江利子、あんた狙われてるよ。営業課の××に。あんた美人なのにぼーっとしてんだから、気をつけなよね。カレシいるんでしょ?

 同僚であり友人のいつかの言葉を、何故か今になってふいに思い出した。
 今しがた貰った名刺には、なるほど、営業課の××と書いてある。

「白上さんてすげー美人だよね。実は俺ずっと白上さんのこと狙ってたんだよね。…とか言ったら引きますか?あははは」
「はあ」
「白上さんカレシいないの?いるでしょう、ほんとは。ああいいよ言わなくても。俺は気にしないから」

 よく喋るなあと感心しながら、わたしは特に大した話をしたわけではないのに、すでに疲れきっていた。足が鉛のように重い。

 コートのポケットにはケータイが入っている。マナーモードにはしていない。だって鳴らないから、そんな機能は何の意味もない。
 唯太は怒っているのだろうか。だから何もしてこないのだろうか。
 だけど、唯太、唯太が怒っている間に、わたし全然知らない男と二人で飲みに行くことになってるよ。いいの。唯太、わたしのこと好きなんじゃないの。わたしの忠犬でしょ。

「でもさ、こんな日にカレシじゃなくて俺の誘いにのってくれたってことは、やっぱ期待しちゃうなあ」

 知らない男が何か言ってる。

「クリスマスに白上さんといられるなんて、すげー幸せ」

 クリスマス。そうか、今日はクリスマスなのか。知らなかった。全然気がつかなかった。
 今日がクリスマスだとわかったところで、そんなことは心底どうだってよかった。12月の外なんか寒いだろうし、目に痛いだけでちっとも温まらないキラキラしたものをすべて避けて、早く帰ってコタツに入ってお茶漬けが食べたかった。
 ああ、だけど、わたしの部屋にはコタツなんかない。コタツがあるのは、唯太の部屋だ。
 畳の和室で、ボロくて狭い六畳間。どんな洒落た場所よりも、今はわたしはそこへ行きたい。そこにいる、何考えてるかわからない顔して、ただただ傍にいるだけのやさしい存在に安心したかった。
 あーあ、と思う。
 唯太にあいたい。べつに何も言ってくれなくていい。何考えてるかちっともわからない顔でいてくれていい。ときどき、江利子って、わたしの名前を呼んで、思い出したようにキスをしてくれたら、それで充分だから。
 唯太にあいたい。いつもわたしばっかりじゃん。わたしがあいたいと思ってるんだから、あいにきてよ。

 会社を出たら、わたしの足はピタリと止まった。止まったまま動かなくなった。
 視線の先に、猫背気味の男の姿を見つけたからだ。
 この寒空の下で、クリスマス仕様でやたらキラキラした時計塔のところに、まるで主人を待つ忠犬みたいに、立っている。あれは、わたしの知っている男だった。いや、知っているけど、知らない。うわー、なんでいるの。なんで、ほんとにいるの…。
 わたしが呆然と突ったったままでいると、ゆっくりと向こうから歩いてきた。全く急いでないスローテンポで、いつもの速度で、歩いてくる。

「え、誰?」

 わたしの横で、知らない男が困惑気味に何か言った。

「カレシですけど」

 低い声が、言う。そして、大きな手が、わたしの手を引いた。

「江利子」

 行こう。
 そんな声で、わたしの足は呪いでも解けたみたいに、ようやく動き出した。

 手を引かれながら、目の前にある背中を見上げる。

「唯太」
「んー」
「何でいるの?」
「迎えにきたから」
「…怒ってる?」

 わたしはそう訊ねずにはいられなかった。

「怒ってないよ」

 至ってふつうに返ってきた。唯太の声はほんとうにちっとも怒ってなくて、力が抜けてしまう。
 なんだ、そうなのか。怒ってないのか。ちょっとは怒ったっていいのに。そっか、なんだ…。

「…唯太」
「ん?」
「迎えに来てくれて、ありがと」
「江利子」
「…なに?」
「他の男と遊びに行くのは、よくないと思う」
「……」
「返事は?」
「…はい」

 わたしが忠犬のように返事をすると、唯太は安堵したようにゆっくりと頷いた。それから、繋ぎ直したわたしの手を、自分の上着のポケットに入れた。
 じんわりと温い。温すぎて泣けてくる。

「唯太」
「んー」
「今日クリスマスだよ。知ってた?」

 誤魔化すように、訊いた。ああうん、と頷く唯太。
 なんだ知ってたのか。そりゃそうか。

「江利子、イルミネーションとか見たい?」
「いや、いい。寒いから早く帰りたい」
「一応ケーキ買ったけど、いらない?」
「それは食べる」
「プレゼント何かほしいもんある?」
「考えとく」
「そうしといて」
「唯太」
「ん?」
「キスして」

 そこで会話が途切れた。
 唯太のことだから、帰ったらでいい?とか、きっとそんなようなことを言うのだろうなあと思っていたら、ふいに顔を覗き込まれて、ちゅ、とされた。唇に。

「……え、何でするの?びっくりした」
「江利子がしろって言うから」
「唯太って、わたしの犬?」
「そうかもなあ」

 なんて言って、ちょっと笑った顔を見て、わたしは呆れた。笑うところじゃない。
 唯太の笑いどころはわたしにはちっともわからない。

 あーあ、早く帰りたい。コタツに入ってケーキが食べたい。それからめずらしく、抱きしめてもらいたい。それでもうプレゼントは何もいらないと言ったら、唯太、怒るのかなあ。怒らないだろうなあ。
 などと考えながら、二人で歩くやたらとキラキラ輝く帰り道。
 思ったより、綺麗だ。


そばにおいで
13.12.25


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