今日も変わらないと思っていた。
 真上の位置から少しだけ傾いた午後の日差しが入り込んだ廊下は、やわらかく明るい。そして閑散としていた。
 主に特別教室のある北棟の3階、その最も奥に面した便所は、忘れ去られたようにいつだって人気がない。
 だから今日も例外なくそうであることを疑っていなかった。

 午後の授業開始を告げるチャイムを聞き流しながら、いつものように、北棟の3階、最も奥に面した男子便所に入る。その時点でもう異変に気づいた。
 1番奥の、個室の扉が閉まってる。え、使用中?
 俺は眉をひそめたが、しかし、異変といったって、ここが便所である以上使用中なことに何の弁解もできないんだけど。むしろ正しいんだけど。

 静かに便所の奥へ進めば、閉じられた扉の鍵のところは、やはり、確かに「使用中」の赤い表示。
 マジかよ。わざわざこんな僻地のような便所で用足すやついたの。あー、それとも、僻地だからわざわざここでってこと?腹下しちゃったとか。
 赤の表示を見下ろしつつ、何ともやり切れない気持ちになる。やり切れないが、やっぱり人がいる場所は避けたいし。
 小さくため息を吐く。しゃーない。まあ、こんな日もあるか。そう割り切って、踵を返した時だった。

「……っう、」

 え、なに。
 耳に届いた苦しげな声に思わず歩みがとまり、振り返る。するとすぐに便所内に響く流水音。ザバザバと流れる水音に混じって、何度も咳をする声が聞こえてくる。
 扉が開いたのは、それからずいぶんと速かった。
 流水音が消えて間もなく、開いた扉に、俺は立ち去ることも忘れて、突っ立ったままで。

「あ」

 そうして個室から出てきたのは、見覚えのある顔だった。
 ドアノブに手をかけたままの体勢で一時停止するそいつ。あ、と声を漏らして、こちらを見つめる表情は、幾らか憔悴が滲んでいた。


 来栖慶介はクラスメートだ。
 特に親しい訳じゃない。いや、全く親しくない。そもそも話したことがない。
 だけどそれは、俺にしてみれば当て嵌まるのは来栖だけじゃなかったが、まあとにかく、来栖とは3年で初めてクラスメートになってから今まで、話したことはなかった。

「うーわ。はは、びびった。こんなとこ人来るとは思わなかったわ。あはは」

 軽い口調で、軽い笑いを漏らしながら言う来栖は、クラスにいる時の印象とまるで変わらなかった。
 何の返答も寄越さない俺を余所に、流しで手をゆすぎ始める来栖。俺に気を留める風でもないその様子を眺めて、俺がクラスメートだという認識が果たしてあるのかどうか。ない方が、俺的には嬉しいんだけど。
 そんな思いはすぐに、不意にこちらを向いた軽い笑顔に砕かれた。

「あ、俺もう用足したから。松下くん使えば?」
「…いや、俺べつにウンコしに来たんじゃないから」

 言えば、あ、そうなの?とやはり軽い調子で返ってくる。
 つーか、なんだ、俺のこと知ってんの。って、俺だってまあ人のこと言えないけど。でも来栖は俺と違ってクラスで目立つ位置にいるし。それにわりと、なんていうか、忘れ難い顔してると思う。イケメンだしな。

「はは、松下くんのがイケメンだし、目立ってると思うよ。悪目立ち、なんつってね」
「…なに、俺心の声漏れてた?」
「あー俺ね、読心術使えんの」

 そんな台詞に今度は俺が軽い笑いを漏らす。
 なにそれ、すげえな。そう声に出した訳じゃないのに、来栖からはありがとう、と返ってきた。ええ、マジかよ。

「おまえ面白いね。……あー、てか、大丈夫なの」
「なにが」

 そこは使えよ、読心術。それともわかってて惚けたのか。
 来栖が笑う。ポケットに手を突っ込んで、出てきたのはマルメン。

「松下くん、火貸して」

 ライター忘れた、と煙草をくわえて言う。
 何だか気が抜けたような心地になる。ため息を吐いて、俺もポケットから煙草とライターを出して、それからライターの火をつけた。

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