二
作業を終えると、白桃ちゃんがシートの上に腰を下ろした。俺もその横に座る。
ザザ、と唸る波の音。遠くで聞こえる子どもたちのはしゃぎ声。時折、海鳥の影が視界をよぎる。
ふたりきりで、ただ並んで海を見る。
「きれいね……」
白桃ちゃんが言ったので、海からそちらへ目を向ける。麦わら帽子の下で薄桃色の三つ編みが潮風にゆられていて、とてもきれいだ。
「もう少し日が傾いたら、浜辺を歩きましょう」
「歩きながら海を見るの?」
「きれいな貝殻をひらったりするのよ。おみやげにするの」
おみやげ、と思う。常連客の仙人爺さんとか、大中小とかにやるんだろうか。大中小は泣いて喜びそうだな、なんとなく。
考えていると、お昼ご飯にしましょう、と白桃ちゃんが荷物をあさる。カバンのなかから大きな重箱を取り出した。
「お弁当を作ってきたの」
次々と開かれる重箱の中身には、飯やおかずが隙間なく、且つ彩り豊かに敷き詰められていた。
そういえば、白桃ちゃんは今朝早くに寝室を抜け出して、厨房にこもっていた。店は休業日なのに何を作っているのかと思った。俺が毎朝の日課である鍛錬をこなしている間、白桃ちゃんはこれを作っていたのだ。
「すごい、白桃ちゃん。でもこんなにいっぱい作るんなら、俺を呼んでくれればよかったのに。そしたら俺、手伝ったのに」
「いいの。だって、今日はデートだもの。楽しみにしてたから」
いまいちよくわからなくて首をかしげたけど、白桃ちゃんはほほえみを浮かべているので、そういうもんかと思った。
お弁当を食べてからまた少し海を眺めて、それから浜辺を歩いてきれいな貝殻を探したり、裸足になって浅瀬で遊んだりした。
白桃ちゃんは、とても楽しそうにしていた。白桃ちゃんの笑顔は俺を安心させる。ずっと笑っていてほしいと思う。
これは「うれしい」という気持ちなのかもしれない。なんだかまるで人間みたいだ。
「そろそろ帰らなきゃね」
日が暮れはじめ、辺りが橙に染まる頃には、浜辺はいつのまにかすっかり人気がなかった。
地平線を見ている白桃ちゃんの横顔がほんのりとさびしそうで、俺もなんだかほんのりとさびしいような心地になる。
また来よう。また、デートしよう。
服のポケットのなかを探りながら、そう言おうと白桃ちゃんに向き直ったそのときだった。白桃ちゃんの背後に、蠢く影が見えた。地面から沸き上がるように影はみるみる伸びていき、実体を帯びていく。
――《やつら》だ。
白桃ちゃんの命を狙い、白桃ちゃんの“所有物”である俺を破壊しようとする影ども。《得体の知れないやつら》。
俺は反射的に白桃ちゃんの手を掴み、自分のほうへ引き寄せた。
「ラウ……」
「大丈夫。俺が守るから」
おだやかだった時間が、一瞬で張り詰めたものになる。
砂浜にできた渦を巻く深い闇のような孔。そこから小さな虫のような影が次々と現れ、集合し、やがて人のかたちを成していく。
ザッと数えて三、四十人ほどの集団となった。《やつら》はそこにはない眼でこちらをじっと見据えているようだった。
白桃ちゃんを自らの背後に隠すようにして、俺は一歩前へ出た。
「来いよ」
構えの体勢から手招きをすると、それを合図に《やつら》が一斉に俺に襲いかかってきた。
地面を蹴る。間合いを詰めてから勢いをつけて飛び上がり、十人分まとめて斬るような回し蹴りを食らわせる。瞬間、パキン、と硝子が破れるような音が鳴った。破片のようなものが飛び散り、影が四散していく。
《やつら》は見た目通りの手応えをしていない。硬い甲羅をまとっているような感触だ。こちらとしては実体のない影よりも、手応えがあったほうがありがたい。
《やつら》と戦うたびに実感することがある。
俺の体は、戦うすべを知っているということを。
最初は白桃ちゃんにそういうふうに作られたのだと思っていた。けれど、今はそうではないような気がする。おそらくもともと知っていたのだと思う。俺は、たぶんキョンシーになる生前から、戦うことをしていたのだ。相手はわからないが……。
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