来栖慶介はクラスメートだ。
来栖は、クラスでは目立つ位置にいるが、べつに目立った行動をするようなやつではない。目立つグループに“何となくいる”だけ。
そこにいて、軽い口調と軽い笑顔で、しかしいるだけで、何故か目につく感じが来栖にはあった。へらへらしながら、妙に雰囲気があるような。
小学生ん時に飼っていた猫にちょっと似てる気がした。いや、こんなへらへらしてなかったけど。
「松下くんかあ。俺けっこうここ来んだけどさ、来るとたいてい匂うからさ、あー誰か吸ってんだなって思ってたんだよね」
ま、俺も吸ってたんだけど、あはは。
馴れ馴れしくも捕らえどころのない口調。ふわりと身にまとわりつきながらも消えていく紫煙のようだと思う。
人気のない男子便所。開け放った窓を挟んで、タイルの冷たい壁に背を預けて、何故か俺は今まで話したことのないクラスメートと煙草を吸ってる。
なにこの状況。どうしてこうなった。
「当たり前なんつーのはないんですよ。今日の友は明日の敵、とか言うじゃない」
「心読むのやめろ。てかそれ逆だしな」
「ふはは。そうだっけ?」
へらへら面に軽く腹が立つが、それとは裏腹に気が抜けるような心地にもなる。
ああ、なんかよくわからないやつだな。
「松下くん意外と話しやすいわ」
「そんなん初めて言われたし」
「クラスでさあ、いつもなんか恐えーじゃん。一匹狼っぽいっつーか、あはは」
「全然恐そうに聞こえねえんだけど」
実際全く恐がってないだろ。俺はおまえと違って読心術使えないけど、それはよくわかるよ。
細く長く、紫煙を吐き出す。今日の友は明日の敵。ってこれ逆か。まあいいや。
当たり前などないなんて、わかってるつもりだったが、その実どうだろう。こんなふうに肩を並べて、誰かと煙草吸うとか、昨日の俺では想像できなかった。
「俺、1こ上なんだよ」
気怠く、言う。
「ちょっとまあいろいろあって、俺ほんとだったら今高校生じゃないんだよ」
ちょっとまあいろいろってなんだよ。自分の言葉に苦笑いしたくなる。
視界の端で来栖が笑ったのがわかった。笑みの形を描く唇。くわえた煙草から立ち上る煙がゆらりと揺れる。
「あー松下くん、高校生っぽくないもんな。納得だわ」
「いや、あの、つっても1こしか変わんねえからね。俺オッサン臭いの?」
「オッサン臭いっつーか、なんか所帯じみてるっつーか」
「所帯じみてるて」
「はは。ま、いーじゃん。話しやすいことには変わりねえし」
軽く言って、軽く笑う。飄々と、煙のように、猫のように、捕らえどころのないやつ。
「…毎日?」
煙草を消しながら、さっき何となく躱されたことを遠回しに問う。
「毎日、ここ来んの?」
窓から微かに声が届いてくる。体育館が近いのだ。
そういや、午後最初の授業は体育だったかもしれない、と思うが、定かじゃない。その日の授業なんていちいち把握してない。
僅かな沈黙の後、来栖が口を開いた。
「毎日じゃないけど。あーでも、吸いに来るだけの時もあるし、わりと頻繁かな」
「あそう」
「はは、ほんと誰かっつーか、まさかクラスメートと鉢合わせるとか思わなかったけど、」
横顔だった来栖が、ゆるりと顔だけをこちらに向ける。
「ま、でも、そういう部分知られちゃったから、逆に話しやすいんだよね、きっと」
「おまえ病院行ったほうがいいよ。心の」
無遠慮に言えば、ぶはっと盛大に噴き出す。
ええ、ちょっと。汚ねえな。
「松下くん言うね!はは、やっべ、は、腹痛い。あ、うわ、なんかまたゲロ出そうかも」
「俺帰るわ」
「あ、大丈夫だ、引っ込んだから」
大丈夫じゃないと思う。全然大丈夫じゃないと思う。引っ込んだってなに。おまえもうイケメン台なしだな。
「あれ、松下くんマジで帰んの?自主早退?」
ズボンのポケットに手を突っ込んで歩き出すと、背後から声がついてくる。
「だっておまえがゲロゲロ言うからなんか気持ち悪くなった。帰って寝るわ」
「ゲロゲロて。人を蛙みたいに言わないでよ」
「ねえ、ところでさ、なんでおまえついてくんの?」
スラリと細長い足が俺の隣に並ぶ。
目をやれば、やっぱり軽い笑顔がそこにあった。
「松下くん暇なら家来てよ。俺8つ下の弟いんだけど、超可愛いから」
「…いや、あの、意味がわからないんだけど」
「俺のお友達ーっつって紹介するから。あ、俺友達家上げんの初めてだわ、あはは」
俺なんかお構いなしに、勝手に愉しそうにしちゃってる来栖。
昨日まで話したこともなかったクラスメート。煙草はマルメン。なんか読心術が使える。8つ下の弟がいる。飄々と、どこまでも捕らえどころのない。しかしメンタルはそんなに強くないらしい。ほんと、よくわからないやつ。
「あ、そういや、松下くん名前なんつーの?」
「読心術使えば」
「わかった、優二郎くん」
「え、おまえマジ?すげえな読心術」
「いや知ってたから。松下優二郎くん。あはは、いい名前だね」
「鳩尾殴っていい?」
当たり前なんてない。不意に変化する日常。それが良くも悪くも、ああ、日々を生きるってこういう感じなのかな、なんて、柄にもないことを思う。
「あ、優くん、今恥ずかしいこと思ったっしょ」
「思ってねえし、優くん言うな」
「俺は慶ちゃんでいいよ、優くん」
「慶介くん気持ち悪い」
向けられる笑顔はやはり軽くて腹が立つ。ほんと、どうしてこうなった。
でもまあ、悪くはない。
始まりか終わりかわからないチャイムを遠くで聞いた、初夏の午後だった。
イン・ザ・ライフ
12.8.28
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