話した、あの頃の卒業文集に書くような気持ちで、自然に、俺が決めたことだ。

「唯太は? 高校でもバスケ部やる?」

 唯太は、少しだけ考えるような仕草で首を傾げたが、それにしてはあっさりと、やらないかな、とだけ答えた。

「なんで! 続ければいいじゃん! 唯太身長あるし、上手いんだからさあ」
「えー、でも、秋吉は入らないんでしょ?」
「えっ?」
「え? だって俺、そもそも秋吉が『唯太もバスケ部入ろうよ!』って言うから入ったんだし」

 そうだったっけ。言われてみれば、たしかにそんなような記憶がよみがえってきた。
 とはいえ、べつに俺がいなくても入ればいいのに。もったいないなぁ。俺はなんだかまた可笑しくなって笑った。

「ははっ! 唯太って〜、意外と主体性がないよね!」
「……秋吉は笑顔で失言が多いよね。あ、そうだ、いちおう報告があったんだった」
「え、なになに?」
「別れた」

 無表情で淡々と、別れた、と口にした唯太だけど、俺はそれが何のことだかわからなくて、意味を理解するのに数秒かかった。
 妙な間が開いたあとに、恐る恐る、マジで?と聞くと、数秒前と寸分たがわない表情と声色で、マジで、と返ってきた。

「マジで!?」
「マジだってば」
「……フったの? フラれたの?」
「フラれた」
「えええなんで!?」
「なんか、間がもたないって。こんなに喋らないやつだと思わなかったって」

 沈黙、再び。
 ――チリンチリン!
 坂の途中で立ち止まった俺たちの横を、一台の自転車が走っていった。
 それが過ぎた頃、何かの合図みたいに、俺はもう声をあげて笑い出してしまった。身をよじりたいのに、松葉杖だからできない。苦しい。腹痛い。
 涙を流してヒーヒー笑う俺を、唯太が傍観的にただ見ている気配があった。

「……そんなに可笑しい?」
「おっ、可笑しいわ! はははっ、ちょっ、く、苦しい! 死んじゃう! はは、ゆ、唯太見てないで助けて!」
「じゃあ秋吉のカバンここ置いとくね」
「ちょっとおおお!」

 15年間生きてきて今日が一番笑ったかもしれない。
 笑いが引いた頃にそう言ったら、唯太は淡々とよかったね、と答えて、踵を返して歩き出した。俺は慌ててそのあとを追う。だけど唯太は早足でどんどん坂を上がっていってしまう。
 もしかして怒ったかな、と焦る。せっかくまた話せたのに、これはまずい。俺は松葉杖を動かして、唯太に追いつこうと、坂を上がる。
 汗が流れる。滴が一つ、アスファルトに落ちるのを見た。蝉の鳴き声。息が切れて、いつのまにか肩が上下していた。
 顔を上げる。坂の上で、唯太が立ち止まっていた。それを見た俺は、また松葉杖を動かした。
 そして、なんとか坂を登りきると、

「お疲れ」

 唯太が笑って、俺に言った。
 ちくしょう他人事だと思って。憎らしく思いながら、俺も笑って、向けられた掌に、掌で打った。
 パンッ、と、試合に勝利したあと体育館でよく聞いた音が響いた、坂の上。

「唯太、俺もう疲れたからあとおぶって……」
「諦めたらそこで試合終了だよ」

 どうやらまだ道は長いらしい。
 俺たちは並んで、また歩き出す。




スプラウト
14.4.12


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